cats and dogs

‐original BL novels‐



二章 月の魔性 (七)

   § : 「妖は宵闇に夢を見つ」
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 ──墨で塗り潰されたような空に、あかあかとした炎が照り映えている。葵はそれを、ただぼんやりと、どこか壁を一枚隔てたような心地で眺めていた。
 水を通しているような、滲んでいるような揺らいでいるような光景の中に、わぁん、と様々な音が充満していた。炎があらゆるものを舐めてゆく音。打ち交わす長槍の穂先や剣戟の音。人や獣の足が地を蹴る音。怒号や叫び声。──様々な戦場いくさばの音。
 足が鉛のように重くて持ち上がらず、まるで底無し沼でもがいているようだった。懸命に足を引き上げて動かしているのに、前に進めない。ぐらぐらと視界がまわり、ひどく胸が悪い。
「……誰か」
 空気さえ、ねっとりと喉に絡み付いてくる。息が苦しくて、声らしい声が出せず、それでも必死に声を上げた。燃え盛る炎の中にもがきながら飲まれてゆく、愛しい者達の影が見えたような気がした。
「逝くな。待ってくれ。俺は……」
 必死に伸ばす手が、あえなく空を掻く。喉が焼けるように熱く息苦しく、やがてうずくまったまま動けなくなった。
 喘ぐように息をする。まるで天から降された杭に刺し貫かれるような心地で、うずくまった己をかき抱いた。
 ──俺はなぜ、あのとき死ねなかった。こんなありさまで、これほど苦しいのに。こんな状態で尚生きることこそが、何もできずにみすみす皆を死なせたことの罰なのだろうか。
 暗闇に燃え盛る炎と、戦場の音だけが身を押し包む。どうすることも出来ぬまま、葵はただ、暗闇の中にうずくまっていた。

 重く苦しい夢から覚めたとき、朝の光が障子を透かしていた。軽やかに囀る鳥の声が聞こえる。今が朝であることを理解すると、葵は心の底から安堵した。
 全身に嫌な寝汗をかいており、じきにそれが冷えて寒気を催してきた。だるい身体をどうにか起こすと、寝乱れないように軽く結っていた朱色の髪が、頬の横に流れて落ちた。
「……最悪だ」
 深々と息を吐く。
 ──こんな朝には思う。あの匕首を手放していて良かった、と。もし手元にあれば、衝動的に抜きかねない。それをしてはいけないと、頭では分かっていても。
 自分の奥深くでは、まだ何も変わっていない。そんな己の弱さ脆さを目の当たりにするようで、げんなりする。
 無理やり気分を変えたくて、立ち上がると縁側に向かい障子を開いた。爽やかな早朝の空気が流れ込み、後れ毛を流す。虹色を帯びたような穏やかな青空が、今日も変わらず広がっていた。
 早朝の庭をぼんやりと眺めた後、縁側に並ぶ障子を見返った。葵の部屋のふたつ隣。ぴたりと閉ざされた障子の向こうに、その部屋の主はいるのかいないのか。
 しばらく部屋を見つめた後、埒もないと首を振り、部屋に戻った。


 明らかに夢見が悪くなったのは、間借りしていた夜光の部屋を出てからだ。
 毎日見るわけではないし、内容をはっきり覚えているわけでもないが、そんな日は最悪に寝覚めが悪く、なんだか一日中頭も手脚も重い。こうなってみて初めて、毎日夜光が共に寝起きしていてくれたことでどれだけ気が紛れていたのかを思い知った。
「不甲斐ない……」
 書物を広げた文机に凭れ、自分にぼやく。
 夜光が勤めに戻ってから、自分と夜光の生活の流れは大きく食い違ってしまった。夜光はまず、毎晩のように座敷に上がる。部屋に戻るのは深更、あるいは朝になってからだ。
 そんな具合だから、夜光が起き出すのは葵よりもずっと遅い。起きてからも、ほとんど部屋にはいない。別室で舞いや管弦の稽古をしていたり、贔屓筋に挨拶に出かけたりしているようだ。
 長い休みの後だからこその忙しさなのか、それとも普段から夜光はそうなのか、それも分からない。部屋はすぐ近くであるにも関わらず、もしや避けられているのかと勘繰ってしまうほど、話すどころかろくに姿を見ずに終わる日さえあった。
 そんな日々を送るうちに、気が付けばあれだけ長く咲き誇っていた桜が散り始めていた。
 ──では今度、私の箏と併せてみませんか。花見酒の席にでも。
 以前そう言っていた夜光を思い出す。この様子では、あの約束は果たされずに終わりそうだった。
「まあ、我儘は言えんか……」
 正直、ここまで夜光と生活そのものがすれ違うようになるとは思っていなかった。今頃になって「夜光は最玉楼で特に人気の花」であるということを理解した思いだった。
「……そうは言っても、な」
 そう思う一方で、そのこと自体が、葵には今ひとつしっくりこない。
 自分と一緒に過ごしていたときの夜光は、夢のように美しくはあったが、穏やかで気取りの無い、共に過ごしていると自然と嬉しくなり心の和んでくる存在だった。正直を言えば、未だに「最玉楼の花」であるという夜光がぴんとこない。自分の知っている夜光が、葵にとっての夜光だった。
 夜光の勤めについて思い巡らすと、街で出会ったあのちょっとした嵐のようだった男のことを、どうしても思い出す。確か貴彬といったか。明らかに「花」である夜光に執着──あるいは恋慕──しているように見えた、あの男。
「…………」
 あの鋭い目をした男は、あれから夜光に会いに来たのだろうか。いや、あの男に限らず、「花」である夜光は夜毎誰かと会っているのだろう。
 それについて考えると、何か憮然とする。思わず「会ったその先」についてを想像しそうになるが、慌てて首を振り、どうにも楽しくないそれを振り払った。
 葵もまっとうな成人男子であるから経験もあるし、蓬莱にいた頃、異性とも同性とも好ましければ関係を持つことは、おおっぴらではないにせよおかしいことではなかった。妖達は人間以上に、そのあたりは鷹揚で奔放なのではないかと感じる。夜光の勤めについても理解はできる。だがどうにも、「それ」について考えることが面白くない。
 ──でしたら、目を閉じておいでなさいませ。誰も取って喰いはしません。
 ふと、いつだったか悪戯っぽく、そしてやけに艶やかに囁いて唇を寄せてきた夜光のことが甦った。あれはまだ葵が身動きもままならなかった頃、傷を癒やすために夜光が精氣を吹き込んでくれたときのことだ。
 それよりも前、出会うなり夜光を引き寄せてしまったことも、数珠つなぎに甦ってくる。天女かと思ったその淡い色の唇に、誘い込まれるように口付けてしまった。しっとりと柔らかく甘い、ただふれただけで夢見心地に酔わされるような唇だった。
「…………!」
 はっと我に返り、またぶんぶんと、慌てて首を振った。思わず口許を覆った、その頬が明らかに熱を持っていた。
「何を思い出してるんだ、俺は」
 確かに夜光は、陶然とするほどたおやかで、その肌にふれたらさぞかし柔らかく甘いのだろう、とは思う。だがそうであればあるほど、夜光に対してそんなことを考えてはいけないような気がする。夜光を思い浮かべるときは憧憬に近いような、そんな下世話な劣情でふれれば穢してしまうような、ふれることが恐いような気持ちさえあった。
「はぁ……」
 頭を抱えるように文机に突っ伏し、葵はもう何度目かも分からない深々とした溜め息をついた。文机の上に開いた書物の内容が、まったく頭に入ってこなかった。
 あれこれと考えるが、夜光と距離が開くにつれて、今さら認識することもある。自分は別段、夜光の何であったわけでもない。客人は厚遇せよというしきたりが終の涯にはあり、葵はここではマレビトと呼ばれる存在であり、まして瀕死の重傷を負っているところに出会ってしまったから、夜光も放っておけなかった。自分と夜光の関わりは、ただそれだけの話だ。
 ──確かに。おまえさまの命の片割れを、大切にお預かり致します。
 そう思うそばから、預けた匕首をそう言って抱き締めた夜光を思い出す。走る姿など想像もできないような夜光が、黙って最玉楼を抜け出した葵のことを、息を切らして追い駆けてきたことを思い出す。
 ──生きていてくださって……本当によかった。
 ──私は人間が嫌いです。でもどうしてだか、葵殿のことは放っておけない。私は、葵殿に死んでほしくありません。
「…………」
 ぼんやりしていると、次々に脳裏に甦ってくる。夜光の眼差し、交わした言葉。桜の花びらの舞い込む部屋で、楽しそうに琵琶を弾いてくれた。夜光といると心がやわらいで、こんな自分でももう一度生き直せるような気がした。──夜光と過ごした時間は、自分には確かに特別なものだった。
「あああああっ。もうっ」
 文机に突っ伏したまま、わしゃわしゃと髪を掻き回した。
「情けない。何をやってるんだ俺は」
 せっかく夜光に救われた命なのに、悶々と考え込むばかりで、何一つ手につかないでいる。
 ばん、と文机に手を打ち付けるようにして顔を上げた。
 確かに夜光にとっては、葵との関わりはそれだけのことだったのかもしれない。だが葵にとっては「ただそれだけ」ではなかった。命を救われ、今にも崩れそうなときに支えられ、自分の命を預ける思いで匕首を託した。
 自分にとって夜光は何なのか。それを言葉で尽くそうとしても、うまく言い表すことができない。だが、これだけは分かる。自分は夜光に心から感謝し、そして夜光を心の底から大切だと思っているということ。そしてそれは、夜光との関係云々に左右されることではない。葵の感情は、葵だけのものであって良いはずだった。
 すくっと立ち上がり、胸の中の鬱屈した思いごと吐き出すように大きく深呼吸する。まだ力がかかれば痛みを発する脇腹の傷に、少々呻いたのが我ながら締まらなかったが。
「少し出歩いてこよう」
 部屋に引きこもっているから、気持ちも鬱屈するのだろう。終の涯についての見聞を広めるためにも街を歩いてくれば、気分も変わるかもしれない。だいたい、やっと傷も良くなってきたというのにこんな不甲斐ないありさまでは、夜光に合わせる顔が無い。
 掻き回したせいで乱れてしまった髪を結い直し、軽く身なりを整えると、葵は気分を切り換えて部屋を出て行った。

 街を歩くと、桜がいよいよ葉桜に変わろうとしているのがほうぼうで眺められた。風に舞い散る花びらも、いよいよのように多い。春色に染まった街を、散りゆく花びらがさらに埋め尽くしてゆく。
 徒歩だから、あまり最玉楼から遠くまでは行けない。朱の櫓門を出て、ゆっくりと周囲を見て歩いた。
 一人で歩く終の涯は、少しは慣れつつあったが、やはり当たり前に妖達が路を行くのに内心どきりとする。人間と変わらない姿の者もいるが、肌に輝く鱗の見える者、角や獣の耳や尻尾のある者も多い。肌の色や髪の色、瞳の色、目の数も様々だ。
 だが終の涯にいる限り、彼らは争いごとは起こさない。いつぞや鏡花という娘に言われたように、向き合えば葵が人間だと分かる妖も多いのかもしれないが、素知らぬ顔で道を歩いている限りは、とりたてて目を向けられることもなかった。
 あまり大通りから逸れたことがなく、ふと見かけた脇道に入ってみたら、屋台が雑然と並んでいる細い路に出た。表通りの店と違い戸口や長い暖簾がない分、何を扱っているのか分かりやすい。
 並んでかけられた面には、目の孔に鬼火が点っており、歩く葵の姿を追ってぐるりと動いた。金魚掬いの露店を覗けば、水の張られていない水槽の中に、ふわふわと金魚が漂っていた。風を受けてからからと回るたくさんの風車や、様々な形や材質の風鈴、焼き蜀黍もろこしやふかした馬鈴薯など、葵にも分かるものもある。だが大部分の果物や駄菓子、玩具らしきものに到っては、どんな味の食べ物なのか、どう扱うものなのか判別できないものばかりだった。
 美味そうな匂いに覗いてみた屋台では、鹿肉の串焼きを一つ目の店主に調子よく売りつけられた。肉と交互に刺さった野菜は赤や黄など色とりどりで厚みがあり、葉物でも根菜でもないことは分かるが、やはり何だか分からない。
 鹿肉なら大丈夫だろうと思い切って食べてみたら、肉は臭みも無く柔らかくて、驚くほど美味かった。しゃくりとした食感の野菜も、甘味があって肉に合う。
 が、野菜の最後のひとつをかじった途端、口から火が出るかというほど辛くて思わず吹き出した。
「あっはっは。おにいさん、いい反応だねえ。そいつは地獄辛子っていう、そのまんま地獄のように辛い唐辛子さ」
「じ……地獄、辛子……?」
 涙目になって口を覆い、あまりの辛さに口をはふはふさせながら、そのおどろおどろした名前を繰り返す。
「おうよ。辛いものが大好きな妖でも、それを一口だって食べきるのは並大抵じゃないってシロモノだよ」
 無理ならこっちによこしな、と店主に串を回収され、かわりに水の入った竹茶碗を差し出された。
「……ありがとう。少し落ち着いた」
 まだまだ口の中は辛かったが、水を飲みまだしも喋れるようになって言うと、店主は一つ目を楽しそうににんまりさせた。
「おにいさん、ここに来たばっかりだろう。慣れた客はこんなもんに引っかからないからな。あんまり変なもんを食わされないように気を付けるんだよ」
 さらに口直しの飴玉をひとつ貰い、葵は礼を言って屋台を後にした。
「やっぱりまだ、一人で食べ歩きは避けた方が良さそうだ」
 妖達の多くは気さくで悪戯好きなようで、屋台の間を歩くだけでも、いきなり目の前に雲のような入道がわいて出て驚かされたり、ひらりと流れた細い反物に足を掬われそうになったり、かと思うと桃に似た甘い果物を投げよこされたり、いろいろなことがあった。
 面白くはあったが疲れてもしまい、路地から大通りに戻る頃には、いささか葵はぐったりしていた。
「あいたた……どこかで少し休みたいな」
 驚いた拍子に飛び退いたり、転びそうになって身体を捻ったりとかなり動いたせいで、傷も少々痛む。だが、さてどこで休もうか。と視界を巡らせたとき、いつぞや夜光と休んだ甘味処が目に入った。
 一度夜光と訪れているぶん、店の様子も分かる。それにあの店の品書きは、餅や心太ところてんなど、葵でも分かるようなものが多かった。
 妖の街とはいえ、店を利用する勝手は人間の街と大差ないようだ、というのも分かってきた。あそこなら大丈夫だろうと、葵はその店に足を向けた。
 店先には赤い傘が開かれ、その下に赤い布の張られた長椅子が置かれている。その前に差し掛かったとき、葵は思いもよらぬ相手に、ばったりと出くわした。その相手も、思いがけぬように葵を見返した。
「おまえは……」
「あんた、あのときの」
 呼び方が心なしか刺々しくなった。目の前に立った男の、乱れなく結い上げた黒髪に、一重の整った顔立ち。隙の無い直垂に袴姿。
 貴彬、というその名前を思い出し、葵は咄嗟に肩に力を入れて身構えていた。とにかく第一印象が悪かった上に、この男の持つ鋭利で神経質そうな雰囲気は、どこか兄の清雅を思い出させた。
 そんな葵を、貴彬はじっと見つめた。何を考えているのか分かりづらい、切れ長の黒い瞳。数秒の後、貴彬は淡々と、だが意外なほど穏やかではある声音で切り出してきた。
「良い処で会った。おまえ、もし暇にしているなら、ここで一緒に茶でも飲まないか」
「え?」
 思いがけないどころではないその申し出に、葵はきょとんとした。


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