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第3話 夏の櫻 (11)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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 滞りなく夏休みの日々は過ぎ、いよいよ帰る日まで、残り五日を切った。
 送れる荷物は先に送るため、段ボールに箱詰めにしている間、俺はひたすら暗く重い溜め息を繰り返していた。
「はぁ……」
 日を追う毎に、この古い屋敷に対する郷愁が強くなる一方、帰った先で待ち受ける学生生活という日常に、どんどん気が重くなってくる。
 帰ったらまた、建前の付き合いでしかないクラスメイトで埋まった教室に毎日通うのか。そう思うと、もうこのまま退学したいです、と言いたいほど気分が滅入ってくる。そんなわけにもいかないけどさ。
 どやかましい蝉の大合唱すら愛おしく感じられてくる中、俺はふと、窓辺の文机に目をとめた。
 これも一応持ち帰ろうかと、そこには扇紫の舞扇の入っていた古い桐箱が置いてある。
 扇紫を連れて帰ることへの迷いや躊躇いは、まだ整理がついていない。そのことも、俺を落ち着かなくさせる。
 扇紫に一緒にいてほしいと、俺は確かに思っている。扇紫が一緒に着いてきてくれるなら、まだ俺でも頑張れる気がする。
 でも扇紫には、あんな俗世間的で雑然とした街の中はふさわしくない。この古い家のような、静かで美しい場所がふさわしい。
 まして先日、おじいちゃんのお店で見た姿に、あらためて扇紫は人間ではないのだと、俺は再認識してしまった。
「……はぁ」
 ひたすら、溜め息。
 ……俺、なんだかんだであいつに依存してるよな。
 一緒にいても苦にならない、それどころか姿が見えないと、視線が無意識にあいつを捜していることすらある。
 その事実に、俺は思わず額を覆った。
 うう。わりと由々しき事態だぞ、これは。
 胸の奥が鈍く疼いて、思わず息を止め、自分のシャツの胸元をつかんだ。
 ​​​──甘えすぎたら駄目だ。依存しすぎたら駄目だ。
 感情よりも先に、そんな言葉が強く浮かぶ。言い聞かせながらも、ネガい気分に引きずられて、あっという間に思考がぐるぐるし始める。
 ああ、もう。悪い癖だって分かってるのに。
 ──だって、俺は「失う痛み」を知っている。どれほど大切で大好きな人でも、こっちの都合や感情なんかお構いなしに、存在が失われてしまうことがあるのを知っている。
 あんな痛みと喪失感は、もう二度と味わいたくない。その事態を避けるためには、二度と誰に対しても深い好意なんて抱かなければいい。大事な相手なんて作らなければいい。
「…………」
 考えながら、ばふ、と荷物を詰めた段ボールの上に額を落とした。
「……くっそ」
 ​​​──理屈ではそうなんだよ。いくらだって理屈なんか並べられるんだよ。
 だけど、好意だとか大事に思ってしまうこととか、そういうのは、もう理屈じゃない。
 失う痛みを強く恐怖しながら、俺はもう、扇紫を特別に懐の中に入れてしまっている。
 その事実に、鈍い疼きとはまた別の、焦れるような切ない痛みが胸の裡を走った。
「うー……」
 この感情の正体が、俺自身にも分からない。煮え切らなくて、自分で自分にイライラする。
 これでいいんだろうか、と疑問に思い、未来を恐れながらも、俺は扇紫を無意識に捜したり、一緒にいると楽しいと思ってしまうことをやめられないんだろう。
 そうして時間が経って、経験や歳を重ねていけば、また何か違う答えが見つかるんだろうか……。
「はぁ……」
 心の中でひたすら愚痴りながら、大きく溜め息をついた。
 段ボールの上におでこをつけてぐったり凭れたまま、俺はだるい気分で毒づいた。
「……くっそ。帰りたくねーなぁ……」
 帰りたくない。学校にも行きたくない。だけど、そういうわけにもいかない。
 あーもうっ。終わらなきゃいいのになあ、夏休み。


 夕方近くになって、俺は急きょ、近所の公民館まで足を運ぶことになった。公民館に入っている図書室の本を、借りっぱなしなことに気付いたのだ。
 貸し出し期限は今日までになっている。確認したら明日と明後日は、公民館が休館日になっていた。
 休み明けに返しに行って謝れば、多分許してはくれるだろうけれど、それも気が咎める。それに時計を見たら、まだ閉館に間に合う時間だった。
「ちょっと行ってくるか」
 こっちにいられるのも、あと僅かなんだ。夕涼みがてらの散歩と思えば悪くもない。
 どうせなら扇紫を連れていこうかと思ったが、ざっと辺りを眺めても姿が見えなかった。
 まあそれなら仕方ない。俺はおばあちゃんに「ちょっと図書館に行ってくるね」と言い置き、一人で出かけることにした。

 家から徒歩三十分ほどの距離に、ささやかな商店街がある。自転車を使っても良かったけど、のんびり景色を眺めたかったから、歩いていくことにした。
 徐々に陽が西に傾いていく中を歩き、やがて見えてきた昔ながらの商店街は、けっこう買い物客で賑わっていた。
 小さなスーパーに、各種食材屋さん、お総菜屋さん。花屋に駄菓子屋さん、手作り豆腐の店。クリーニングや宅急便も扱っている雑貨屋さん、床屋さんや電気屋さん、等々……日々の生活に必要な店舗が、このあたりで一番大きな道路を挟んで軒を連ねている。
 商店街を中心に、それなりの戸数の住宅が固まっていて、このへんはかろうじで町と呼べる程度の人口があった。
 記憶にある眺めと変わらない風景を、懐かしいような気分で眺めながら、俺は商店街を通り抜けた。
 商店街を抜けた先に、町役場と隣り合って、郷土資料館も兼ねた公民館は建っている。
 公民館の一階にある図書室は、もうがらんとしていて、並ぶ窓から金色の西日が差し込んでいた。
 この古くて紙とインクの匂いのする図書館も、俺はけっこう好きだった。
 無事に本を返し、公民館を出たら、西日はいっそう眩しさと赤みを増していた。
 スマホを取り出して、時刻を確認する。来るときにちょっとのんびり歩きすぎてしまったらしく、少し早足で帰らないと、夕食に遅れそうな時間になっていた。
 商店街を抜けると、急に街灯の本数が減る。いちおうぽつぽつと家までの道程に街灯はあるとはいえ、その間隔はかなり遠い。
 人の姿はあっと言う間に無くなって、道を歩くのは俺だけになった。
 赤い空に蜩の声が、高く物悲しく交叉して響く。
 道の脇に広がる森は、空が赤みを増すにつれ、光を通さない真っ黒い影に変わってゆく。
 夕暮れ時の少し強い風に木々が煽られ、ザワザワッと思いがけず大きなざわめきがあたりを包み、俺は一瞬びくっとした。
 ……早く帰ろう。
 田舎の誰もいない暗い道って、けっこう不気味なんだ。明るいうちは鳥避けの音や農作業中のトラクターの音が聞こえたりして、人の姿は見えなくてもけっこう賑やかなんだけど、暗くなってくるとそれらの音もぴたりと止んで、途端に世界から人工的な物音が一切消える。
 何より田舎の夜は、完全に日が暮れると、本当に真っ暗になる。
 まだ西の空は明るさを残しているとはいえ、俺は無意識のうちに家路を急いだ。


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