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‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (12)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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 ぽつぽつと広い間隔で灯る街灯を辿り、真っ黒い森と棚田を横に見ながら、誰にも行き会わない道を行く。
 道端に唐突に設置された小さな古い祠や、ぽつんと置かれたお地蔵さんが、赤い夕陽の下だと不気味に映えて、俺はますます足早になった。
「あれ?」
 違和感に気付いたのは、商店街を抜けてから、かなり歩いた頃だった。
 こんなに遠かったっけ、家まで?
 スマホを取り出して、薄暗い中で眩しいほど白く光るディスプレイを見る。
 商店街を抜けてから、かれこれもう二十分は歩いてるはず。
 それだけ歩けば、見覚えた家の近くに来ているはずなのに、右手に鬱蒼とした森、左手に夕陽を受けて赤く輝く棚田っていう光景に、何も変化が見られなかった。
「やば。道間違えた?」
 あまり迷う余地のない道だと思っていたけど、うっかり違う道に入ってしまったのかもしれない。
 慌てて俺は踵を返し、元来た道を引き返し始めた。若干焦りながら、道祖神の像の置かれた四つ辻を、小走りに通り過ぎる。
 何本目かの街灯の下を通り抜けたところで、ぎくりとした。
「あれ?」
 数メートル先に見える、赤い夕陽に照らされた四つ辻。そこにある長い影を引いた小さな道祖神の像に、見覚えがあるような気がした。
 あれって……さっき通り過ぎた道でも見なかった?
 無意識のうちに、やや恐る恐る、辻に近付く。
 なんとなく直視してはいけないような気がして、横目に小さな像を見た。いつからそこにあるのか、長い歳月を物語るように磨り減った、特徴的な姿の像だった。
 足早に辻を通り過ぎ、気が付いたら駆け足になっていた。
 走って心拍数が上がっているという以上に、心臓が嫌な感じに早鐘を打つ。半袖のシャツから伸びた素肌の腕に、ぴりりと不快な緊張が走る。
 視界の先に見え始めた、夕暮れの中に佇む薄ぼんやりとした街灯と、赤く照らされた四つ辻。
 その片隅に佇んでいる、さっき見たのと寸分違わぬた小さな道祖神の像に、俺は喉が干上がる思いがした。
「……なんで?」
 違う、見間違いだ。
 呟きかけた言葉を、即座に自分で否定する。
 四つ辻も道祖神の像も、こんな田舎にはどこにだってあるだろう? 何も珍しいもんじゃない。
 それにしたってそっくりすぎないか、という理性の声をねじ伏せて、俺はまた、辻を駆け抜けた。
 あえて何も考えず、全速力に近い勢いで走る。薄暗い中で慣れないことをしたもんだから、足がもつれて思いっきりすっ転んだ。
 咄嗟に顔を庇ってついた右の掌と左腕に、衝撃と痛みが走る。庇ったものの、頬もひりっとする。膝も痛い。一瞬息が詰まったほど、あちこちがめっちゃ痛い。
 だけどその痛みすら忘れて、俺は視界の先の光景に目を見開いた。
「嘘だろ。なんで……」
 なんで、また、同じ辻なの?
 なんでまた、あの道祖神の像があるの!?
 混乱したまま起き上がり、そしてぎょっとした。
 ──視界が赤い。
 ぎくりと心臓がハネ上がって、思わず空を仰ぐ。
「なんだよ……これ」
 尋常じゃない、空の赤さだった。
 今は夕暮れ刻なのは分かる。でも、こんな色の空を見たことがない。透明感なんて一切ない、生き血をぶちまけてべったりと塗り潰したような、一面に毒々しい真紅の空。
 どちらが西で東なのかさえ分からない。身動きもできずに真っ赤な空を見上げているうち、耳鳴りがしてきた。
 ​​​……物音が、しない。
 自分が身動きする音や、自分の荒い呼吸音以外は、何も聞こえない。静かすぎて耳鳴りがする。
 いつもだったら騒々しいほどの蛙や虫の声も、気が付いたらまるで聞こえない。夕暮れ時には空を覆うほど飛び交っている野鳥の影も、真紅の空には一匹も見当たらなかった。
 風さえ吹いていない。これだけそこらじゅうに草木があふれてるのに、枝葉がそよぐかすかな音すらしない。かわりにあるのは、世界が閉ざされたような異様な静寂と、心臓をぎゅっと絞られるような、重苦しい圧迫感。
 ──いつの間に? いったいいつの間に、こんなことになってたんだ?
 ぞくぞくと、首の後ろあたりの毛が逆立った。
 こんなの、おかしい。何がどうしてこうなったのかは分からないけど、こんなの普通じゃない。
 自分で考えたことに、ギクリとした。
 普通じゃないなら……今起きているこれは、何なんだ?
 真っ赤な空を茫然と見上げるうち、猛烈な悪寒が背筋を駆け上がってきた。
 俺、夢でも見てるんだろうか。でも、走って切れている息も、転んだ痛みも、ここにこうしている五感はあまりにリアルで、とても夢だなんて思えない。
 それにこれが夢なら、いつから、どこから夢なんだ。夢ならいっそ、早く覚めてくれよ。
「何なんだよ、これ……っ」
 もう、痛いなんて言ってる場合じゃなかった。
 立ち上がろうとしたものの、膝が笑っていてうまく力が入らない。半端に尻餅をついた格好で、あたりを見回す。
 すぐそこにある古ぼけた道祖神の像が、異様に恐かった。今すぐこの場所から離れたいのに、足が動かない。
 そのとき、視界の端に妙なものをとらえた。
 道の片側に広がる、鬱蒼とした森の中。おそるおそる顔を向けたその暗がりに、ぽつりぽつりと赤く小さな光が二つ並んで点っているのを、俺は見てしまった。
 異様な赤に輝く世界と相反して、森の中は何も見通せないほど暗い。
 その暗がりに、二つぽつぽつと並んでいる、小さな赤い光。小さいけれど鮮明に禍々しく輝く、そして明確な意思を持って俺をはっきりと捉えている──一対の赤い眼。
 ぞわっ。と、全身の毛穴が開くような悪寒が走った。
「あ……」
 アカカガチ。なぜかするりと、そんな言葉が浮かんだ。
 アカカガチのような眼に、一つの胴体に八つの頭を持つ──と神話に謳われるそれと、暗い森の奥から俺を見ている何モノかが、勿論同じであるわけがない。
 だけれどその得体の知れない双眼の赤さは、それくらい禍々しいものを感じさせた。俺とは「存在」の根底から相容れない、属する世界が違うとしか言い様のない、理解すらできない陰鬱で邪悪なモノ。
 ソレはまさしく蛇に睨まれたなんとやら状態で、完全に俺をその場に呪縛した。
 ……何だよ、あれ。
 気が付いたら、ガクガクと手脚が震えていた。指先まで異様に冷えて、呼吸が詰まって、歯の根が合わない。うまく息ができない。目を逸らして一目散に逃げ出したいのに、立ち上がることすらできず、赤く点る双眼から目を離せない。
 ──あんなもの。この世のモノじゃない。
 ──ここは、俺の知ってる世界じゃない。
 ──ここは、この世じゃない……!
 ゆらりと、赤い二つの光が揺れた。真っ暗な森の奥から、身動きできない俺を目指して、赤い眼を持った何かが、ずるりと道に這い出してきた。
「それ」の姿は、よく見えなかった。四つ足が生えたように見える真っ黒いモヤ、としか言い様がなかった。
 姿がよく見えないのに、異様に輝く赤い双眸だけは、くっきりと見える。
 気が付いたらその一体(?)の他にも、森の奥に点々と、赤い双眼が揺れていた。
 モヤのように不確かに揺れながら、ずるりずるりと森の奥から這い出してくるそれらに、俺は総毛立った。
「…………ひっ……」
 恐い。
 恐い。恐い。恐い!
 何だよ、あれ。何だよあれッ!
 あまりに俺の常識から外れすぎた出来事の連続に、もう理性的な言葉なんか出て来なかった。
 尻餅をついたまま、金縛りに遭ったように身動きもできず、ぞろりぞろりとにじり寄ってくる黒いモノ達を、ただ俺は凝視していた。
 氷の塊を呑まされたみたいに喉がふさがって、胃から食道のあたりが異様に冷たい。脳天からぞくぞくと、爪先まで悪寒が駆け巡って止まらない。眩暈がして苦しくて、脳味噌だけは異様に熱いのに、全身が震えて凍えたように寒い。
 にじり寄ってくる真っ黒いモヤ達は、大きな蛇のようにも、百足むかでのようにも、四つ足の獣のようにも、沢山の脚を持つ蜘蛛のようにも、ゆらゆらと前屈みにゆらめく人間のようにも見えた。
 何がなんだか分からない。ただ分かるのは、「恐い」ということだけ。
 理性が弾け飛ぶか、爪先に黒いモヤが絡みつくのが先か──という、ぎりぎりに張り詰めたそのとき。
 ──ぱぁん!
「……ッッ!?……」
 目の前でいきなり、白い閃光と共に風船が弾けた。としか言いようのない感覚に見舞われ、俺は咄嗟に腕で目を覆った。
 ふぉん! と全身を撫でるように空気が勢いよく後方に流れ、静電気のような感触が耳の奥をくすぐる。
 空気の塊が俺にぶち当たって流れていったようなその感覚の後、ハッとした。
 ──鳴き交わす野鳥の声や、蜩や蛙の声が、はっきりと鼓膜を震わせていた。
 頬に涼しい風が当たり、さわさわと草木がさざめく音がする。空間が解放されたように、空気にさっきまでの奇妙な重苦しさや、圧迫感が無い。
 何より、ちりり、しゃらん……と響いた小さな澄んだ音色と、ふんわりと漂った仄かな薫衣の香に、俺は理屈より先に安堵して、涙が滲みそうになった。
 目を覆っていた腕を離すと、ひらりと目の前を舞うものがあった。
 ──桜の花びら。
 はらりはらりと舞う花びらを纏いながら、俺の目の前に、眩しいけれど柔らかな光に包まれて立つ後ろ姿があった。
 柔らかい光なのに、大きく広がるそれは、完全に辺りを圧している。
 白い狩衣をふわりとなびかせ、緩く結われた腰よりも長い青紫の髪を揺らめかせた後ろ姿が、その光の中心──俺の目の前に、爪先を少し地表から浮かせて出現していた。
「何やら小鬼が騒がしいと思って来てみれば、よりにもよってこのような無体を働いておるとは。此れはちと、いただけぬなぁ」
 浮いていたくつの爪先をゆっくりと地面に下ろし、この場の状況にまったくもってそぐわないおっとりとした調子で、白い光の中に佇む扇紫が言った。


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