cats and dogs

‐original BL novels‐



咲けない言ノ葉 (3)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 玄関をくぐった天野悟の姿を見たときにあらためて気付いたが、アゲハが慧生の家を訪れてから、これが初めての「来客」だった。
 配達物などが届くことはあったが、そういえば個人的に誰かが慧生を訪ねてきたということはない。
 鷹司礼二から与えられた情報では、以前の慧生はそこまで厭世的ではなかった。しかし今の慧生は、あまり自宅に他人を入れたがらず、そもそも他人との付き合い自体を拒んでいる空気があった。
 どんな慧生であっても、その本質は変わらない以上、アゲハが彼を慕う感情は変わらない。そしてアゲハのするべきことは、そのときの彼にとって出来るだけ心地良い場所を作り、維持することだった。
 でも、慧生さんから慧生さん自身のことを聞いたことって、今まで全然ないな。
 そう思うと、少しでもそれを聞いてみたい気がした。データではなく慧生の口から、ほんの少しでも彼自身のことを。礼二から一方的に送りつけられてきた「アンドロイド」であるアゲハがそんなことを思うのは、図々しいのかもしれないけれど。
 そんなことを考えながら、アゲハは慧生と招かれざる客人のためにコーヒーを淹れた。
 仕事中の大量消費のためにコーヒーメーカーもあるのだが、普段の慧生はそこまでたくさんは飲まないので、一杯ずつドリップできる手軽なものを常備している。淹れていると良い香りが立って、アゲハはいくらか気持ちが和んだ。
「お。ありがとさん」
 淹れたてのコーヒーをトレイに載せ、居間のテーブルに持っていくと、ソファに腰掛けていた天野悟が笑顔でキツネ色の頭を下げた。
 通された居間で、悟は若干興味ありげにきょろきょろはしていたが、それは失礼なと感じるほど不躾ではなかった。悟の一重の目許は切れ長で、三白眼気味のせいかちょっと目つきが悪く見えることもあるが、気取りのない表情は豊かで動作も伸びやかだ。
「えっと、アゲハちゃん? で、いいんだよな?」
 カップを置いたとき、アゲハは軽い調子で悟に話し掛けられた。
「え? あ、はい。アゲハです」
「えっらいピッタリな名前だなー。んで怪我したって、あのときのカメラの破片で?」
「そうですけど……」
「そっか。馬鹿力でも、そのへんは普通なんだな。ごめんな。アレで怪我したんじゃ、そーとー痛かったろ」
 口調は軽いが社交辞令ではなさそうな様子の悟が、アゲハは意外ではあった。
 そもそも事の原因を作ったのは悟の方ではあるが、カメラを壊したのはアゲハが自分からやったことだ。決して安価ではない商売道具を壊された悟からすれば、愉快なことでもなかったろう。
 気を許すことはせずに「もう治りましたから」と言い、コーヒーを促すと、悟は気後れした様子なくカップに手を伸ばした。
 意外にお人好しなのか、割り切るところは割り切るタイプなのか。こんな出会いと状況でさえなければ、案外悟は人好きのする人間なのかもしれないと、それを眺めながらアゲハは思った。
「どうぞ、慧生さん」
 アゲハは慧生の前には、あらかじめ彼好みにミルクだけを入れたコーヒーを置いた。黙ったまま仏頂面でソファに腰を下ろしていた慧生は、礼がわりのように目線だけを軽く動かした。
 トレイを抱えたまま、アゲハはぺたんと慧生の足許に座った。
 天野悟はどうやら思っていたよりも悪い人間ではないようだが、だからといって警戒を解くことはできない。本心から謝罪する気で来たのならば良いが、何かしら下心があるようなら、慧生に言われるまでもなく遠慮はしないつもりだった。
 じっ、と透明なルビーのような瞳で見据えられた悟は、多少気まずそうな苦笑いを返してきた。悟はコーヒーを何口か飲んでから、意を決したように背筋を伸ばした。
「何はともあれアレだ。あんたの周りをかぎまわって悪かった、御法川さん。それから、アゲハちゃんに怪我をさせたことも謝る」
 アゲハが怪我をしたのは実際のところ不可抗力に近かったが、それについて悟はどうこう言い訳する気はないらしい。
 コーヒーに手もつけず、長い脚を組んで黙り込んでいた慧生は、翡翠色の鋭角的な光を帯びた瞳を悟に向けた。
「あなたが何をどうしようとしていたのかは分かりかねますが、僕の不利益になるようなことは一切避けていただけるのであれば、それは素直に有り難いことです」
 言葉ばかりは丁寧だったが、その突き刺すように冷えた眼差しや口調に、無関係であるはずのアゲハまでビクッとした。アゲハはつい小さな肩をすぼめ、自分が叱られたようにうつむいてしまった。
 ……慧生さんを怒らせるのは、絶対やめておこう。ううん、勿論怒らせるつもりなんて、ほんの少しもないけれど。
 悟も一瞬たじろいだようだったが、すぐに傍らに置いてあった自分の鞄を手に取った。
「正直、あんたにこっちの素性がバレなきゃいいと思ってたのは否定しないさ。けどさっきも言った通り、こうなってまで俺はあんたにケンカを売る気はないわけよ」
「だからといって、追っていた情報を保身のためにいわば売り渡すような真似は、仮にもジャーナリストを名乗る方のやることではないと思いますがね」
「んー……まあ、それは考え方の違いかねぇ。あんたに関してはこの先確かに面白いことになりそうだけど、他にも追いたいネタはいくらでもあるからな。この業界から干されるには、俺もまだまだ未練があるのよ」
 半ば居直ったのか、悟は言いながら鞄を開けて、中から様々なメモや記憶媒体を取り出した。すべて渡す、と言っていた、何かしら慧生に絡む情報をおさめたメディアや草稿なのだろう。
「これ以外のどこにも控えはない。それに関しちゃ、信じてもらうしかない。俺は今後あんたから一切手を引くから、これで俺のことについては忘れてもらえないかな」
 慧生はたいして興味もなさそうに、何かを書き付けられたメモを数枚取り上げてめくり、付属リーダーを作動させて幾つかのファイルの中身を確かめた。
 そうしながら慧生は何度かデータに関わる質問をし、受け答える悟の言葉を聞きながら、整った眉根を僅かながらも忌々しげにしかめた。小さいながら舌打ちが聞こえたりして、その度に悟ばかりか、アゲハまでびくついてしまった。
 やがて慧生が溜め息をつき、疲れたように眉間を揉みながら、手にしていたものをテーブルに放り出した。
「……分かりました。と言うより」
 開かれた翡翠色の目がいっそう鋭利に見えるのは、そこに帯びた疲労感が増したせいだろうか。
「あなた一人が僕に関わることを放棄したところで、どうなるものでもないでしょう。フリーランスでたいして名も無いあなたに、他の煩わしい連中を抑止する力があるとも思えません。あなたが僕に関わることをやめて下さることに感謝はしますが」
「まあ、そりゃーその通りだぁな」
 悟は多少むっとしたようだが、反論はしなかった。慧生の無遠慮な指摘は事実ではある上に、とても言い返せるような立場ではない、とは思っているのだろう。
「ご安心を。あなたに関わることは、僕もあえてすすんではしません」
 慧生が淡々と言うと、悟は露骨に胸を撫で下ろした。
「あんたが話せる相手でよかったわぁ、御法川さん」
「ただ」
 遮るように慧生は言葉を続けた。見えない刃物を突きつけるように。
「今後アゲハに関して何か妙な情報が出回るようなことがあれば、僕はあなたを疑います。そのときは、僕一人の意思でどうこうできるような状況でもないでしょう。あなた自身のためにも、それをよく理解しておいて下さい」
 ゆっくりと念を押すように言った慧生に、悟が小さく生唾を飲んだ。思わずのようにその視線がアゲハの上を辿り、悟は慌てて頷いた。
「わ、分かった。あんとき一緒にいた連れにも、それはしっかり釘を刺しとくよ」
「そうして下さい。事を荒立てるのは、僕も望みません」
 どこまでも冷ややかな慧生を前に、悟はすっかり青くなっていた。
 自分の存在が機密の塊である自覚はアゲハにもあるが、「人間にしか見えない」という人々の先入観がいわばアゲハを守っており、アルファトリニティにしても「機密保持のため」に非合法な手を持ち出すほどヤクザな体質の企業ではない(はずだ)。少し脅しすぎではないか、とその遣り取りを見ながら思ったが、慧生はそれだけアゲハの存在を大切に考えてくれているのだとも思えて、くすぐったいような嬉しさもあった。
 おとなしくアゲハが座っている横で、いくつかの遣り取りの末に、どうやら何事もなく大人二人の会話は片付いたようだった。
「んじゃ、あんま邪魔しても悪いから。俺はこのへんで帰らせてもらうわ」
 慧生の無愛想さと冷ややかさに晒されているのは、さすがに居心地が悪いのだろう。悟はそそくさと立ち上がって鞄を取り上げた。
 慧生にとって害がなく、慧生がわだかまりをひとまず解いたのであれば、それはアゲハにとっても「敵」ではない。アゲハも立ち上がり、悟を玄関まで見送りにいった。
「お疲れ様でした。気を付けてお帰り下さいね」
 何の気なしに言ったアゲハに、悟が靴を履きながら胡乱げな視線を投げてきた。
「それ、妙な含みとかねーよな? 気を付けてとか、なんかこえーよ」
「ありませんよ、そんなもの。考えすぎです」
 よほど慧生の脅しがきいたのか、随分とこちらを警戒している様子の悟に、アゲハは軽く吹き出してしまった。
 その邪気のない笑い声に気分をほぐされたように、悟もやっと自然に頬を崩した。
「ま、今度はもうちょいマシな用件で会えるといいな。あんたらのことをネタにする気はないけど、トモダチとして付き合ったらフツーに面白そうだしさ」
 んじゃお邪魔さん、と玄関ドアを開いた悟が、そこで不意をつかれたように動きを止めた。
「おやぁ?」
「あ……」
 同じく不意をつかれたような小さな声が、玄関の外からアゲハの耳に届いた。声というほどの大きさでもない、けれどアゲハの耳には鮮明に響いた、聞き覚えのある女性の声。
 この声はと思ったときには、アゲハは開かれたドアの向こうに視線を走らせていた。
 上背のある痩せた悟の後ろ姿と、開いたドアの合間から見える空間には、すらりとしたパンツスーツ姿の女性が一人立っていた。
「あんた……日下、美玲羽サン」
 思わぬ相手に出くわした悟が、そのフルネームを呼んだ。
 アゲハも思わず、そこに立ち尽くしている女性の姿を凝視していた。上品なグレーのジャケットの肩に、色素の薄い長い髪がさらさらと落ちかかっている。白い肌に、同じく色素の薄い大きな瞳。全体にどことはなしに透明感のある女性。
 ――日下美玲羽。
 慧生の恋人。慧生から言葉を奪い、文章を綴ることを奪い、その精神世界を著しく掻き乱して平穏を奪っている張本人。
 たとえ彼女自身には何の罪もないにせよ、その瞬間、アゲハの紅い瞳孔がいつにない鋭さを含んで凝らされた。
「ごめんなさい、驚かせて」
 日下美玲羽が、気を取り直したようにお辞儀をした。その細い肩に、さらりと長い髪が流れた。
「近くまで来たから、ちょっと様子をと思って……取り込み中なら帰ります」
「い、いや。俺ももう帰るところなんで」
 その歯切れの良い声に、慌てたように悟が答えた。チャンスさえあればネタにしよう、とこれまで思っていた相手と直接出くわしたことでいささか動揺したのか、悟はあたふたと室内を振り返った。
「おーい御法川サン、お客さんだぜ。あんたのお知り合い」
 はっ、とアゲハも同じ方向を振り返った。
 明るい幅広の廊下からフラットな床が続く先、奥のリビングに通じる室内ドアのあたりに、凍り付いたように立ち尽くしている慧生の姿があった。
「慧生さん……」
 何を言うより、言われるよりも先に、アゲハは言葉を飲み込んでしまった。
 先程悟に向けていた眼差しとは比較にもならない、あらゆる負の感情が凝固したような瞳を、慧生が美玲羽に向けていた。不意の出来事に驚愕し、それを上回る衝動に不安定な揺らぎを見せ、それ故に見ている者の危機感を煽る眼差しだった。
 それを真っ直ぐに向けられた美玲羽が、やはり凍てついたように身を強張らせた。
「……何をしにきた。帰れ」
 やがて低く抑えられた声音が、唸るように慧生の唇を割った。こんな感情的な声は、美玲羽の受賞報道があったあの夜以来、聞いたことがない。いや、あの夜よりも、今の慧生は自制心を失っているように見えた。
 アゲハばかりでなく、美玲羽や悟までも身動きできないでいる中、抑えていた感情がそこで破裂したように、慧生が怒鳴り声を張り上げた。
「帰れッ!!」
 叫ぶようなその声に、美玲羽が大きく目を見開いて肩を震わせた。慧生はそれ以上その場に留まろうとせず、長身の背を返して奥の部屋に消えてしまった。
 それを見開いた目で認めた美玲羽が、やはり身を翻し、玄関前から通路を駆け出した。
「お、おいっ?」
 悟が美玲羽の背に、困惑しながら声を投げる。
 遠ざかってゆく乱れたヒールの音を聞きながら、アゲハは咄嗟に、美玲羽の消えた玄関と慧生の消えたリビングの方角を見比べた。
 どうしよう、と強く迷う。日下美玲羽という女性に対して抱いていたこだわりや興味が、アゲハの中でも瞬時に渦を巻いていた。
 去って行ったなら放っておけばいいと思う一方で、駆け去る一瞬確かに美玲羽の瞳が潤んでいたのを、アゲハは見てしまっていた。
 日下美玲羽という女性のことは、データとしては知っていても面識はない。アゲハ自身には、美玲羽に対する恨みもない。
 ただ、羨み嫉む気持ちは間違いなくある。慧生にとって、あらゆる意味で特別な存在。アゲハと違って血肉の通う人間であり、長く慧生の恋人であった女性であり、慧生にその才能や感性を愛されたが故に、慧生から「言葉」を奪ってしまった人。
 ――知っておきたい。それほど慧生にとって特別な存在である人のことを。
 強く興味を揺るがされるのと共に、初めて「生身の彼女」を垣間見たアゲハの中に、胸が痛むような感触が生まれていた。馴染みのない感触だったから、それが何なのかアゲハ自身にも分からなかったが、このまま泣いている美玲羽を放っておくのは、やけにいたたまれなかった。
 追い駆けようと思ったときには、アゲハはスニーカーに足を突っ込み、玄関口にいた悟を押しのけるように外に駆け出していた。
「うわっと」
「すみません悟さん、さようならっ。慧生さん、ちょっと出かけてきます!」
 それだけ言い置き、アゲハはもうとっくに姿の見えなくなってしまっている美玲羽を追っていった。


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