cats and dogs

‐original BL novels‐



一章 終の涯(九)

   § : 「妖は宵闇に夢を見つ」
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 夜光が部屋に戻るより前のこと。
 葵はあたりを通りがかった者に頼み、竹筒に入れた水と、簡素な長着を分けてもらった。傷に気を付けながら寝間着を着替え、朱色の長い髪を簡単に結わく。部屋の隅に置いてある櫃から、細長い錦の袋に入った匕首を取り出し、懐に挿し込んだ。
 寝床を上げていこうかとも思ったが、身を屈めて力を入れるにはまだ骨が折れた。それに、何もここに戻らないつもりではないのだ。立つ鳥のようにあとを始末していく必要はあるまい。
「…………」
 そう、戻らないつもりではないのだ。戻らなければ、夜光に心配をかける。突然流されてきた得体の知れない自分を、あれほどまでに親身に世話してくれた。その夜光に黙って居なくなることなど、道義にもとる話だ。
 懐に抱いた匕首を、知らず着物の上から押さえていた。戻らないつもりではない。そう自分に言い聞かせながら、葵は竹筒と杖を手に部屋を出て障子を閉め、縁側を歩き出していった。

 突然流された、この奇妙な場所。ここから自分の元いた場所に帰れるのか、とは、夜光と話したあの瞬間まで、自分から訊ねることはどうしてもできなかった。
 夜光との会話を反芻しながら、葵は何度も折れ曲がる長い廊下を歩き、楼閣側へと入った。楼閣に入れば、壁や柱のあちらこちらに、建物内の案内図や案内札が掛けられていた。
 ──帰れるのか、など。それを訊いたところで、どうなるものでもあるまいに。
 無意識のうちに、奥歯を噛む。なぜあのとき、夜光に訊ねてしまったのだろう。帰れると分かってしまえば、余計に苦しくなるだけなのに。
 夜光や双子の子鬼達を見慣れていても、初めて見る人ならぬ姿をした者と行き会うと、さすがにどきりとした。
 皆ひとまず、人の形はしていた。だがそこに、葵には見たことも無い様々なものが加わっている。杖を貸してくれた者のように、色々な形の獣の耳や尻尾のある者。肌の色や髪が、青や緑や桃色など「あちら」では見たことも無い色合いである者。一本角や二本角、小さなものから大きくねじれたものまで、それぞれ様々な角を頭部に生やしている者。中には稀に、夜光のように髪や瞳の色合いが人間とは異なるだけの姿の者もいた。
 忙しそうにしているのは、最玉楼の使用人達だろうか。まだ夕刻前であるせいか、娼妓や芸子らしき華やかな姿は見えず、楽の音も聞こえない。広い場所や客室らしき方向は避けたから、客らしき者には出会わなかった。
 楼閣の中を、葵は出来る限り何食わぬ顔で通り抜けた。巡らされた太く立派な朱塗りの梁や柱は、それは見事なものだ。廊下やきざはしも広く、天井も高い。全体にどっしりと重厚なあちらこちらに玉や玻璃が填め込まれ、こぼれんばかりの花が生けられ、彫刻や彫像、きらびやかな屏風に絵画が飾られている。
 花は見覚えのあるものも、そうでないものもあった。彫刻はどれも恐ろしいほど緻密で美しく、蓮に似た植物や天女像、龍や亀や朱雀に似たもの、様々な獣な似た幻獣のような姿であったりもした。
 それらのひとつひとつに圧倒されながら、葵はやがてようやく最玉楼の玄関広間に辿り着き、正門をくぐって表に出た。
 最玉楼の外に踏み出すのは、いささか勇気が要った。争いは禁じられている、という夜光の話が本当なら、葵が一人で外に出ても危険なことは起こるまい。まして今の葵の姿は、とてもマレビトとは思えない。夕凪の空を思わせる朱色の髪は、むしろ人ならぬ者達のそれに近かった。
 実際外に踏み出してしまえば、拍子抜けするほど誰も葵を顧みなかった。
「…………」
 葵はしばらく馬鹿のように呆けて、目の前に広がった光景を眺めていた。
 賑やかに行き交う者達の多くは二足歩行で、大半は人型をしていたが、中には完全な異形の者もいる。物の怪というより他にない姿の者もいる。それらの者が着物を着込み、あるいは部分的に衣服や甲冑を身につけている。
 虹色に淡く輝くような不思議な青空を見上げれば、明らかに鳥ではない大きな影がいくつも見えた。人型のもの、何かよく分からない四つ足らしきもの、伝説の龍を思わせる蛇のような形のもの。荷物を運んでるらしきものや、きっと乗り物だろうと思われる屋形車や屋形船まで飛んでいる。
 ──まるで御伽草紙の世界だ。
 葵は若干の眩暈を覚えながら、杖を片手にそろりそろりと路を進んでいった。
 大通りの両脇には、様々な飲食店や宿屋、その他葵にはよく分からない店が並んでいた。開いている店もあれば、まだ準備中の店もある。軒先にはいずれも、花の飾りをあしらい透かし模様の入った提灯が下がっている。夜になれば一斉に灯りが点り、花街をさぞ華やかに彩るのだろう。
 路を行く者達の中には、娼妓や芸子だろうかとおぼしき艶やかな容貌の者達も多くいた。いずれも何処かしら人間とはかけ離れているが、目を奪われるほど美しい。豪奢な着物を纏っている者もいれば、普段着だろう姿の者もいる。彼女達あるいは彼らの表情はいずれも明るく、足取りも軽く通り過ぎてゆく。
 賑やかな大通りを真っ直ぐに歩くうち、夜光から話に聞いていた、大きな朱塗りの櫓門が見えてきた。門は大きく開放されている。歓楽街とそれ以外とを分ける門らしかったが、それはただ目印としてだけあるようで、門衛と思われる姿もなかった。
 自分のいたあちら側──こちらでは蓬莱と呼ばれている──における色街を思い出す。あちらの色街は、一見華やかではあったが仄暗かった。遊女達は皆どこか物悲しく翳を含み、貧しさのあまり親に売られてきたり、食うに困って身体を売る者達ばかりだった。そして遊女達が逃げ出さないよう、そういった一角は必ず閉鎖的だった。
「まったく違うのだな……」
 それらのやむにやまれぬ悲壮感が、こちらの花街には感じられない。どこかには苦労したりやむを得ず働いている者もいるのかもしれないが、この大きく開放された豪奢な櫓門が、そもそもの根底からの違いを物語っていた。
 櫓門をくぐり歓楽街から出た先も、街だった。心なしか通りの幅が広くなった気がする。行き交う者達が皆何かしら異形異彩であるということを除いては、街並みや建物の基本的な構えなどは、意外に葵の知る街並みと大差は無いように見えた。
 だが、建築様式や構造、軒や柱や屋根の装飾などには、繊細な曲線や彫刻が多く使われた、終の涯独特の雅がある。街の到るところに緑が爽やかな樹木が植えられ、街角という街角では、色とりどりの季節の花が咲き零れている。
 今の時期に最も目に付くのは、華やかな桜や桃、木蓮に花水木だ。その他にも、芍薬や鬱金香、撫子、瑠璃唐草、躑躅つつじ、雪柳……様々な花がいっせいに開花し街を彩っている様は、美事というより他に無い。清らかな水路が街中を走り、ゆっくりと水車が回り、その水路の傍らには閑静な石畳の遊歩道が巡らされていた。風に散った花びらの浮かぶその水路をまたいで、至る所にかけられたあかい橋も美しい。
「桃源郷か……」
 多種多様な者達が集いながら、争いのない、平穏で豊かな街。なるほど、この美しい街を見て帰ったマレビト達が桃源郷と言っても、なんら不思議はない。葵の住んでいた「あちら」の街とは、何もかもが比べものにならない。
 通り沿いには何らかの商店も多く、多少なりともこちらの文字を学んでいる甲斐あって、看板や暖簾からそこが何であるのか判別できるものもあった。様々な食べ物屋や食材屋。酒屋に反物屋、染物屋、刃物屋、工芸品屋、雑貨屋や小間物屋……薬屋もあるということは、やはり妖達も怪我や病気をするのだろう。
 人間の街でも見かけるような店が、案外多い。だがそれらの中に混じって、葵にはなんだか分からない店も当然多い。なんだろう、と一軒の店先を覗き込んでみて、そこに人型の胎児らしき何かの木乃伊や、切り取られ干された何かの手脚や翼、ぎっしりと瓶詰めにされた目玉などを見付けたときは、さすがにぎょっとして飛び退いてしまった。
 ゆっくりと杖をつき、身動きすれば痛みを発する傷を庇いながら、葵は終の涯の街をあてもなく歩いていった。
 途中で腰掛けられそうな場所を見付ければ座り、休み休み進んだが、歩くごとに傷から響く痛みが強くなっていく。それはそうだろうと、どこか他人事のように考えた。葵の身体は、怪我の状態も体力も、まだこれほど長時間動き回れるほど回復していない。萎えた手脚は、一歩ごとに重くなってゆく。きっと、夜光に知れたら大目玉だ。
 ふわりとした肩口までの乳白色の髪に、透き通る紫水晶のような瞳。綺麗で優しげな姿の夜光が、眉根を寄せて「いけません」と叱る様が脳裏に浮かび、葵は思わず小さく笑った。
「すまないな、夜光……」
 何も言わずに出てきてしまった。部屋に戻って葵が居ないことに気が付けば、さぞかし心配するだろう。
 だが、帰ろうと思えば帰れるのだと知ってしまったら、あの静かな部屋でじっと寝ていることが出来なくなった。帰れない、と言われる方が、まだましだった。なぜなら帰れないのであれば、自分はもう「あちら側」に関わることが出来ないという絶対の現実と、言い訳を手に入れることが出来たからだ。
「…………」
 俯き、杖を握る手に力がこもった。
 戻れないのであれば、まだ自分を許せたのに。まるで御伽草紙のような世界に流れ着いたこの身を、まだしも過去から切り離すこともできたのに。
 少し休んだ葵は、また歩き始めた。進む先に、何やら街の中にこんもりと小高い、もりで固められた丘のような場所が見えた。
 身体を庇いながら、そちらに足を向ける。麓まで近付くと、そこには上に登ってゆく苔むした石段があった。麓にあった茶店の店員に「この先には行っても良いのか」と訊ねてみると、上は眺めが良いから登ってみるといい、と言われた。
 この体調で登り切れるだろうか、と思ったが、すぐに心を決めた。
 見たところ、こんもりとした杜に埋もれた石段の先には、街の他の場所と違って人の気配がしない。
 この先なら、一人になれるかもしれない。無意識に動いた手が、懐の匕首を着物の上から確かめていた。
 見ると西の空に、だいぶ太陽が傾いている。虹色の環のかかる、幻想的で不可思議な太陽。
 黄昏の色を帯び始めた空を一度見上げ、葵は石段に向かって足を踏み出した。

 苔むし磨り減った石段は、等間隔に並ぶ石燈籠に挟まれていた。
 繁った樹木が蒼い天蓋となって頭上を覆い、陽差しを遮っている。くらくなりつつある、木漏れ日が差し込む静謐な空気の中、年季の入った石段と踏み固められた土の路とが、思ったよりも長く交互に続いていた。
 急な傾斜ではないから、きっと健康体であればそこまでの苦労はしない道程なのだろう。しかしここに来るまでに相当体力を削られ、ずくりずくりと響く傷の痛みも強くなる一方だった葵には、その古びた石段を登っていくことは、ひどく骨の折れる作業だった。
 途中で何度も休み、ようやく石段の頂きに辿り着いた頃には、空には夕紅の色が広がっていた。行き着いた先は平らにひらけ、展望台のようになっていた。
「やっと、着いた……」
 完全に息が切れている上に傷が痛み、登り切った石段にへばりつくようにしたまま、しばらく葵は動けなかった。
 頬を撫でる風が涼しい。最初は心地良かったが、呼吸が整い汗が冷えるにつれて肌寒くなってきた。
 特に大きな右脇腹の傷を呻きながら押さえ、ようやく身を起こして頭上を仰ぐ。薄い雲が朱金色を帯びて輝く夕空は、呼吸を忘れるほど美しかった。
 石段の頂に這い上がり、身体の向きを変えてそこに座ると、眼下には大きな景色が広がっていた。
 広がる街には、無数の星々のような明かりが灯り始めていた。街の上空の低い位置に、黄昏の色にまぎれるように三日月が浮かんでいる。
 こうして高台から見下ろしてみると、街並みが碁盤目に整えられているのがよく分かる。街がどれほどの大きさなのかは、杜の木々に遮られて全ては見渡せなかった。全体に平坦で、それほど高い階層の建物はない。
 それらの中で、ひときわ目立つのは最玉楼だ。街を南北に貫く目抜き通りの中心に位置し、敷地も群を抜いて広大な最玉楼は、こうして見るとまさしく街の主の住む城のようだった。
 街の上空を、またたく星々のような光がゆっくりと無数に移動している。あれはおそらく、昼間地上から見上げた不思議な屋形船や屋形車の灯りだろう。
 葵から見て左手に当たる方向に湾があり、空と海を鮮やかな夕映えに染め上げながら、燃え立つような太陽が水平線の彼方に沈んでゆこうとしていた。太陽にかかる月虹のような輪が、まるで壮麗な金冠のようだった。
 内海になっている陸地の際に沿って、白い弓のような海岸線が見える。きっとあそこが、葵が流れ着いた浜なのだろう。
 美しい落陽に、葵はしばし目を奪われていた。ふと、違和感があった。何だろうと首を捻りながら目を凝らしてみる。そして、気付いた。
「……海が」
 かつての葵の館近くにも海があった。大海原を見はるかす断崖の上まで早駆けし、季節ごとの様々な海を眺めるのが好きだった。
 そのとき見ていた遥かな水平線には、ごく僅かなまろみがあった。視界の右から左まで、広く見通せる場所ほど、それは分かりやすかった。
 今見える夕映えの海には、そのまろみが無い。海の方角には遮るものが少ないから、かなりの広範囲に渡ってぐるりと水平線を見渡せる。黄金に輝く海の際は、どこまでも真っ直ぐだった。
「海が、違う……」
 どれほど多くの異形達を目にしていても、見える空や月や太陽が異なっていても、それでもどこかでここが「異界」だと完全に納得することは難しかった。眠っては目覚め、癒えない傷が痛んでも、どこかで夢を見ているようだった。
 だがこの光景を前にしたとき、強く頭を殴られたような衝撃があった。実感が重い錘となったかのように、ようやく腹の底まで落ちてきた。
 ──ここは本当に違うのだ、自分の生まれ育った世界と。そしてこれは、本当に夢ではないのだ。
「はは……」
 ひどく愕然としたまま、一瞬笑ってしまった。葵は両手を持ち上げ、額髪を握り込むように顔を覆った。
 ──これは夢ではない。
 これはまぎれもなく、あの呪わしい日々の続きだ。実の兄に陥れられ、どうすることもできずに戦い、敗れて、戦場いくさばを彷徨った末に暗い海に落ちた、あの夜の。
「なんてことだ。俺は……」
 顔を覆ったまま呻く。ここは異界なのだ、これは夢ではなく自分は確かに生きているのだ、と心底受け入れたときに奔流の如く甦ってきたのは、あの暗い海に落ちるまでの数日間の、耐え難い苦悩と哀しみだった。
 真っ先に浮かんできたのは兄の顔。父が死ぬまでは、厳しくも優しい兄だった。しかしその兄は、家督の安定のために実弟である葵を除くことを決め、問答無用で謀反人の濡れ衣を着せた。
 兄の差し向けた兵との、絶望的な戦いを思い出した。次々に大事な者達が斃れ、親しかったすべての者と乱戦の中で離れ離れになった。葵とその郎党を狩るための炎が、闇の中に赤々と天を焦がすのを見た。
「俺は……死ねなかったのか」
 結んだ紐がいつの間にか緩み、長い髪が頬の横に落ちて、夕暮れの風に揺れた。
 黄昏の色を吸って、さらに鮮やかな朱色に照り映える髪。そんな髪を持つなんて人ではない、おまえは鬼の子だと、幼い頃からさんざん言われてきた。そうやって葵を貶める連中に、馬鹿なことを言うな、葵が鬼などであるものかと、そうきつく言い据えて庇ってくれたのは、幼い頃の兄清雅だった。
「────ッ……」
 ぐしゃりと、透ける朱色の髪を握り込んだ。噛み合わせた奥歯がぎしりと軋み、きつく瞑った瞼が熱を持った。
 ──自分のせいでみんな殺されてしまったのに。自分一人だけ死に損なったのか。俺ひとりだけが死ねなかったのか。
 まるで、まさしく言い伝えに聞く鬼のようだ。人の命を喰らい、その嘆きや苦痛を喰らい、それを糧に生きる恐ろしい鬼。俺は、本物の鬼になってしまった。
 これまで堰き止めていた感情が怒濤の如く湧き上がり、心臓を鷲掴みにされる心地がした。抑えようとしても、喉の奥から込み上げてくる熱いものを押しとどめることができなかった。
 帰れますよ、と言った、夜光の声が甦った。帰りたくない、と言えば嘘になる。どれほどの苦界くがいでも、葵の世界はあちらだ。こちらがどれほど豊かで美しく争いのない理想郷でも、それでも懐かしいあの場所に帰りたい。何より、帰れば誰かに会えるかもしれない。もしかしたら、誰かが生き延びているかもしれないのだ。
 だがそうであればこそ、葵はあちらに二度と姿を現してはいけなかった。逃げ延びた者達は、葵に出会えば葵を立てようとするだろう。それは必ず兄の知るところとなり、再び同じ事が──むしろいっそう残虐に──繰り返されるだけだろう。
「…………」
 懐に押し込めてきた細長い布の袋を、葵は取り出した。家紋入りの綾錦の袋におさめられているのは、疵一つない黒塗りの匕首。あの日最期の幕引きを己でするために、刀を折られ弓弦が切れても、これだけは懐に抱き込んでいた。
 綾錦の袋の口を解くと、見覚えた美しい黒の匕首が現れた。それを手に握り込んで、じっと見つめた。
 命が惜しいわけではないが、死にたいわけでもない。一度助かってしまったら、そしてまだ誰かが生きているかもしれないと思えば、あさましくも死ぬに死に切れない気持ちがまさる。
 だが、もうこのままでは生きていかれない気がする。もはや生きる甲斐もなく、帰る場所もないのなら、これ以上いたずらにずるずると生き続けるのも無意味で、難儀なことだ。
 ──いっそひと思いに、これで。
 深まる夕闇がいよいよ西の空を深く鮮やかな真紅に変え、握り締めた匕首の鞘に夕陽が強く反射した。
 そのとき石段の下の方から、小走りに駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
 今時分に、こんなところに誰だろうと訝しむ。いつの間にか石段の両側に並ぶ石燈籠に、ふんわりとした明かりが灯っていた。
 天蓋の如く繁る木々のせいで、石段はもうすっかり暗い。石燈籠の儚げな明かりの中、やがて色の淡い着物と白い髪が浮かび上がって見え始めた。
 息を切らしながら小走りに駆け上がってきた人影に、葵は思わずその名を呼んでいた。
「……夜光」


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