cats and dogs

‐original BL novels‐



第2話 空音の聲 (6)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第2話 空音の聲
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 外出していたおじいちゃんが帰ってくるのを待って、夕食になった。
 いつものようにナイター中継をつけた居間で夜ごはんを食べながら、俺は参考書のことを思い出し、おじいちゃんに「今度街まで一緒に連れて行ってほしい」と頼んでみた。
 おじいちゃんは街に古美術商兼骨董品屋を持っていて、昼間はだいたいお店に行っている。
 店番はバイトさんやパートさんに任せてるみたいで、出かけていく時間はまちまちだった。
「おう、構わねぇぞ。何なら明日一緒に行くか?」
 ビールを飲みながら夕刊をめくっていたおじいちゃんは、二つ返事で頷いてくれた。
「うん。ありがとう」
「優希もずーっとこんな山ン中じゃ飽きるだろう。たまには街で遊んで来りゃいい」
「あ、ううん。本屋に行きたいくらいだから。それに俺、人が多いの苦手だしさ」
 遊ぶといっても一人だしなあ。いや、そもそも一緒に遊ぶ相手なんていないんだけど。
「本屋に行きてぇのか。そしたら明日、本屋まで送ってやるから。用事が済んだらうちの店に来て、一緒に帰るか?」
「いいの?」
「おうよ。ちっと待ってもらうことになるが」
「それは別に、大丈夫」
「したらそうすっか」
 そんな具合で、明日俺は街まで出かけることになったのだった。


 夕食をたいらげた後は、今日は早めに居間から引き上げて風呂に向かった。
 今日はあんまり動かず寝転がってばかりだったせいか、肩や背中がだいぶ凝っている。檜風呂にゆっくりつかると、自然に溜め息が洩れた。
 ──幸せだよな。俺って。
 心地良い湯船と漂う湯気の中、俺はふと思った。
 帰省すれば、こうやって暖かく迎え入れてくれる家がある。両親はいないけれど、かわりに育ててくれた身内は心から俺を大事にしてくれている。
 絶対の拠りどころのない心細さや寂しさはどうしてもついて回るけれど、そうであってもやっぱり自分は幸せなんだと、以前よりは穏やかな気分で思うことができた。
 ふう、と息を吐き出しながら、湯船の中で顔を洗い、濡れて顔に張り付いてくる邪魔な髪をかきあげる。
 今こう思うことができるようになったのは、俺っていう人間がマシになったからじゃない。「寂しいと思っても良いのだ」と言い聞かせ、泣かせて溜め込んでいた感情を吐き出させてくれた、扇紫のおかげだ。
 扇紫のことを思い出すと、いろいろな感情がわいてきて、複雑な気持ちになった。
「…………」
 肩まで湯につかり、俺はいつになくじっくりと考え込んだ。
 突然現れた、自称舞扇の付喪神。俺自身は覚えてないが、子供の頃にも会ったことがあるらしい、俺なんかをやたらと気に入って構ってくる、奇妙で物好きでおかしな奴。
 あらためて考えると、扇紫のことって、俺は本当に一切知らない。
 本体である扇がいつどこで作られたものなのか、この家に来るまでどういう経緯を辿ってきたのか、そういう身の上話は勿論、そもそも「付喪神」ってモノ自体が零感の俺にはよく分からない。
 だいたいなんであいつは、俺にあんなに構ってくるんだろう。
 下手な芸能人やモデルよりもずっと綺麗で神秘的な人外の容貌は、目の保養ではある。でもそれだけでは済まないのが扇紫って奴だ。
 顕現してからこっち、とにかく顔を合わせれば可愛いだのなんだのと褒め倒されるし、ことあるごとに抱き潰されかけるし、隙あらば、その……き、キスとかされるし。
 そもそも普通の女の子とすらキスなんてしたことはないのに、ごく当たり前の男子として、俺はこれでいいんだろうか?
 俺なりに深刻に考え込むうち、不意にしっとりふんわりな唇の感触が記憶をよぎった。
 ……って、うわ、ちょっと待って。思い出したらなんかヤバイっ。
 俺は慌てて頬や口許を手の甲でこすり、お湯でばしゃばしゃ顔を洗った。
 ……もー。なんなんだよ。
 俺は花も恥じらう青少年てやつでさ、自慢じゃないけどモテた試しなんてないから、キスなんかしたことないんだよ。ほんッとに自慢じゃないけど!
 なのに今のこの状況。おかしいだろ、こんなの。
 今さらすぎる事態へのツッコミに、俺はまたしても、むむむと眉間を寄せた。
 そうこうしているうちに、なんだか一気に暑くなってきた俺は、湯から上がって風呂を出た。
 脱衣所でざざっと身体を拭き、着替えのシャツと短パンを着込む。
 廊下に出ると、やけに火照った頬に夜気が心地良かった。
 おかげで少し頭が冷え、思わず深々と溜め息が洩れた。
「……てか、なんで俺、こんなことでこんなにあたふたしてんだよ」
 濡れた頭をタオルでふきふき、ぼやきながら浴室から自室までのちょっとした距離を歩き始める。
 歩きながら、また扇紫のことを考えてしまう。
 扇紫がどういったモノなのかも分からないが、その思考回路も、正直俺にはまったく分からない。
 扇紫はとにかくしきりに俺を褒めまくるし、やたらと可愛いだの好きだのと言ってくるけど、あれっていったいどういう意味なんだろう。
 そもそも扇紫は完全な「人外」だから、人間である俺なんかとは、思考パターンや好悪の基準それ自体が全然違う可能性だってある。
 抱き締めてくる感触は確かに生身のようだけど、扇紫の姿は俺の目には見えても、おじいちゃん達には見えない。ということは、少なくとも血肉の通った「生身」とは何か別のモノだ、ってことだ。
 過ごしてきた時間の長さも、俺と扇紫ではおそらく桁外れに違う。なにしろ扇紫は、おばあちゃんのおじいちゃんが手に入れてきた時点で、既に骨董品だったんだから。
「…………」
 考え込むうちに、扇紫の「まっさら」としか言い様がない、それこそ花でも咲くように綺麗で華のある笑顔を思い出した。
 得体が知れなさすぎるあいつに、思えば俺が最初から警戒らしい警戒を抱かずにきているのは、とにかくあけすけな感情表現と、あの笑顔のせいだ。
 ……でも。
 考え込む俺自身の薄暗い部分から、黒く薄く鋭い尖端が、そのときすっと伸びてきた。ひやりとしたその感触が、俺自身の脆く弱い部分を、撫でるように薄く切り付ける。
 ──もし。もしも仮に。扇紫が俺の理解できない思考回路を持った、それこそまったく分かり合えないモノだったとしたら?
 だとしたら、あの笑顔も言葉も、ぎゅっと抱き締めてくれるあたたかさも、真に受けたらいけないものだってことになる。
 足許が急にさだかではなくなったような感覚と共に、ずきりと胸の奥が疼き、俺は暗い廊下に立ちすくんでいた。
 ──あ、やだ。この考え。
 不快に胸が締め付けられて、俺は思わず目を瞑り、頭から引っかけたタオルを握り締めた。
 だって。嫌なんだよ、ほんとに。
 仮にもし、あいつに関することの全てが俺の勝手な思い込みにすぎないのだとしたら、俺は多分立ち直れない。
 あいつがあんまり遠慮無く踏み込んで来るもんだから、俺もいつの間にか、あいつのことはけっこう平気になってて。
 多分、嫌いじゃなくて。
 ぎゅっとされると、なんか安心するし。
 き、キスについては、──ちょっと混乱するから、今はひとまず脇に避けとくけどっ。
 強く動揺してしまった気持ちと、嫌な動悸を落ち着かせるために、俺はふうっと深呼吸した。
 何より。あの綺麗な笑顔が、俺はとても好きなんだ。
 得体が知れない奴でありながら、俺はいともあっさり、もうあいつのことを懐に入れてしまっている。
 失ったときが怖いから、耐えられないから、誰も懐までは入れないし、誰のことも特別に好きだと思ったりしないって決めてたのに。
 もうずっとそうやって弱すぎる自分を守ってきたのに、それがこんなにあっさり崩されてしまったことに、俺は小さく身震いした。
 どうしよう。この感覚、嫌だ。足許がぐるぐるして、暗いどこかに引き込まれるみたいに気持ち悪い。
「……やめやめ。やめだ」
 あやういところで俺は自分に歯止めをかけ、首を振って、わざと声に出した。
 こうやってすぐ一人で考え込むのは、俺の悪い癖だ。根本的にネガティブだから、ほっといたらどんどん思考が悪い方に沈んでいってしまう。
 これ以上考え込むのは良くないと判断した俺は、強引に思考を打ち切り、暗い廊下を部屋に向かって歩き出そうとした。
 踏み出しかけたところで、ぎょっとした。
 進行方向、縁側に連なる掃き出し窓がちょうど切れる壁のあたりに、丸っこい何かが張り付いている。
 なんだあれ。
 窓からの月明かり程度しか光源が無い中、その姿を見極めようと目を眇めた俺は、思わず硬直した。
 グレーっぽく見えるソイツは、いつからソコにいたのか、ひっそりとなんの気配もなく、ぴくりとも動かない。
 胴体の丸さが際立つ、しゅっと細く長い脚は、数えて八本。脚を広げた姿は、俺の掌よりも大きい。
「……………………ぅっを」
 思わず全身が引きつり、さーっと血の気が引いて、変な呻き声未満の声が洩れた。
 暗い廊下の壁に張り付いたそいつは、どこからどう見ても、馬鹿でかい蜘蛛だった。


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