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‐original BL novels‐



第3話 夏の櫻 (4)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第3話 夏の櫻
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 お盆が過ぎると、急速に夏休みも終わりが近付いてくるような気がする。
 今日もよく晴れた朝。朝食を食べた後、居間の壁に下がったカレンダーを眺めながら、寮に帰らなければいけない日を指折り数えてみた。
 本来なら夏休み中も登校日があるところを、俺は事前に届け出を提出して免除してもらっている。俺だけでなく、離れた土地に帰省する生徒達は大抵そうしていた。
「早いなぁ……」
 こっちに来たばかりの頃は、一日がとてもゆっくり過ぎていたのに。
 いや、毎日が穏やかに過ぎてゆくこと自体は変わらないが、扇紫が現れてからは、なんだか時間の過ぎ方があっという間だ。
 荷物の片付けや寮の掃除もあるから、ギリギリに帰るわけにもいかない。気が付けば、こっちにいられるのはもうあと十日を切っていた。
 あらためてそれを考えたとき、俺は不意にどきりとした。
 ──扇紫は、どうするんだろう。
 扇紫の舞扇は俺がもらったんだし、別に持って帰ってもかまわないだろう、とは思う。一緒に来るかと問えば、扇紫だって嫌だとは言わないだろう。
 でも扇紫は、この古い屋敷に長く棲み続けてきた付喪神だ。おおらかでよく笑う、オカルトな妖怪変化と言うにはどうにもピンと来ない相手ではあるけど、確かに人ならぬモノではある。
 そんな相手を、あんな雑然とした学校の寮なんかに連れ帰ってしまって良いものなんだろうか。
「優希や、手は空いてる? お庭の水撒きを頼んでも良いかしら?」
 考え込んでいたら、台所の方からおばあちゃんの声がした。
「あ、はーい。やっておくよ」
 庭の水撒きを好んでやってるうちに、いつの間にか俺がいる間は、水撒きは俺の仕事という感じになっていた。
 扇紫のことを考えると、胸がモヤモヤした。まだ日数に猶予はあると自分に言い訳し、ひとまず頭を切り換えた。
 いつものように縁側からサンダルをつっかけて庭に降り、蛇口からホースを伸ばして、門の近くから水撒きを始める。
 すると庭全体から、さわっとさざめく気配が起きた。
 それは不快な感触ではなくて、なんとなく俺を歓迎し、挨拶してくれているように感じる。庭の樹木や花々に水を撒くと、嬉しそうに喜ぶ気配がする。
 御門さんに遭遇して以来、ふとした拍子に聴こえるようになった、人ならぬモノたちの『聲』。
 それは多くは鮮明に聞き取れるほどではなく、まして明確な「言葉」として届いてくることは滅多になかった。
 大抵の場合、漠然と感じ取れるのは、なんとなく騒然としていたり、楽しげだったり、驚いていたり。そんな程度の大まかなことだ。俺自身の体調や、ちょっとした調子の浮き沈みで、聴こえる日もあれば聴こえない日もある。
 屋内に居るときよりも、庭の方が『聲』を聴きやすいのは、無機物よりも「生き物」の方が『聲』をよく発するということなのかもしれない。あるいは、そもそも無機物が『聲』を発するに到るには、それこそ扇紫のように付喪神になるほど、長い歳月が必要なのかもしれない。
 相変わらず、俺はこういったことの具体的な知識は皆無に等しかった。それでも不安や疑問をあまり抱かないのは、理屈ではなく感覚的に「そういうものだ」と納得してしまえるせいかもしれなかった。
『アラ、優希ちゃん。朝から精が出るねー』
 急にそんな声をかけられて、俺は視線を落とした。
 視線の先には、まるっこくて茶色い鳥が連なっている。庭をちょこちょこと歩いている、その丸っこい鳥の先頭の一羽が、黒いつぶらな瞳で俺を見上げていた。
「あ、玉子たまこさん。おはよう」
『オハヨー。今日もアッツイねぇ。もーめっちゃしんどいわぁ』
 俺には「ちょっと高めのテンションの女の人の声」に聞こえる声で言うと、「玉子さん」はぴゅるぴゅる綺麗な声で鳴いた。
 玉子さんは、庭のケージで飼われているウズラだ。別に閉じ込められているわけでもなく、昼間はそのあたりをウロウロ、暗くなるときちんとケージに戻ってくる。
 以前水撒きをしている最中、はたりと黒い目と目が合い、御門さんのときと同じように突然『聲』が聞こえて『真名』が浮かんできた。
 ウズラは何羽もいるけれど、玉子さん以外の『聲』は、俺には聞き取れない。玉子さんより年上のウズラもいるから、聴こえる・聴こえないっていうのは、歳ではなく相性や波長の問題が大きいのかもしれない。
 俺に声をかけたあとは、玉子さんは他のウズラ達と一緒に砂浴びを始めた。
『アー、もうサイコーやわぁ。コレばっかりはやめられへんなぁ』
 玉子さんの気の抜けた笑い声に、俺もつられて小さく笑ってしまった。
 そちらにホースを向けないように水を撒き、そのうちいつものように、一本の桜の木の前に出る。
『おはようございます、優希』
 周囲の草木に水をやっていると、桜の木から柔らかな若い女性の声が聞こえてきた。
 蝉時雨にまぎれてしまいそうな細い声なのに、はっきりと聞き取れるのは、これが「肉声」ではないせいなんだろう。
「お……おはようございます、佐保媛さほひめさん」
 若い女性の声であるせいか、俺はやや緊張する。
 ぺこりと頭を下げて挨拶したら、微笑を含んだように優しい印象の声が桜の木から返った。
『いつも有り難うございます。あまり雨が降らないから、皆喜んでおりますわ』
「あ、いえ。俺も水蒔くの好きなんで。だ、大丈夫です」
 うう。相手が人外でも、優しそうな若い女性(イメージ)が相手となると、我ながらひときわ返事がたどたどしい。コミュ障っぷりだけは常に絶好調だ。
 この桜の木──「佐保媛さん」も、数日前水撒きしていたところに突然『聲』が聞こえてきた。
 植物だって生き物だ、とは知ってはいたけど、さすがに桜の木が喋るとは思ってなかったから、そのときはめちゃくちゃ驚いた。
 若いイメージ、とはいっても、それとなくおばあちゃんに聞いてみたら、この桜の樹齢はもう百年は超えているらしい。
 おばあちゃんのおじいちゃん、つまり扇紫の舞扇を骨董屋から仕入れてきたその人が、この桜も植えたのだという。
「何しろ風流な人だったからねぇ。おじいちゃんが集めたものが、蔵にはまだたくさんしまってあるし。門の近くにある梅も、だいたいおじいちゃんが植えたものよ」
 と、おばあちゃんは言っていた。顔も知らないけれど、その人のおかげで今のこの家の風景があって、扇紫もここにいるのだと思うと、何か感慨深かった。
 ホースが届くのがこのあたりまでなので、出来る限り遠くまで水を飛ばし、水道に戻って蛇口を閉めた。
 見上げると、高く青い空に、今日も入道雲が伸び上がっている。空も庭も眩しく、自分の奥の暗い澱みまでもが澄んでいくようだった。

 御門さんに出遭ったのを皮切りに、玉子さんに佐保媛さんといった「真名を持つモノ」や、それ以外に「特に名前の無い奇妙で不可思議なモノ」にも、俺は遭遇するようになった。
 それはたとえば「意思を持つ煙」だったり、突然深夜に廊下を塞いで嫌がらせをするぬりかべ的な何かだったり。
 勿論遭遇したときは驚いたけど、それらはいずれも取り立てて害あるモノではなかったから、根本的なところで御門さん達と同じ──彼らにしてみればただ「普通にそこにいるだけ」の──存在なんじゃないか、と考えるようになっていた。
 行く先々で声をかけられるような状況は、本来なら億劫で鬱陶しくてたまらないはずなのに、この家で起こることは何一つ不快じゃない。
 それはきっと「人間ではない」連中が相手だからなんだろう。人間相手みたいに、言葉の裏や社交辞令を考えなくていい。無理に表情や言葉を取り繕う必要もない。
 その中に、俺自身もありのままで存在していられることは、身体の芯から解放されるように清々しく、安らいだ気分にしてくれた。
 おじいちゃんのお店に行ったときのことを、ふと思い出す。
 あのときは耐え切れずに倒れてしまったけど、あれも『聲』そのものが不快だったわけではなかった。単純に、俺に受け止め切れる許容量を超えてしまっただけの話だ。
 お店に行ったら、また俺はああなってしまうんだろうか。そうだとしたら、もうとてもじゃないが、おじいちゃんのお店には行けそうもない。
 あのお店、古くて懐かしくて、好きだったんだけどな……。
 やるせない気持ちになって、木漏れ日の下で大きく深呼吸したところに、どこからともなくふわりと薫衣の香が漂った。
「優希よ、今日も水撒きか。毎日感心だのう」
「……扇紫」
 明るい陽光の下で見る扇紫は、暗がりで見るときのように発光してはいない。でもどこかふんわりした、現実の空気の中で生きていないような、存在の内側から滲み出す不可視の光輝を帯びた気配は変わらなかった。
 夢でも見てるんじゃないかっていうくらい、本当に扇紫は綺麗だ。
 いつもならこっそり見とれるところを、しかし今日の俺は、無性に切ない気分に襲われた。
 だって、こいつはこんなに綺麗で、人間じゃなくて、この屋敷のこともきっと大事に思ってるのに。そうであるほど、俺の我儘だけでこいつをここから引き離してしまっていいんだろうか、という疑問が強くなっていく。
「優希。どうかしたのか?」
 そんな物思いが顔に出ていたんだろう。扇紫が細い首を傾げ、案じるように金色の瞳で覗き込んできた。拍子にはらりと、長い青紫の髪が、蜂蜜色の木漏れ日を浴びて揺れた。
 そんなこいつを見ていると、なんだかますます切なくなってくる。俺は感情を押し込めるために、むうっと口を曲げ、眉間を寄せた。
「別に、どうもしないよ。おまえこそどうかしたの?」
「ふむ……ならば良いのだが」
 扇紫は手にしていた半開きの扇で、顔の半分を覆うようにして呟いた。
 何か考え込むような間の後、また口を開く。
「優希よ。そう云えば、泰平殿の店の件は如何する?」
 考えていたことを見透かしていたような問いかけに、俺は驚いた。
「い……いかがも何も、もう行けないだろ。またあんなことになるのは、俺だって嫌だし」
 あの時お店で倒れてしまった俺を抱えて、その足で診療所まで運び込んでくれたのは、店番をしていた八島さんだったという。
 本当は、八島さんにもきちんとお礼を言いたいし、謝りたい。でもお店に行ってもあんな具合になるんじゃ、また迷惑をかけてしまうだけだ。
 悲しいような情けないような気持ちで唇を結び、扇紫から目を逸らすために、銀色に光っている水道の蛇口を見た。
「ふむ……」
 扇紫は考え込むように、再び扇を口許に当てた。いくばくかの沈黙を挟んで、扇紫は続けた。
「さすれば、優希よ。ひとつ提案がある。私を泰平殿の店まで連れて行ってはくれぬか」
「え?」
 扇紫を、おじいちゃんのお店に?
「って……なんのために?」
「赴くたびに、優希があのようなことになっていては難儀だからのう。そうはならぬように手を打たねばなるまい」
 扇紫はぱたりと扇を閉じ、いつもの調子で穏やかに笑った。
 扇紫にあれをどうにかできるなんて思ってもいなかった俺は、半信半疑で訊ね返した。
「手を打つって……おまえにどうにかできるの?」
「これでも鎌倉の末の世から在る身ぞ。何かしら出来ることはあろう」
 鎌倉の末……。
 さらりと吐かれたその言葉に、俺はぽかんとした。
 鎌倉って、鎌倉幕府のあの鎌倉?
 えっと、鎌倉時代って十四世紀半ばくらいまでだから……てことは、えぇえ? 扇紫って実は七百年近く生きてるの!?
「お……おまえって、そんな長生きだったわけ?」
 唖然としている俺に、扇紫は悪戯っぽく笑み含んだ。
「ふふ。なかなかの長寿であろう」
 それから扇紫は心なしか表情をあらため、俺を真っ直ぐに見下ろして言った。いつになくきっぱりと。
「優希よ。此度のことは、どうか私に預けてくれぬか。悪いようにはせぬ」


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