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‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (6)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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 さすがにゲームソフトを新たに購入する予算はなく、見ると欲しくなってしまうから、そちらには足を向けずにフロアを後にした。
 扇紫が物珍しそうに、辺りを眺めている気配が伝わってくる。きっとあの屋敷を離れて見るものは、扇紫にとってはすべて珍しくて、面白いんだろう。
 百貨店ならもっと様々なものがあるかもしれないと、ぶらりと足を向けてみた。
 催し物フロアでは、全国物産展、地元の工芸展、現代アートや切り絵の展示即売会などが開催されていた。その中を適当にうろつくのは存外に楽しく、気が付けばけっこう時間が過ぎていた。
 スマホで時間を確認すると、もう昼をとっくに回っていた。
 喉が渇いたな。それに、ちょっとおなかもすいた。
 少し悩んだ末に、表通りにあるドーナツショップに向かうことにした。
 やや緊張して店内に入り、美味しそうな甘いバターの匂いの中、ずらりと様々なドーナツが並んでいる前に立つ。
『おお、洋菓子か。何やらたくさん並んでおるな。ふむ、どーなつ、と云うのか。どれも美味そうだのう』
 どれにしようか考えているそばで、テンション高めの扇紫の声がした。
 付喪神もドーナツなんて食べるんだろうか。いや、そもそも扇紫の奴、今は姿も消してるしなあ。
 扇紫が食べるか不明だし、ひとまず好きなドーナツを二つ選んでレジに向かった。
 食べたいものをトレイに乗せて持っていけばいいだけだから、コミュ障な俺にも、このチェーン店はまだしも攻略難易度が低めだ。お会計のときに「あとアイスミルクティを下さい」くらいは、さすがに俺でも言える。
 ちょうど奥まった一人用のテーブルが空いていたので、トレイを手にそちらに向かった。
 壁と観葉植物の陰に隠れて、他からは少し見にくい位置のテーブルに腰を下ろすと、はぁと大きく息が洩れた。
 夏休み中の観光地なだけに、駅周辺はかなり人通りが多い。やっぱり、人の多い場所にいると気疲れする。
 冷たいミルクティのグラスにストローを挿し、一口含むと、ほっと一息ついた。
 買ってきたドーナツは、クリームやチョコがたっぷりなものは少し苦手なので、ごくオーソドックスな穴あきドーナツと、ふわふわもちもち食感が癖になるリングドーナツだ。
 一口食べたところで、姿の見えない扇紫からの異様に熱い視線を感じた。
「……おまえも食べたいの?」
 目視できなくても、目を皿のようにしてじーっと見つめてくる扇紫の姿が見える気がする。問いかけると、ぱっとその目が輝く様が見えた、気がした。
『うむ、とても美味そうなのだ。食べてみたい』
「って言っても」
 扇紫は今実体じゃないはずなのに、どうやって食べるんだ?
『優希よ。そのまま、しばし動かずにいておくれ』
 考えていると、そんなことを扇紫が言った。
 ん? このままでいればいいってこと?
 ドーナツを持ったまま動かずにいると、ふわっと動く扇紫の気配を感じた。目には見えないはずなのに、俺の手にあるかじりかけのドーナツを、横から身を乗り出してぱくりと食べる姿が、その一瞬確かに視えたように思った。
 あれ? と思った次の呼吸で、俺は手元のドーナツが一口ぶん欠けているのに気付いた。扇紫の姿は、勿論見えない。
『うむ、美味い。とても甘くて柔らかくて、倖せな味がするのう。なるほど、これがどーなつと云うものか』
 若干もごもごした声で、扇紫が言う。てことは、やっぱり今、こいつが一口食べたのか。
 仏壇のお供え物が不思議と減ることがある、とかいう、よくあるオカルトなネタを思い出す。あれって幽霊だかなんだか分からないけど「実体がないモノ」がどうやって飲み食いしてるんだろうって思ってたけど、ナルホドね。「見えない」人間にとっては、その瞬間ってこういうふうに見えるのか。
 変なところで納得しながら、俺は結局ドーナツを扇紫と半分ずつ分けて食べた。
 おかげであんまりおなかは膨らまなかったけど、分け合って食べたドーナツはやけに美味しかった。


 一息ついた俺は、そろそろおじいちゃんのお店に向かうことにした。
 扇紫に多少なりとも街の風景を見せてやるつもりでぶらつきながら、水路が美しい路に入り、やがて昔ながらの商家町に入る。
 古風ゆかしい街並み界隈は、お盆が明けた真っ昼間のせいか、先日よりは人の姿が少なくて歩きやすかった。
『このあたりは変わらぬのだな。少々人と店は増えたようだが』
「まあ、観光地だしね」
 そんなたわいもない会話を、俺は可能な限りひそめた声で交わしながら、車が一台やっと通れる程度の幅の石畳の道を、散歩がてら歩いてゆく。
 そのうちお店の暖簾が見えてくると、先日の出来事がよみがえって、思わず立ち止まっていた。
 今日は扇紫がいるから大丈夫だろう、と思いつつも、あのときの具合の悪さを思い出すと、やっぱり恐い。
『案ずるな、優希。私がついておる』
 それを察したように、扇紫の声がした。
「……う、うん」
『今ならば、店内に客人はおらぬようだ。如何する? しばし様子を見るか』
 様子を見たって、何も変わらないよなあ。俺がその気になれるまで、扇紫は待ってくれるつもりなんだろう。
「いや。いい」
 覚悟を決めて暖簾をくぐり、木製の引き戸を開いた。
 店内に一歩踏み入れた途端、またこの間のような静電気にも似た感触が、ふわりと全身を撫でたのを感じた。
 さわっ──と、店内の「古いモノ」たちがさざめいたのを感じる。この間よりも明確に感じ取れるのは、俺の意識が最初から「それら」に向いているせいだろうか。
 一瞬ためらったが、同時に傍らに扇紫の気配を感じて、気を取り直した。
「……こんにちは」
「いらっしゃいま……って、優希くん!」
 奥のカウンターでノーパソを覗き込んでいた、エプロン姿の背の高いお兄さんが、俺を見るなり驚いたように声を上げた。
 あ、八島さんだ。良かった、今日もお店にいたんだ。
 八島さんはすぐ小走りにこちらにやって来ると、ちょっと茶色がかった目で心配そうに顔を覗き込んできた。
「この間は大変だったね。もう出歩いて大丈夫なの?」
 俺は慌てて引き戸を閉め、ぎこちなくお辞儀をした。
「だ、大丈夫です。あの、いろいろすみませんでした」
「いや、そんなんいいって。心配したよ、ほんとに」
 心からほっとしたように笑ってくれる八島さんに、俺は緊張してどぎまぎしながらも、少しだけ気が緩む。意を決し、あらためてきちんと頭を下げた。
「あの、ご心配をおかけしてすみませんでした。本当にもう大丈夫なので。あの、病院にも運んで下さったそうで……ありがとうございました」
「気にすんなー。ま、大事なくてホント良かったわ」
 八島さんはサワヤカに笑い、店に上がるように促してくれた。
「泰平さん、外回りに行ってるんだ。戻るまでもうちょいかかると思うから、よかったらそれまで待ってる?」
「あ。は、はい」
 とりあえず頷くと、八島さんは「ちょっと奥片付けてくるから待っててね」と言って、店の奥に入っていった。奥には休憩室があったはずだから、そっちに通そうとしてくれているのかもしれない。
 一人になった俺は、周囲を見回した。
 物理的には、店内は静かなのは分かる。でも俺の耳には、さわさわさわ……と、雑多な「聲」がそこら中から上がり始めているのが聴こえていた。


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