cats and dogs

‐original BL novels‐



-朔の章- 第一のパンドラ(3)

   § : 「cats and dogs」
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 歩きながら、カズヤと名乗った男はサクに質問した。どこで生まれ、どこから来たのか。いつこの廃都に、どのようにして入ったのか。所持品はあるのか。学校には通っていたのか。特技や学校の成績は。家庭環境は。
 まるで職務質問にあったようだったが、カズヤの話し方は極めて理路整然としており、受け答えていてそれが苦痛になることはなかった。カズヤは少ない言葉でどんどんサクの中から情報を引き出した。一通りのことを聞き終えてしまうと、カズヤは「ふうん」と呟いた。
「血統書つきだな」
「……そんなことないですよ」
 偽りの血統書ならついていた。だがそれすら、本物が現れた途端にあっさりと剥ぎ取られた。
 さすがに談笑するような元気も持てず、喉の渇きもあって、サクは自分からは口を開かなかった。カズヤも本来口数の多い方ではないのだろう、そこからは黙り込んだ。
 嘘のようにアスファルトが陥没してめくれ上がり崩壊した大通りや、ガラクタが散乱してほぼ足の踏み場もない迷路のように入り組んだ路地をいくつも経由して、自分がどこにいるのか元々分からなかったサクは、ますますここがどこなのか分からなくなった。
 体力には自信があったはずなのに、昨夜からあまり休めていないせいなのか、水も食べ物も一切口にしていないせいなのか、次第に息が切れ始める。
 しかしカズヤは歩調をゆるめることすらせず、サクは何度も渇いた口の中で生唾を飲み込みながら、どうにかそれについていった。
 やがてごちゃついた路地裏ではあるが、車でも一台程度なら通れるだろうという程度にガラクタを脇に避けられ、片付けられた一角に出た。
 アスファルトの道は、ゴミや明らかに吐瀉物の跡や得体の知れない何かで汚れてはいるが、そこにははっきりと生活感があった。それらが現れるにつれて、路地にすえたような臭いが漂い始める。狭苦しい路地の壁のそこらじゅうに落書きがされている。ストリートアートといっても良いレベルのものから、くだらない子供の落書きのようなものまで。
 そのうち、ちらほらと人の姿が見え始めた。路地の影や、ドアの隙間や、破れた窓の向こうから、いくつかの顔が覗いている。それらのいずれもが、年端もいかない子供や、いってカズヤ程度ではないかという年頃の者達ばかりだった。
 ぶしつけな視線とクスクスという忍び笑いに、サクはなんとも居心地の悪い思いをする。友好的なのかそうではないのか、判然としなかった。しかしこんな場所で、確かに生活して生きている人々がいるのだというのを目にするのは、たとえようもない安堵感ももたらした。
「あれ、カズヤ。そいつ何?」
 そのうち数人の人影がたむろっている場所に出た。サクと同世代くらいだろうか、格好はカズヤと大差ない少年達と、少女。
 女の子がこんなところにいる、というのにまず驚いた。思わず凝視すると、肩が剥き出しになり胸もほとんど見えているのではないかという格好をした化粧の派手なその少女は、わずかに目を細め、馬鹿にしたようにフンと鼻で笑った。そんな態度を誰からも取られた経験のないサクは、むっとするよりも驚いた。
「ちょっとそこで拾った」
 野良犬か野良猫の集団のようなその一団の中に入っても、カズヤが一頭地抜け出た存在であり、さらにいえばどうやら彼はここのリーダーのような存在であるらしいのが分かった。格好ばかりは同じようでも、落ち着き払っていて明らかに他の者達と雰囲気が違う。年齢が高めであるせいもあるのかもしれない。
「またぁ? こないだもカズヤそーゆーの拾ってきたじゃん」
 少年の一人が呆れたように言いながら、しかし妙に意味ありげにサクを眺め回した。
 他の者達も、舐めるような視線を遠慮なくサクに投げつける。あからさまに品定めされているような視線に、ますますサクは居心地が悪くなっていく。
「こないだのあの子は、結局どうなったんだっけ?」
「さあ。あの後でそういや見てねぇけど。カズヤ何するかわかんねーしなあ」
「どうせすぐ飽きて、またぐっちゃぐちゃにしてドブに捨てたんでしょぉ」
 ケラケラと少年少女達が笑い声を立てる。その何か物騒な言葉のやりとりに、サクは警戒心が芽生えるのを感じた。
「別に。楽しけりゃなんでもいいんだよ、俺は」
 カズヤがそれに薄く笑い返している。その横顔に、いよいよサクは嫌な感触が背を這い、うなじの産毛がさわりと揺れたような気がした。
「それに、役に立つならちゃんと仲間に入れてやるぜ? 使えもしねえ生ゴミなんざ、置いといたって仕方ないだろ」
「まあそりゃそーだけどさ。でもぐっちゃぐちゃにするときは、部屋の外でやった方がいいよ? まーた引越ししなきゃいけないじゃん」
「俺に言うなよ」
 仲間達と笑いながら、カズヤが振り返る。目元のまったく笑っていないその顔に、サクは思わず一歩後ずさった。しかしその肩を、すぐさま駆け寄ってきた少年達ががっちりと後ろから押さえた。まるで逃げることを封じるように。
「何か誤解をしてるようだから言っておいてやるが」
 立ち尽くしているサクに向かって、カズヤが後ろポケットから何かを取り出しながら言った。レザーの鞘に覆われた、どう見てもナイフだった。そして仲間の手から似たようなナイフを取り上げ、無造作に放ってくる。思わず受け止めたが、それだけでサクはたじろいだ。
 何だこれは。
「ここにはおまえを無条件で助ける奴なんか居やしない」
 カズヤが薄く目を光らせながら、ぞんざいな口調で続けた。ナイフを鞘から抜くと、そう大きなものではないが、銀色のブレードが細く路地に差し込んでくる陽光を弾いた。そのブレードの背を旨そうに舌先で一舐めして、カズヤはにたりと猫のように目を細めて笑った。
「金も力もないガキが呑気に生きていけるようなところでもない。けどまあ、新入りだからな。俺を楽しませてくれたら、水と食料くらい恵んでやるよ」
「……どういうことだよ」
 何が起きようとしているのか理解できず、いや、理解することを拒否しながら、サクは問い返す。後ずさろうとするその肩と背を、痛いほど後ろの少年達が押さえつける。
「分からないのか? まあ、別にそれでもいいけどな」
 言うが早いか、いきなりカズヤが動いた。やはり猫のように足音も立てず駆け出してくる。
 わあっとサクを背後から押さえつけていた少年達がどう聞いても歓声という声を上げ、そしてサクをカズヤに向かって突き飛ばした。
 心臓がひきつるかと思うほど跳ね上がった。突き飛ばされた勢いもあって剥き出しのブレードがたちまち目の前に迫り、きわどいところでつんのめりながら身体を横にひるがえす。勢いあまってそのままアスファルトの上に転がった。
 何が始まったのか、パニック寸前の頭でカズヤを振り返る。カズヤは少し感心したような顔で、サクを見下ろしていた。
「そういやハイジャンプの選手だった、んだっけ? そこまで鈍いわけじゃねえんだな」
 カズヤを見上げながら、サクの手足は明らかに震えていた。今避けられたのは、奇跡のようなものだった。理解したくないと思いながら、理解せざるを得なくなってくる。
「なんだよ、これ。冗談やめてくれよ……」
「冗談じゃねーよ。アホか」
 カズヤが声を立てて笑うと、周りの少年少女たちもいっせいに笑った。
 いつのまにか二人を囲んで人垣が出来始めている。頭と視界がぐらぐらするようで、サクはまだ立ち上がれず、手の中のナイフの柄を無意識に握り締めながら、すがるような目でカズヤを見返した。
「ほら、さっさと立てよ。じゃねえと死ぬよ?」
 カズヤがにやにやと笑いながら言い、ごく軽い足取りで向かってきた。しかしその右手のナイフは、間違いなくサクを狙っている。そう大きな刃渡りではない。しかしその刃のぎらつきは、それだけでサクの身体を強張らせた。
 必死の思いで立ち上がり、走り出す。逃げ出そうとしたその身体を、しかしあっさり人垣を作っている少年達に取り押さえられた。
「放せよッ!!」
 叫んで振り払おうとしたが、多勢に無勢だった。ガンガンとまた頭痛がし始め、心臓が異様な早鐘を打ち始める。頭がぐらぐらして目が回りそうだった。げらげらという笑い声の中、円陣を作っている人垣の中に蹴り戻される。
 よろめいたそこに、容赦なくカズヤが踏み込んできた。突き出されたナイフのブレードが、避け切れなかった右の上腕を斬り付けた。
 走った激痛と飛び散った血の色に、サクは悲鳴すら凍り付いて、傷口を思わず押さえてまたよろめいた。傷口から流れ出した血が、腕だけでなく左手の中にあるナイフも濡らしてゆく。その目に焼きつくような赤と痛みが、いやおうなしにサクに理解させた。
 なぜこんな理不尽が行われるのかは分からない。理解もできない。だが、このままでは、自分はもっとナイフで傷つけられて、下手をすれば……殺される?
 それを悟ったサクの顔から、ますます血の気が引いた。絶望に満ちた瞳でカズヤを見返す。カズヤは相変わらず薄く笑っていた。
「おまえも向かって来いよ。なんのためにそれやったと思ってんだ」
 カズヤがサクの手の中にあるナイフを、顎でしゃくった。サクはカズヤを凝視したまま、後ずさった。あまりの異常事態と恐怖と混乱とに、呼吸がうまくできずに乱れきっていた。
 頭に全身の血が一度に集まったようで、かと思うと一気に下がったようで、目が回る。言葉どころか、声すら出すことができない。そして握り締めるナイフに張り付いたように、指も動かない。
 何だ。何をさせたいのだ。このナイフを抜いて、向かって来いというのか。そんなことをして、させて、いったい何が楽しいという。できるわけがなかった。生きた人間を、生身を刺すだなんていうことが、自分にできるとは思えなかった。
「まあ、逃げ回るならそれでもいいけどな」
 カズヤは軽く言って、また向かってきた。大きな猫のような、むしろ猫科の猛獣のような剽悍さとしなやかさがカズヤにはあった。
 まともに思考も働かなくなったまま、ひたすらサクは逃げた。
 無理だ。無理だ無理だ。なぜこんなことになっているのか、自分がいったい何をしたというのか。
 ひたすら追い立てられ、逃げ回るうちに、まるで猫がいたぶるようにカズヤのナイフが身体のあちらこちらを少しずつ傷つけてゆく。肌が切れるたびに悲鳴を上げたくなるような痛みが走ったが、しまいにはもうどこがどう痛んでいるのかすら分からなくなってきた。
「少しは抵抗しろよッ!!」
 逃げ回るばかりでナイフを抜こうともしないサクに苛立ったように、カズヤが声を張り上げた。カズヤの側から逃れようとした胸ぐらを乱暴に掴まれ、そのまま強い力で路上に突き倒される。
 その瞬間、自分の上に一緒に倒れ込みながらブレードを大きく引いて振り下ろそうとするカズヤの姿と、その頭の向こうに、狭い路地のビルとビルの隙間から細長い青空が見えた。目眩がした。
 何も考えずに動いていた左手がナイフの鞘を払い、右腕がそのブレードを突き出していた。サクの上に倒れ込んだカズヤの喉元に、それはぴたりと切っ先を向けていた。同時にカズヤのナイフの切っ先も、サクの顔面にあと数センチの距離まで迫っていた。
 互いにあと少しで急所を抉る、という配置のまま、二人の動きがそこで止まり、歓声と野次を飛ばしていた人垣も水を打ったように静まり返った。
 仰向けに倒れ込んだままの姿勢で、しかしカズヤの喉元につきつけたナイフは動かさず、サクは荒い呼吸を繰り返した。
 自分にそんなことができたのは、ただのまぐれでしかなかった。こうしていても、自分にそれ以上ブレードを動かし、カズヤの首に突き入れることができるとは、到底思えなかった。
 だが今はハッタリでも、それを悟られずに押し切らなければならなかった。だからぐっと息を飲み込んで、全身の力で抗うようにカズヤの目を睨みつけた。
 カズヤは明らかに驚いた顔をしていた。緊張感がないのは、サクのそれなどしょせん脅しであり刺せはしないことを見抜いているせいだろうか。
 黒い瞳を細め、にいとその綺麗な唇の端をカズヤは持ち上げた。
「やめだ」
 言って、身軽に立ち上がる。無造作な動きにサクの突き出していたナイフがその首筋を若干傷つけ、サクの方が慌ててそれを引っ込めた。
 しかしカズヤはそんなことにまったく構わないように、サクを上から見下ろした。
「てめえみたいな腰抜けと、こんなんで遊んでもつまんねえ。来いよ」
 それだけ言って、近くのビルのドアを開け、その中に入っていってしまう。
 静まり返っていた周囲の空気がほどけ、人垣も崩れ始めた。サクはその中で、まだ震えている身体をやっと起こし、カズヤの消えていった粗末なドアを見つめた。
 立ち上がろうとしたが、なかなか足に力が入らない。なんとか切り抜けたのだろうか。切り抜けることができたのだろうか。
「あーあ。気に入られちゃったねえ。かっわいそぉ。がんばってねぇ?」
 派手な化粧の少女が、にやにやと笑いながらサクの顔を覗きこみ、やけに可愛らしい声で言って、崩れていく人垣に混ざってその場から遠ざかっていった。
 意味が分からず、サクはそれをただ見送った。
 そこでやっと、自分の身体から流れ出した血に汚れ、強く握り締めたせいで指が張り付いたようになってしまっている右手のナイフに気がついた。嫌悪感に、サクは左手でその強張ってしまった指を引き剥がし、ナイフを投げ捨てた。
 身体のあちこちにつけられた切り傷が、ひりひりと痛んだ。肌や裂かれたシャツに転々と赤い色が滲んで、サクをひどく惨めな気分にさせた。
 何がなんだかわからない。だがひとまず、もう刺されるようなことはなく済みそうだ。
 震える膝になんとか力をこめてサクは立ち上がり、カズヤの消えていったドアに向かっていった。


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