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‐original BL novels‐



第2話 空音の聲 (3)

   § : 「空咲く花に戀うる君は」 第2話 空音の聲
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 今日もよく晴れて、朝っぱらから蝉が思い切り鳴き声を張り上げていた。あんまり蝉がうるさいから、かなり響いて聞こえるはずの何処かの鳥避けの音もかすむくらいだ。
「可愛らしいなあ。いささか不格好なところもご愛敬だな」
 精霊棚の上にお供え物と並べて置いてある、俺お手製のきゅうりや茄子の牛馬を手にした扇紫が、にこやかに失礼なことを言った。
「うるさいなあ。きちんと立ってればいいだろ」
 俺だってちゃんと作ろうとは思ったんだよっ。
 でもこんなもの作るの子供の頃以来だし、ちょっと洒落っ気を出して「牛とか馬っぽくしよう」と思ったのがいけなかった。
 おかげで妙な切れ込みが入ったり、脚になる割り箸を挿すうまい場所がなくなっちゃったりして、何がしたかったのか分からない謎のお供え物になってしまっている。
「まあ、気は心だ。各々方、これで充分喜んでおるぞ」
 棚に精霊馬を戻して言った扇紫に、俺は「ふぅん」と何気なく返事をしてから、ぎょっとした。
 ものすごく当たり前みたいに扇紫は言ってるけど、要は「各々方」って「ご先祖様達」ってこと?
 お盆にはご先祖様達が帰ってくる、なんて正直信じてはいなかったものの、扇紫みたいなのがフラフラしてるくらいだ。零感の俺には感知できないだけで、本当にそうだったとしても不思議はないのかもしれない。
「優希やぁ。手が空いてたら、庭に水を撒いておくれー」
「あ。はーい」
 考えていたところに、お勝手の方からおばあちゃんの声がして、俺は縁側からサンダルをつっかけて庭に下りた。
 遠くを見ると、鮮やかな緑の稜線に乗り上げるように、真っ白い積乱雲が青空に伸びている。
 なだらかに連なる山の中腹にあたるこのへんは、山中のわりに傾斜があまりきつくない地域だ。地形を利用して広がる棚田や段々畑が美しい一帯でもある。もっともだからこそ、ささやかながら公民館や役場が設置されるくらいの規模で人が住み着いたんだろう。
 蝉の合唱が騒々しい中、ホースで庭に水を撒きながら、俺は山向こうに見える雲の巨大さと眩しさに目を細めた。
 昔の人が「大入道」とか「でいだらぼっち」って妖怪を生み出したのも、あんな雲を見てたら分かる気がする。あんなもの、何かのはずみで人型に見えたら、そりゃ何かとんでもないモノだって思っちゃうよな。
 そう思う一方で、でも、と今の俺は思う。
 ……本当は、「普通は見えない」から気付きにくいだけで、あの山の向こうには実はいるのかもしれないよな。でいだらぼっち。
 いや、もしかしたら昔の人達には「普通に見えていた」のかもしれない。世の中が近代化して、どんどん「目に見えないもの」達への関心や信仰が薄れると共に、俺達には「見えなくなってしまった」だけのことかもしれない。
 そんな途方もない、それこそ夢みたいなことをふっと考えるようになったのは、俺自身が「人ならぬモノ」である扇紫に出会ったせいだ。
 つらつらと考えながら庭に水を撒くついでに、植え込みやそこらに咲いてる花にも水をやってまわることにした。
 玄関から正面あたりの庭は、松や梅の木が植わっていて、日本庭園らしく整えられている。それより少し奥まったあたりの風景はざっくばらんで、様々な植物が賑やかに彩っていた。
 軒下に絡まって咲いている青やピンクや紫の朝顔は、一部の花が早くもつぼみ始めていた。その他にも姿が見えるのは、群生している涼しげな紫陽花やヤマユリ、桔梗、石楠花、サルビア。固まって大きな黄色い花を咲かせているひまわりに、ゼラニウム、夾竹桃や百日紅。
 そこにホースで水を撒くと、強い陽射しに早くもぐったりしていた緑が、元気を取り戻すように見える。
 真夏の空の下、煌めくホースの水が綺麗で、噴き出す水が霧状になって頭や腕にかかってくるのも気持ち良い。
 庭に放し飼いになっているウズラ達を避けながら、良い気分で水を撒くうち、庭のだいぶ奥にある一本の桜の木の前まで来ていた。
 青空に煌めく葉桜は、キラキラと爽やかに木漏れ日を透かしている。
 この桜はかなり昔に、山の中にある古木から株分けされて、うちの庭に植えられたものらしい。
 うろ覚えながら子供の頃の記憶を掘り返すと、春の庭に満開の枝を広げる桜のイメージが浮かぶ。この庭には他に桜はないから、あれはこの木のことなんだろう。
 蝉時雨の中、ホースを手に、俺はしばらくぼんやりと頼りない記憶をなぞった。
 両親が他界した頃を境に、「この家での記憶」が、俺の中にはほとんど残っていない。
 賑やかで目新しいものがたくさんあるこの庭が、子供の頃の俺も好きだった。でもその頃見たはずの風景を思い出そうと努めても、やっぱり「庭には桜が咲いている」という漠然としたイメージ以上のことは思い出せなかった。
 扇紫と初めて会ったのも、扇紫曰く「俺が忘れてしまった時期のこと」だという。
 俺が忘れてしまった時期。つまり、両親が突然死んで、そのショックと感情を記憶ごと封じ込んでしまった時期。
 金色に透ける葉桜を見上げながらぼんやりと考えていたら、蝉の声がすうっと遠くなる感じがした。
 その頃の記憶があまりない理由は、なんとなく自分でも分かっている。平穏そのものだった俺の世界から、何の前触れもなく両親が消え、そのことに幼い俺は耐え切れなかった。扇紫が「必要のない記憶」だと言うのも、もっともなことだ。
 でも、うろ覚えではあっても、完全に当時の記憶が無くなってしまったわけではない。それを考えると、ひとつ疑問がわいてくる。
 ──なぜ俺は、こうまできれいに扇紫のことを覚えてないんだろう?
 顕現した扇紫に遭遇して、確かに「どこかで会った」程度のことは感じたし、そもそも扇紫に「扇紫」という名前をつけたのは、どうやら他ならぬ俺自身らしい。だから確実に、子供の頃の俺は扇紫に会っている。
 なのに、どこでどうやって出逢ったのか、どんなふうに関わっていたのかの具体的な記憶が、見事なほど俺の中にはない。
 現状からしても、幼い俺にとっての扇紫の存在は、少なくとも害あるものではなかっただろう。むしろ「忘れてしまいたい」ものとは、正反対に位置していたはずだ。
 俺が幼い頃に出会った扇紫は、いったいどんな存在だったんだろう。
 とりとめも無い思考を巡らせながら見上げていた葉桜に、不意にその煌めく姿とは異なる姿が重なってきた。
 ぼんやりと網膜に映り込む、満開の枝。桜色にふんわりと視界を埋める、無数の花の群れ。
 雪のように舞う花びらと、この世の喧噪から切り離されたように静謐な世界の中、記憶の奥にある桜の光景は、どこまでも静かで夢のようだった。
 ここにいながらここにはいないような不思議な感覚の中、ふと、俺は瞬いた。
 ──満開の桜の下に、誰かが立っている。
「え……?」
 瞬間。俺は一気に、その「記憶の中の光景」に取り込まれていた。
 何が起きたのかを考えるよりも先に、感覚も意識もすべてを持っていかれる。
 ──白い。
 すべてが白く発光し、音を無くして、そこに立つ桜も何もかもが逆光になってしまったような、まるで影絵のような世界。
 ──満開の桜の下に、誰かが立っている。
 白くて遠い世界の中では、そこにいる誰かの顔がよく見えない。
 雪のように音も無く花びらが舞う中、姿形のよく見えない誰かの背中に、ふわりと長い髪が広がったように見えた。
 瞬間、
「いッ……!」
 突然ヒビでも入ったような頭痛が走り、自分の上げた短い悲鳴で、俺は我に返った。
 わっと蝉時雨が押し寄せ、真夏の庭と空が鮮やかな光と匂いを連れて、世界に色が甦る。
 自分を包み込んだ落差に、俺は思わずよろめいた。
 気が付いたら、知らないうちに取り落としていたホースが足許に跳ねていて、透明な水が土の上に小さな流れを作っていた。
「……な……」
 なに、今の? 白昼夢?
 なんだか前にも、どこかで「これ」と似たようなことがなかったっけ?
 茫然としていたら、ふらりと足許がふらついた。
 あ、と思った背中を、ぽふりと後ろから誰かに支えられた。
「優希」
 淡く香った薫衣香と、身体を支えた白い袖。しゃらん、と小さく響いた、その白い姿を飾る装飾品の立てる音。
 振り向かなくても、誰が俺を抱きとめているのかすぐ分かった。
 その予想にたがわず、青紫の髪に縁取られた優しい顔が、心配そうに俺を覗き込むのが目に映った。


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