cats and dogs

‐original BL novels‐



咲けない言ノ葉 (4)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 エレベーターで先に降りていってしまった美玲羽の姿は、アゲハがエントランスから外に出た頃には、もう付近には見当たらなかった。
 このあたりは近くにターミナル駅や大きなショッピングモールや大学もあるため、普段から人通りは少なくはない。少しずつ陽が傾き、空が鈍色を帯び始める頃合いにもなり、道行く人達の姿も増え始めていた。
 電車か車に乗られてしまったらもう分からないが、あの様子ではすぐに雑踏の中には行かないのでは、ともアゲハは期待した。ひとまず徒歩五分の距離にある駅に向かってみたが、美玲羽の姿は見つからなかった。
 きれいに区画整理されたこの近辺には、何カ所か小さな公園や広場もある。それらのいずれかにいるかもしれないと、アゲハは美玲羽の姿を捜してまわった。
 システムに一定のストレスがかかることで、アンドロイドであるアゲハの身体にも、疲労状態によく似た現象が生じる。それはシステムへの過分な負荷を事前に抑止する為であると同時に、「生身の人間」に限りなく近い反応を演出する為でもあった。
 なまじ「人間」に似せて造られているせいで、長く駆け回っていると息が切れて苦しくなったりと、けっこう不便だ。アゲハは時々歩調を緩め、呼吸を整えながら、次第に薄暗くなってゆく街の中を走ってまわった。
「……あ」
 やっぱり無理だったかな、と思い始めた頃、噴水のある小さな公園の隅のベンチに、捜していた女性の姿を見つけた。
 そこは思いがけず、慧生のマンションからそう離れていなかった。こういうのを灯台もと暗しというのだろうか。ふとアゲハが振り仰ぐと、この公園からは慧生のマンションがよく見通せるのが分かった。
「美玲羽さん、こんばんは」
 先に声をかけてから近付いてゆくと、俯き加減で顔の見えなかった美玲羽が視線を持ち上げた。
 品は良いが適度にカジュアルな、すっきりとしたパンツスーツが良く似合っている。涼みを帯びてきた風に、肩より長い真っ直ぐな髪が揺れていた。その大きめの瞳に涙はなかったが、泣いた後なのだろうな、と分かる腫れぼったさを、白い瞼は持っていた。
 ――綺麗な人。
 真っ直ぐに向けられた透明な瞳に、アゲハは素直に思った。
 大学時代に出逢ってから、ずっと慧生の恋人だった人。アゲハが大好きな、あの慧生に愛された人。そんな人が「素敵な人」でないわけがない。見かけばかりでなく、背筋の伸びた姿勢も、くるむ空気も、厭味ではない華やぎがあって惹きつけられた。
「こんばんは」
 落ち込んでいたであろうところに、突然見知らぬ他人に話しかけられたにも関わらず、美玲羽はにこりと微笑んでアゲハに返事をした。
 ――ああ。やっぱり綺麗な人だ。
 日下美玲羽という女性に対する茨のようなこだわりが、そのたったの一言と返された自然な笑顔に、自分でも驚くほど簡単に解けてゆく。そもそも初めて「生身の彼女」に遭遇し、その涙を見てしまった瞬間から、アゲハの中では彼女に対する黒く歪な感情は棘を失いつつあった。そのこだわりにしたところで、そんなものはアゲハが彼女に嫉妬して、勝手に自分の中で捏ね上げてしまったものだった。
「あなた、慧生のマンションにいた子ね」
 ベンチに座ったまま、美玲羽が言った。アゲハの外見は特徴的だし、たった数秒垣間見ただけでも、美玲羽の記憶にとどまるには充分だったろう。
「はい。アゲハっていいます」
 自分のことについてどう名乗るべきかと、アゲハはちょっと考えた。天野悟には勢いでばらしてしまったが、むやみにアンドロイドだと名乗るのは、本来は当然ながら推奨されていない。
 だが慧生と極めて個人的な関わりを持っていたこの女性に対しては、そのへんを濁すのは不誠実であるように思えた。彼女のことは、鷹司礼二もよく知っている。教えたところで、彼女ならアゲハや慧生の不利益になるようなことはするまい、とも思えた。
「あの……ご存知か分からないのですが。慧生さんの叔父さんが勤めているアルファトリニティという会社があって、僕はそこで造られたアンドロイドなんです。ハスウキーパーも兼ねて、試験的に慧生さんのところにおじゃまさせてもらってます」
 急な説明に美玲羽はやや怪訝な顔をしていたが、最後まで聞くと目を丸くした。
「アルファトリニティは勿論知ってるわ。叔父さんて、礼二さんでしょう?」
「はい」
「うっわ。ちょ、ちょっとあなた、こっち」
 ちょいちょい、と美玲羽が白い手で手招きした。招かれるままに隣に腰を下ろしたアゲハを、美玲羽は目を丸くしたまま、しげしげと見回した。無遠慮だが子供のように無邪気な視線で、そこには混じりけの無い感嘆があったから、アゲハはそう嫌な気分はしなかった。
 膝の上に置いた手に、興味津々に美玲羽が指をふれてきたが、それも嫌ではない。白くて細い美玲羽の指は、皮膚が柔らかくて、少し冷たかった。
「うっわあ……どこからどう見ても人間じゃないの。脈もあるし体温もあるし、肌とか完全に生身だし。いつか造るとは言ってたけど、ホントに造っちゃったんだ、礼二さん」
 正面からじいっと、美玲羽がアゲハの瞳を覗き込んだ。
「……すごく綺麗な目。人間と見分けなんてつかないわ。でも、人間よりもずっとあなたは綺麗ね」
 優しく言った美玲羽の透明な虹彩は宝石のようで、長い睫毛が瞬く様子が綺麗で、アゲハはなんとなくどぎまぎした。人間の美醜はあまりぴんとこないアゲハだが、彼女の容貌が整っていることは分かった。
「それは、えと……礼二さんの趣味ですから」
 自分の外見がよくよく吟味されたものであり、それは鷹司礼二の好みを反映していることは知っているので、アゲハは言い添えた。自分の外見が綺麗なのは自分の手柄ではなく、礼二のおかげなのだから。
「礼二さん、綺麗なものが好きですものね」
 おかしそうに美玲羽は小さく笑ったが、その表情はどこか寂しげだった。
 美玲羽はアゲハから指を引き、ベンチに座り直した。
「さっきは、急にごめんなさい。驚いたでしょう」
「いえ」
 慧生の変貌に驚きはしたが、美玲羽に驚かされたわけではなかったので、アゲハは首を振った。
 こうしている美玲羽は表情も声音も落ち着いているが、あれからここで、ずっと一人で泣いていたのだろう。なぜ自分が美玲羽を追ってきてしまったのか、その隣に座って彼女を眺めているうちに、アゲハは徐々に分かってきた。
 だって、嫌いになれるわけがないじゃない。
 慧生さんにとってこの人は、とても大切で、特別な人なんだから。それなら僕にとっても、美玲羽さんは大切な人なんだ。
 慧生だってあんなふうだが、美玲羽のことがもう嫌いになってしまったのなら、あんなに荒れたり苦しんだりはしていないだろう。美玲羽という個性を愛し、その感性や才能に惹かれ憧れるからこそ、それは慧生を苛み、言葉を綴るという絶対の聖域を脅かすことになってしまった。
「……慧生さんは、とても純粋で。脆すぎるんだと思います」
 気が付いたら、アゲハはぽろりと言っていた。
 純度の高すぎる感性に振り回されて、それはどんなに慧生自身を悩ませていることだろう。そういう慧生だから尚更好きだ、とアゲハは思うけれど。慧生のそういうところは、彼に多くのものをもたらす一方で、彼を痛めつけ打ちのめしてもゆく。
 少し驚いたように美玲羽はアゲハを見たが、アゲハもまた慧生の理解者であることを感じ取ったのだろう。色の薄い瞳が揺れ、涙が滲んだように見えたが、それを隠すように美玲羽は俯いた。
「そうね。慧生は繊細で、強くて脆くて……本当に、良いものを書くのよ」
 俯いたまま、殊更のように明るい声音で、美玲羽は言った。顔を伏せたままの美玲羽を、アゲハは痛ましいような思いで見た。
「昔からね、慧生の書くものが大好きだったの。私から見れば、なんでこんな表現や言葉が思い付くんだろうって不思議なのに、慧生は気まぐれみたいにさらさらっと書いちゃうの。慧生みたいに書きたくて、あぁかなわないなあって何度も何度も思って、憧れた」
 美玲羽の白い横顔は、長い髪に隠れて見えない。そのままの姿勢で、美玲羽は問わず語りに話し始めた。ぽつりぽつりと、柔らかく明るい声で。時折ごまかしきれないように震える声で。
「どうせ書いたなら、どこかの新人賞に送ってみればいいのにって、すすめたのは私なんだ。だって勿体ないでしょう、あんなに綺麗な世界なのに誰にも知られないなんて。それが通って、作家の御法川慧生が生まれて……私、本当に嬉しかった。私が慧生の一番のファンなんだって、みんなに知られる前から私は慧生を知ってたんだって、それが誇らしいくらいだった」
「分かります。僕も、慧生さんの一番のファンですから」
 穏やかに、アゲハは頷いた。自分こそが慧生の一番のファンだ、と言う美玲羽のことが、今は不思議なほど不快ではなかった。
 自分の知らない慧生を美玲羽は知っている、どうしても埋まらないその差は切ない。でも今の慧生があるのは間違いなくこの人のおかげなのだと思うと、以前のような嫌なやわだかまりは湧き上がってこない。そのかわり、どこかで感謝に似た気持ちさえ生まれていた。
 顔を上げた美玲羽に、アゲハはふんわりと微笑んだ。
「何もなかった僕に『世界』を教えてくれたのは、慧生さんなんです。慧生さんの本を読んで、灰色しかなかった僕の世界が色付いた。アンドロイドの僕がこんなことを言うのは変かもしれないけど、慧生さんは僕にとって神様みたいな人で……とっても大好きな人です」
 思わぬことを聞いたように、美玲羽がぱちぱちと瞬きをした。その瞳が和らぎ、自然な色をした唇が優しい笑みの形を作った。
「そっか。それじゃあ私達、どっちも慧生が大好きで、一番のファンなのね」
「はい」
 どちらからともなく、アゲハと美玲羽は揃って控えめな笑い声を立てた。
 ひとしきり笑ったところで、ふつりと美玲羽の声が跡切れた。
 アゲハが紅い瞳を向けると、美玲羽は再び俯いていた。長い髪の間から、白い頬が見えた。
 その頬に零れる涙が街灯の明かりを反射したことで、あたりがだいぶ暗くなってきていることに、アゲハは気付いた。
「……これ以上私が側にいたら、慧生は本当に書けなくなる」
 泣き声になるのを懸命にこらえるように、美玲羽が俯いたまま、抑えた声で言った。
「こんなに慧生のことも、慧生の書くものも好きなのにね。私が側にいたら、慧生から書くことを奪っちゃう。こんなふうになりたかったわけじゃないのにな。なんでかな。うまくいかないね……」
 それは誰に対しての言葉というより、どうにもならない感情から自然に零れた呟きのようだった。できるだけ声を立てないようにして泣いている美玲羽に、アゲハは何も言えなかった。


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