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‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (10)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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「せ……」
 扇紫、と思わず呼びかけたとき、お店の引き戸が開く音がして、お客さんが入ってきた。
「おお。やっべ、めっちゃ仕事サボってた」
 はっとした八島さんが、慌てて立ち上がった。慌ただしく休憩室を出て靴を履き、お店に出て行く。
 いらっしゃいませ、と明るくお客さんに呼びかける八島さんの声に、俺は夢から覚めたように瞬いた。
 そんな俺に、扇紫が首を傾げた。
「どうした、優希?」
「……ううん」
 俺のよく知っている、おおらかな扇紫の眼差し。
 その綺麗な金の瞳や、光に透ける青紫の髪を見上げ、首を振った。
 うん、大丈夫。ちゃんと扇紫だ。遠い過去の扇紫のことは知らなくても、今ここにいる扇紫のことは、俺はちゃんと知っている。
 たったのあの一瞬程度のことで、子供のような不安にかられてしまった自分が、急に恥ずかしくなった。
 ……俺、もしかして、自分で思ってるよりも扇紫に依存してるのかな。依存だけじゃなくて……扇紫に対する執着やこだわりが、強くなってきてるんだろうか。
 扇紫のことを好きだと思うし、傍にいてくれると安心するのは間違いない。でも、そんな自分の感情の正体が分からない。
 恥ずかしいのと困惑と、それに切ないような動揺が入り交じり、俺はもう一度、今度はさっきよりも強く首を振った。
 頭を切り換えようと、両腕を上げて、んーッと大きく伸びをする。
「意外に疲れたなあ、今日は。けっこう歩いた」
「そうだなぁ。帰ったら、冷たいさいだぁを飲みたいものだ」
「おまえ、なんだかんだであれ、気に入ったんだな」
「うむ。はじめは驚いたが、優希の云う通り、慣れてみれば美味いものだな。しゅわしゅわするのと、からいのと、不思議と甘いのがたまらぬ」
 笑いながら言った扇紫が、そこでふと、あらたまったように俺を見た。
 うん?
「優希よ。今日は、本当に楽しかった。これほどほうぼうを出歩いたのは久方振りだ。私を連れ出してくたこと、礼を云う。どうもありがとう」
 ゆっくりと瞳を微笑ませた扇紫に、俺は思わず動揺した。
「あ、うん……いや、てか、そもそも俺のためだったし。せっかくこっち出てきたなら、俺もぶらぶらしたかったし」
 うわ。ちょっと、なんか顔が熱い。
 そういえば今頃気付いたけど、驚いたのに気を取られて、扇紫に今回のお礼言ってないや。こっちが先に言わなきゃいけないのに、また先を越されてしまった。
 慌てて下を向いて、俺はもごもごと口走った。
「だから、別に……その、別におまえのためじゃないから。そっ、それから……その……今日は、あ、ありがと……」
 もう、何なんだよ俺ッ。てか、扇紫も急にあらたまってんなよっ。なんて言えばいいか分かんねーじゃねーか!
 そんな俺に、扇紫は金色の瞳を丸くする。ややあって、その綺麗な顔が、勿体ないほどくしゃりと甘く嬉しそうに笑みほどけた。
「うむ。優希の役に立てたならば、私も冥利に尽きる。嬉しいぞ」
「……う、うん……」
 ……ああ、もう。なんか俺、つくづく扇紫に振り回されてないか? そんなふうにニコニコ来られたら突き放せないし、結局こいつの思う壺にハマッてる気がする。
 かといって、こいつが嬉しそうに笑ってるのを見ると、俺も……まんざらでもなく嬉しくて。こいつがもっと嬉しそうに笑う顔が見たい、とか思ってしまう。
 ……って、あああ何言ってんだ俺!? 恥ずかしい! 何なのノロケてんのアホなの!? 扇紫の脳天気っぷりが伝染したのッ!?
 ひとり頭を抱えて悶絶していたら、またお店の引き戸が開く音がした。
「おう八島、お疲れさん」
「お帰りなさい、泰平さん」
 あ。おじいちゃんだ。
 俺は慌てて顔を上げ、やけに熱いような気がするほっぺたをぱんぱん叩いた。
 八島さんの声が聞こえて間もなく、作務衣姿のおじいちゃんが、休憩室にひょこりと笑顔を覗かせた。
「おう、来とったか優希」
「う、うん。お疲れ様、おじいちゃん」
 俺を見るなり、おじいちゃんが、むむ? と眉を寄せた。
「なんぞ、優希。風邪でもひいたか? やけに顔が赤いじゃねぇか」
「あっ、いや……き、今日、けっこう外にいたからかな? 多分あれだよ、日焼けしたの」
「おお、そうか。ならええ。どうだ、楽しかったか?」
「​​​……うん。楽しかった」
「そうか、そうか」
 おじいちゃんは嬉しそうに目を細くして頷くと、思い出したように、手にしていた紙包みを差し出した。
「ほれ、みたらし団子を買ってきたぞ。出来たてだぞ。美味いうちに食え食え」
「あ、うん。ありがとう」
 俺が紙包みを受け取ると、おじいちゃんはまたすぐに、お店の方に戻っていった。八島さんと何か遣り取りする声が聞こえてくるから、まだ仕事の続きがあるみたいだ。
「そなたが此処に来ることが、泰平殿は嬉しいようだなあ」
 声が聞こえてくる方を見やりながら、ふふ、と扇紫が笑った。
「そっか」
 手の中の温かいお団子の包みに、俺は視線を落とした。
 おじいちゃんに、嬉しいって思ってもらえてるのかな。だとしたら……俺も嬉しいな。
 扇紫のおかげか、自分は大事にされている、と、いつもより素直な気持ちで受け入れることができた。ちょっと気恥ずかしいような、くすぐったいような感じがするけれど。
 包みを開けると六本のみたらし団子が入っていて、まだほかほかと湯気を立てていた。
 俺とおじいちゃんと八島さんで、二本ずつでいいのかな? 俺と扇紫は、一本ずつ分ければいいか。
「ん。おいしい」
「んむ。美味いのう」
 二人でもぐもぐやってると、八島さんが休憩室に入ってきた。
「おー、うまそう。俺にも分けてくれー。ちゃんと泰平さんの許可はもらった!」
「どうぞ。おいしいですよ、これ」
 この人もよく食べるよなあ。だからそんなに背が高いのかな。
 途端に賑やかな空気になった休憩室で、醤油の味と香りのするみたらし団子を、俺はゆっくりと味わって食べ終えた。
 そろそろと出始めた一日の疲れも快く、なんだかんだおやつをけっこう食べて少し眠くなってきた俺は、風の抜ける窓辺に移動して壁に寄りかかった。
 聞こえてくる蜩や、ツクツクボウシの声。ゆっくりと暮れなずむ、入道雲の浮かぶ空。
 心地良い涼みを帯びた風に、近付いてくる夏の終わりを感じる。
 窓辺でそれらに五感をゆだねながら、過ぎてゆく季節が、ほんのり名残惜しかった。


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