cats and dogs

‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (13)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
▲「空咲く花に戀うる君は」シリーズ 目次へ

△「夏の櫻」目次へ

<< 前のページ / 次のページ >>


「……せん、し」
 バカみたいに口を開けて見上げると、扇紫が振り返った。ちょっと垂れ目の緊張感のない顔つきで、俺を安心させるように、扇紫は笑った。
「すまぬ、優希。遅くなった」
「お、おま……っ」
 遅いよ。ほんッと遅いよ!
 安堵した反動で声を上げかけたものの、びっくりするほど舌がもつれて、まともに言葉が出なかった。
 扇紫からあふれ出す清浄な白い光が、俺のことも包み込んで、異様な動悸や身体の奥の冷たさが解消されてゆく。それでもまだ歯の根が合わず、手脚の身動きがきかなくて、細かな震えも止まらなかった。
 震えている上に、派手にすっ転んだせいであちこち傷だらけの俺を見て、扇紫がほんの少し、優しい形に整った眉をひそめた。それからまた、ふんわりとした笑顔になる。
「もう大丈夫だ。すぐに始末を着ける故、しばし待っていておくれ」
 扇紫は俺を守るように立つと、白い袖をふわりと直しながら、前に進み出た。その動きに、装束や髪飾りを彩る宝玉や貴金属が揺れ、それさえ清らかに聞こえる音を、しゃらりと響かせた。
 あらためて辺りを見ると、西の果てに僅かな残照が滲んでいる程度で、空の大部分には降るような星がまたたいていた。
 こんなに暗くなるくらい、けっこう時間が過ぎてたんだ……俺、どのくらいあの変な赤い世界で迷ってたんだろう。
 涼しい夜風が吹き抜ける中、よく目を凝らしてみたら、扇紫の放つ白い光が届かないぎりぎりのあたりに、もぞもぞとあの黒いモノ達が蠢いているのが見えた。
「ヒッ」
 それを目にした瞬間、俺はまた、喉を引きつらせた。
 ソレを「恐い」と思ってしまうことは、本能が警鐘を打ち鳴らしているように、思考や理性を越える反応だった。人智の及ばぬ混沌とした闇に対する、原始的な恐怖とでも言えば良いのだろうか。
 だけどソレらは、俺がアカカガチだと思ったあのときよりも、明らかに萎縮して身動きが鈍くなっていた。扇紫の纏う白い光に押しやられて、こちらに近寄ることが出来ずにいるように見える。
 扇紫はそれらを、透き通る金色の瞳で一瞥した。
「禍つもの達よ、去れ」
 凜、と闇を打つ、声。
 扇紫がほっそりとした指を持ち上げ、その手にあった閉じた扇の先で地面を指し示し、すうっと横に動かした。
 するとその動きに沿って、真一文字に白く輝く光の線が、道を分断するように横切って走った。
 その光の線は、あちら側とこちら側、というように、俺達と黒いモノ達の間を隔てた。
「此方側は、其方らの領分ではない。大人しく去れば良し。去らぬのであれば、少しばかり仕置きをせねばならぬぞ」
 扇を広げ、ゆったりと構えるように立ちながら、扇紫は宣言した。
 口調は穏やかだけど、これまでに聞いたこともない、揺るがぬ芯を持った強い響き。こんな扇紫の声は、初めて聞く。
 黒いモノ達は、戸惑うようにいくらか退いた。それらは扇紫の光に圧倒されるように、徐々に小さくなっているようにすら見えた。
 いなくなってくれるのか、と思ったのも束の間、黒いモノ達が突然動きを早めた。一ヶ所に寄り集まり、団子状に絡まり合う。ソレは既に形らしい形も無く、寄り集まった分だけ肥大し、不気味に蠢いた。
 たちまち巨大な塊に膨れ上がったソレは、間髪入れずにこちらに襲いかかってきた。
「ひっ……!」
 びびった俺が悲鳴を上げかけた目の前で、扇紫が地面に引いた線に沿って、光の壁が一瞬にして立ち上がった。
 光の壁と正面から接触したソレは、耳を塞ぎたくなるような名状しがたい叫びを放った。接触した瞬間に、寄り集まったソレの何割かが蒸発するように消し飛び、残ったモノ達も散り散りになって吹き飛んだのが見えた。
 ……マジか。
 あっけにとられてぽかんとしている俺をよそに、微動だにしなかった扇紫が、その光景を眺めながら小さく笑った。広げた扇で口許を覆い、おおらかな抑揚で言う。
「これでも、まがりなりにも神と呼ばれる身ぞ。舐めてもらっては困る。さて、まだ仕置きが足りない輩は居るかの?」
 その問いかけに、明らかに散り散りになった黒いモノ達がためらった。
 そこにたたみ掛けるように、扇紫が告げた。
「其方らが此の者に近付くことはまかりならぬ。己が領分を守り、今後二度と此方側を侵すでない。分かったな」
 その言葉を聞き入れたように、黒いモノ達は一斉にざあっと退いた。あっという間に、蜘蛛の子を散らすように逃げ散ってゆく。
 森の奥や草木の影、あるいは土の中に融け込むように彼らが消え去ると、あたりにはものの数秒で夜の静けさが戻って来た。それこそ、何事もなかったかのように。

 気が付けば、空には青白く欠けた月が昇っていた。
 銀色の月光が雫のように降り注ぎ、そこに佇んでいる白い付喪神を、優しく煌めくように彩っていた。
「優希」
 ぱたり、と扇を閉じて懐にしまい、扇紫が俺を振り返った。
 いつの間にか最初に現れたとき放っていた強い白光は和らぎ、その白い狩衣姿は、夢幻のように仄かな真珠色の光を纏っているだけだった。
 尻餅をついたままの俺の傍らに、扇紫が白い狩衣の裾をふわりと広げて膝を落とす。俺の顔を覗き込んだ少し垂れ目の綺麗な顔が、柔らかな月光の中、滲むように微笑した。
「安心いたせ。もう大丈夫だ」
「……あ」
 助かった。
 何が何だか分からないままだけど、その実感だけは、心地良い夜風と扇紫の姿に、急速に込み上げてきた。
 と思った途端、ぼろぼろっと子供みたいに涙があふれた。
「……こっ……恐かっ……お、遅いん、だよ……ッ」
 ​​​恐かった。
 本当に、本当に、恐かった。何が起きてるのか分からなくて、逃げることもできなくて、禍々しいモノに射竦められて。わけも分からないまま、もう駄目かと思った。
 気が緩んだ途端に俺はしゃくり上げ、まともな言葉も喋れず、震える指を扇紫に伸ばしていた。
 転んだせいで、伸ばした指だけじゃなく、服のあちらこちらが泥だらけだった。擦り傷から血が滲んでいるところもある。
 こんな状態で触ったら扇紫が汚れる、と頭の片隅で思ったけど、完全に理性の箍が外れてしまった俺は、白い姿に縋り付くことを止められなかった。
 そんな俺を、ふんわりと、白く暖かな袖が包み込んだ。全身を包み守るような優しい力で、でも確かめるように、ぎゅっと抱き締められる。
「そうだなぁ……すまなかった、優希。もう大丈夫だ。安心いたせ」
 きっとくしゃくしゃになっているだろう髪を、ゆっくりと撫でられる。沁み込むように優しい声音が、何度も何度も大丈夫だと繰り返す。
 薫衣の香と白い暖かさに包まれ、俺は少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
 俺が完全に泣き止むまで、扇紫はずっと俺を抱き締めて、ゆっくり髪を撫で続けてくれた。

 しばらくしてようやく泣き止んだものの、貧血に陥ったようにすっかり俺はふらふらで、しかもひどい頭痛がした。あちこち打ったり擦り剥いたところも、今更ながら痛み始める。
 扇紫にいろいろ問いただしたかったけど、歩くことすらおぼつかず、とてもまともに会話ができる状態じゃなかった。
「ひとまずは、家に帰るとしよう。話はまた後で、ゆるりとすれば良い」
「……うん」
 扇紫はぽんぽんと俺の頭を撫でてから、ひょいと俺を背負って、夜道を歩き始めた。
 扇紫の背中は思いのほか広くて、暖かくて、しっかりしていて。ぺたりと完全に凭れてしまうと、心の底からほっとした。
 一歩進むたびに等間隔で、扇紫を彩る様々な装飾が、ちりん、しゃん……と小さな音を立てる。凭れた背中が揺れるのが心地良い。
 ぎゅっと、可能な限りの力で、無自覚のうちに扇紫の着物をつかんでいた。
 いつしか俺は、吸い込まれるように、自分でも知らないうちに眠りに落ちていた。
 夢うつつの綺麗な音色と、ただ薫衣の良い香りがしていて、あんな目に遭った直後なのに、恐い夢は見なかった。


<< 前のページ / 次のページ >>


▲「空咲く花に戀うる君は」シリーズ 目次へ




web拍手 by FC2
▲コメント(拍手)&返信欄
コメント大歓迎、お気軽にどうぞ!