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‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (19)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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 街を発つ電車の時間は、お昼ちょっと過ぎ。
 それに間に合うように、俺はおじいちゃんに車で街まで送ってもらうことになっていた。
 やがて予定の時間になり、たいした荷物もない格好でバッグを斜め掛けにして、玄関で履き慣れたスニーカーを履いた。
「優希や。これ、お昼に電車の中で食べなさい。気を付けて帰るのよ」
 そう言って、おばあちゃんがお弁当の入った手提げの包みを持たせてくれた。
「うん……ありがとう」
 包みを受け取ったとき、おばあちゃんの小さな温かい手にふれて、俺はちょっと泣きそうになってしまった。
 こんなことで泣くなんてガキかっ、みっともない。
 俺は慌ててぐっと息を飲み込み、波立ちそうになった感情を抑え込んで、おばあちゃんに笑いかけた。
「おばあちゃんも元気でね。今年の冬は、みんなで一緒に年越ししよう」
「そうね、待ってるわよ。今から楽しみねぇ。たくさんご馳走を用意しないとね」
 おばあちゃんは嬉しそうに笑い、お弁当を受け取った俺の手を優しく包み込むように一度ぎゅっとして、それから手を引いた。
 おじいちゃんと一緒に乗った車が走り出し、姿が道の向こうに隠れてしまうまで、おばあちゃんは門の外でずっと見送っていてくれた。
 濃い緑の向こうに埋もれて、すぐに古い家は見えなくなっていく。
 思わず後ろをずっと見ていた俺は、完全に家が視界から消えてしまうと、やっと荷物を抱えて、座席に座り直した。
 ……やばい。なんだかちょっと泣きそうだ。
 俺は開け放った車の窓から流れ込む涼しい風を頬に受けながら、濃い緑と土の匂いを、いっぱいに吸い込んだ。
 俺が口を結んでいるせいか、いつもなら何かしら喋っているおじいちゃんも、今日は「良い天気だなぁ」とか「入道雲が高ぇなぁ」とか、俺が相槌を打てる程度のことしか言わなかった。
 車窓の外を流れてゆく、遠くに連なる淡い色の稜線。まだまだ強い夏の陽差しに照り輝く、木々の緑。その強い陽差しすら届かないほど鬱蒼とした森の暗がりや、ガードレールの向こうの清流。
 それらの合間から、輝くように波打つ棚田や段々畑が見える。それもじきに姿を消し、曲がりくねりながら、山の中をひたすら降ってゆく道となった。
 何度も街と行き来して眺めてきた景色を、俺は黙って見つめていた。
 小学生の終わり、やっぱり同じように車に乗ってあの家から離れた時の記憶は、俺の中にほとんど残っていない。
 それだから尚更、今度こそこの風景の眩しさを、名残り惜しさを覚えておきたかった。


「忘れものはねぇか? なんかあったら、すぐ送ってやっからよ。遠慮しねえで言ってこいよ」
「うん。大丈夫」
 駅のコンコースで、俺はおじいちゃんの言葉に頷いた。
 広くて綺麗なコンコースを行き交うのは、大半が観光客だ。山間の家とは流れる時間の単位すら違うような街の空気に、俺はだいぶ気分が切り替わり、きちんとおじいちゃんに挨拶することができた。
「おじいちゃん、いろいろありがとう。長い間、お世話になりました。仕事、頑張ってね」
「おう。また冬になったら遊びに来い」
「うん。また来るよ」
 おじいちゃんに頷いて、俺はスマホの時計を見た。
 そろそろホームに行ってた方がいいかな。指定席だし、ここが始発だから、そう焦る必要はないんだけど。
 こういうお別れムードが、どうやら俺はあまり得意じゃないらしい。
 っていうのを今頃自覚したのもどうかと思うけど、おじいちゃんも余所を向きながらどこか所在なげにしているのを見て、ちょっと笑ってしまった。
 今日はいつになく口数が少ないし、おじいちゃんもこういうの、あんまり得意じゃないのかもしれない。
 そう思ったら、全然似てないと思ってたおじいちゃんと俺の共通点を見付けたようで、ちょっと嬉しかった。
「じゃあ、俺、そろそろ行くね」
「お、おう」
 言うと、おじいちゃんが慌てたように俺を見た。その顔が一瞬くしゃりと歪んで、おじちゃんはますます慌てたように瞬くと、大きな手で、俺の頭をくしゃくしゃっとした。
「元気でやれ。けど、無理はすんじゃねえぞ。おめぇはわしに似ず、どうも手抜きが下手だからな。肩の力ぁ抜いて適当にやっとく方が、案外何事もうまくいったりするもんだ」
「……うん。そうできるように、頑張る」
「バカ野郎、頑張るんじゃねぇ。適当だっつってんだろうが」
 しょうがねえなと笑ったおじいちゃんに、俺はまた、あやうく涙腺が緩みかけた。
 自分が大事にされてるってことを、素直にありがたく、嬉しいと思える。そんなことすら、俺はこの夏休み前には出来なかった。
 心が柔らかくなった分、嬉しいだけじゃなく、悲しいとか寂しいって気持ちにも、だんだん俺は無防備になってゆく。
 なんとか笑い、「それじゃあ」と後ろを見ないようにして、俺は改札を抜けた。
 が、ちょっと歩いたところで、後ろを見ないように、というささやかな努力を台無しにする出来事に見舞われた。
「優希くーん!」
 だだだっと駆けてくる足音が聞こえてきたかと思うと、突然聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。
「へ?」
 ぎょっとして振り返ったら、息を切らして駆け付けてくる、背の高いイケメン大学生、こと八島お兄さんの姿が目に入った。
「や、八島さん?」
「八島、おめえっ。店番はどうしたんだッ」
 思いがけぬ姿に、俺とおじいちゃんが同時に声を上げた頃には、八島さんはおじいちゃんの隣に辿り着いていた。
 ずっと駆けてきたのか、八島さんはかなり息を切らしていた。
「優希くんが、今日帰るって、聞いたからっ。無理いって、夕子さんに、ちょっとだけ代わって、もらいました。すみませんっ」
 途切れがちに言ったかと思うと、八島さんは改札の向こうから、持っていたコンビニの袋を、俺に向かって放り投げてきた。
「優希くん、それあげる!」
「う、わっ、ちょッ……!」
 いきなりそんなものを投げつけられて、俺はぶっちゃけものすごいびびった。
 運動神経も反射神経もブチ切れてる俺に、いきなりなんてことするんだ、八島さん!
 心臓が飛び上がりそうになりながら、俺は不格好に、なんとかコンビニの袋を受け止めた。それはかなりの重量感があって、しかもひんやり冷たかった。
 袋の口は縛られてるけど……袋ごしの輪郭やうっすら透けて見えるパッケージからして、某炭酸飲料のペットボトルか? それに、お菓子がいくつか。
「それ好きって聞いたから。帰りの電車の中で飲んでね!」
 多少距離があるとはいえ、そこまでの大声じゃなくても聞こえるだろっていう八島さんの声に、そこら中の人達がこっちをちらちら見返った。
 恥ずかしさでぶわっと赤くなった俺は、完全にしろどろもどろになってしまった。
「あ、は、はい……ど、どうも……」
「それから、冬休み、俺もまたバイト雇ってもらうから! 白い人も一緒に、店に来てくれよなぁ!」
 改札の向こうから、笑顔でぶんぶんと、八島さんは手を振った。
 その言葉と笑顔に、俺は思わず言葉に詰まってしまった。
 思わず、抱えたコンビニの袋をぎゅっと抱き締める。
 ……ちょっと、いや、相当に恥ずかしいけど。
 八島さん、俺なんかのことを気に掛けてくれてたんだ。迷惑だってかけたのに、今日帰るって聞いて、わざわざ駆け付けてくれたんだ。
 やばい。泣きそう。
 熱くなった瞼をぎゅっと瞑り、俺はうつむいて、呼吸を整えた。
 イイトシして、こんなことでこんな場所で泣いたら、末代までの恥だ。今くらい根性見せろ俺の涙腺っ。
 俺は後戻りし、改札を隔てて普通に互いの声が届く程度の位置に立ち止まった。
「炭酸なのに、こんなに振り回して。めっちゃ泡立ってますよ。飲めるわけないじゃないですか、こんなの」
 なんとか熱いものを喉の奥に押し込んで、八島さんに言った。きっとハンパに歪んだ、若干ヘンな笑顔になってただろうけど。
「でも、嬉しいです。ありがとうございます。また冬休みに遊びに来ますね、八島さん」
「おー。んじゃさ、そしたら一緒に初詣いこうよ、初詣」
「それはいかん、八島ッ」
 そこにすかさずおじいちゃんがツッコんできて、俺は軽く驚いてしまった。
「優希はわしらと初詣に行くと決まっとるんだ。おまえなんぞに譲ってやらんからなっ」
 いつの間にか、そこまで決まってたんだ……でもなんだか、そんなところでムキになってくれるおじいちゃんが、ちょっとかわいくて、かなり嬉しいや。
「えー、そんなあ。俺も一緒にいきたいっすよー。駄目なんすか?」
 残念そうに言う八島さんに、俺はくすくす笑ってしまいながら言った。
「ていうか、八島さん、カノジョとかいないんですか。わざわざ俺なんかを誘わなくても」
「それとこれは別! 俺は優希くんとも初詣いきたいのー」
 カノジョがいることは否定しないんだな、八島さん。いや、そりゃそうか。
 だって、イケメンな上にめちゃくちゃ良い人だもん。俺みたいなヒネクレ者が、おかしくて嬉しくて、素直に笑っちゃうほど。
「んーと……それじゃあ、八島さんも一緒に来るっていうのは? ね、おじいちゃん、別に良いでしょ?」
 俺が問いかけると、おじいちゃんは難しい顔でちょっと考え込んだ。
「む……まあそれなら、特別に許してやる」
「おー、ありがとうございますっ。じゃあ約束っすよ。後からやっぱりダメ、とかナシですからね」
「一度良いと言ったもんをダメとは言わんわ。八島、おめぇ、優希に感謝しろよ」
 あははは、と八島さんとおじいちゃんが賑やかに笑うのを聞きながら、俺は時間を見た。
 名残惜しいけど、きりがなくなっちゃいそうだ。電車の発車時間も迫ってるし、そろそろ行こう。
「それじゃ、電車の時間近いから、俺もう行くね。八島さんもお元気で」
「うん。優希くんもね」
「おう。優希、達者でな。風邪ひくんじゃねぇぞ」
 うん、と頷いて、大きく手を振ってくれる八島さんとおじいちゃんに俺も手を振り返し、歩き始めた。
 八島さんのおかげで、最後にしんみりせずにすんだな。良かった。出来れば笑って、お別れはしたいから。
 姿が見えなくなる直前で、もう一度だけ最後に手を振り、俺は真っ直ぐにホームへの階段を上がっていった。


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