cats and dogs

‐original BL novels‐



二の小噺「たゆたうもの」

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 閑話集
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【約2,800文字、読了時間約6分】
その日優希が遭遇したのは、なんとも「つかみどころのない」モノでした。



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 見えている。聞こえている。感じている──というのは、しょせん外部からの「何らかの刺激」を、脳味噌が「そういうものだ」と解釈した結果にすぎない。
 なんて話をどこかで見かけて、じゃあ「今見ている」ものも、「現実に目に映っているもの」とはまるで違う可能性もあるわけだなぁ──とか、そんなもっともらしいことを、俺は考えていた。
 そんな状態で困惑気味に相対しているのは、俺の中では「生き物」とは認識されたことのないモノ。
 いや。生き物どころか、物体ですらない。
 場所は、仏間。
 開け放された障子の向こうには、縁側と明るい夏の庭が見えている。
 今日も元気すぎるほど元気に響き渡る蝉の声と、庭の緑を輝かせる夏の陽差しに、いかにも重厚で古い仏壇が置かれた和室ではあるけれど、陰気な雰囲気はない。
 ないが、梁や天井板や柱に年季が入っているせいか、どうしても若干うすら暗い。
『……あれあれ、良かった。やっと気付いてくれはったわぁ』
 そんな仏間の真ん中あたりに漂っている、薄く白い煙のようなモノが、俺に向かって言った。
 言った、といっても、多分これ、肉声じゃないな。
 扇紫と出会ってから「人間じゃないモノの聲」をしばしば聞くようになった俺は、最近やっと「鼓膜を震わせる肉声」と、「そうじゃないモノの聲」を聞き分けることができるようになってきた。
 俺にとって普通に「聞こえる」のは変わらないから、そもそも「違いがある」ことすら、最初は認識できなかったんだ。
「うん、なんか……気付いちゃったんだけど。ええと、君は、何?」
 我ながら端的、かつカタコトになってしまった。
 少しは「人外」に遭遇することに慣れてきた、とはいえ、それは喋るアシダカグモだったり庭にいるウズラだったり……要するに「人外ではあるけど、実体を持つモノ」達ばかりで。
 だからこんな、「明らかに実体じゃないおかしなモノ」に遭遇したのは、これが初めてだった。
 悪い感じはしないものの、こうして見てると、今にも薄れて消えちゃいそうな、本当にただの煙だし。
 いや、「明らかに実体じゃないおかしなモノ」なら、そもそも扇紫がそうなんだけどさ。
 あいつは古い舞扇の付喪神で、本人談、本来は姿カタチのはっきりしない、曖昧な存在だったらしい。
 きちんとした姿を持っている今も、急に現れたり霞のように消えたりするし、俺以外の人間には、基本的に視認できなかったりする。
 てか、その扇紫はどこにいったんだよ。こんなあからさまに人外めいたモノとの遭遇こそ、あいつの担当領域だろう。
 きょろきょろしてみたけど、どうやら扇紫の気配は、今はこの屋敷の中にはないみたいだった。
 ちっ、肝心なときに。
『……あのう。あんさん、あんさん』
「あっ、うん。え、ええと。何?」
 その煙モドキに呼びかけられて、俺は慌てて視線を戻した。
 ゆらゆらと漂う白い煙は、ゆらめきつつも薄れる様子がない。
 やっぱり、普通の煙とは違う……のかな?
『えろうすんまへんなぁ。ここで出逢うたのも何かの縁。あんさんをお優しいお人と見込んで、ひとつお願いしたいことがあるんどす』
 なんとなく間の抜けたような、やたら暢気な調子で言う「聲」は、男の人なのか女の人なのか、よく分からない。そもそも、そういう区別はないのかもしれない。
「お願いしたいこと?」
『あい。どうかその、お仏壇にありますお線香を、三、四本ばかし焚いてもらえへんやろうか』
「お線香……」
 お線香はたくさんあるから、そのくらい全然構わない。
 でも、なぜに?
「お線香を上げるだけでいいの?」
『それだけでええどす』
 よく分からないけど、それでいいっていうんだから、そうしよう。
 むしろ、下手にお経なんか要求されなくてよかった。南無阿弥陀仏くらいしか知らないもん。
 線香差から三本ばかりお線香を抜いて、ライターで点けた火を振って消してから、香炉に立てた。
 あたりにお線香の良い香りが漂い、糸のように細く白い煙が立ち上る。
 簡単に仏壇に手を合わせてから、俺は煙モドキを振り返った。
「これでいい?」
『おおぉ……おおきに、おおきに。嗚呼、これはまた、大層良い香りどすなぁ。これはええ煙どす』
 煙モドキが、嬉しそうな声を上げた。
 と、見ていると不思議なことが起こった。
 筋となって立ち昇り、解けるように広がってゆく線香の煙が、風もないのに一定の方向に流れ始めた。白い煙は絡まり合う糸のように流れ、煙モドキの方に残らず吸い寄せられてゆく。
 線香の煙を吸い寄せるごとに、今にも消えてしまいそうだった煙モドキの様子が変化していった。細く薄かった煙が、線香の煙を取り込むように膨らみ、大きくゆらゆらとたなびく姿を形成してゆく。
 やがて煙モドキは、畳につくほど長く伸びて、白い薄布が揺らめくようにも見える姿になった。
『……嗚呼、ようようこの姿が戻りよった。おいしゅうおした』
 ぽかんと眺めていたら、伸びをするように煙モドキが揺らめき、煙の中にうっすらと人の顔のような陰影が浮かび上がった。
「ッ……」
 ぎょっとしたけれど、恐いとは思わなかったのは、顔とはいっても、造作が見て取れるほど鮮明ではなかったせい。
 何よりその煙モドキが、相変わらず暢気な調子だったからだろう。
『はあぁ、難儀やったわぁ。あては煙羅えんらと呼ばれるものどす。この間の夜、風がえらいわやくちゃしよる中をぼんやり漂うておりましたら、うっかり煙が剥がれて流されてしもうてなぁ』
「そ、そうなんだ……それは、大変だったんだね」
 すっかり呆気にとられながら言うと、煙モドキは陽気に笑うように煙を震わせた。
『あのままやったら、そのうちに煙が薄うなって、あてはすっかりのうなってしまうところでしたわ。ほんま、おおきになぁ』
 いつの間にか線香はほぼ燃え尽きていて、残らず煙を吸い取った煙モドキは、開け放した縁側の方にふわりと流れた。
『ほな、おやかまっさんどした。あてはこれで』
「あ……」
 まだぽかんとしていた俺は、縁側から外に漂い出て行く煙モドキの姿に、ハッと我に返った。
 縁側に出ていって見上げると、煙モドキが青い空にふわふわと昇っていくのが見えた。
 雲の流れが速い。庭では枝葉がそよいでいる程度だけど、上の方では、けっこう風が強いみたいだ。
「気を付けて! もしまた煙が剥がれたら、うちにおいでよ」
 おおきになぁ──
 という返事が、聞こえた直後、
「あっ」
 多分、上の方で突風でも吹いて煽られたんだろう。白い姿がキリモミ状にクルクル回転した。
 だ、大丈夫なのかな……。
 あたふたしつつ持ち直すのが見えてほっとしたものの、心配しながら見上げているうちに、じきに煙モドキの姿は、ふらふらよたよたと、青空の中に見分けられなくなっていった。

 その後、その奇妙な煙モドキが煙を求めて現れることはなかったから、まぁ多分大丈夫だったんだろう。
 ちなみにその日は、不思議の名残のように、焚いた直後のようなお線香の匂いが、長く仏間に漂っていた。


(了)


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