cats and dogs

‐original BL novels‐



-朔の章- 第一のパンドラ(2)

   § : 「cats and dogs」
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 ……それでも、駄目だったのだ。自分では。
 打ち棄てられた廃都の瓦礫の中を歩きながら、こらえようもなく、熱くなった目の奥から押し出されてくるように、涙があふれた。
 しょせん実の子供ではなかったから。血筋は勿論、家名も財産も、それは他人の自分の存在など簡単に消し飛ばすほど重すぎて。それに自分は、存在するだけで父の不快感を刺激してしまうから。
 父は社会的な立場上、イメージや体裁がとても大事だった。「身寄りのない孤児を引き取り、跡継ぎとして育てている」ことも、慈善事業家でもあるその慈愛精神を語るための引き合いによく出されていた。
 そんなところに、今まで持ち上げてきた養子の長男ではなく、後から生まれた実の息子を後継者にしてしまったら、どれほど悪意をもって取り沙汰されることになるだろう。それは下手をすれば、政治家生命や事業の先行きを危うくすることにすら繋がりかねなかった。
 名に傷をつけず、かつ血を分けた我が子を日陰者にしないためには、「世間の同情を買う形で長男に消えてもらう」のが、最も望ましい。おそらく、父はそう考えたのだろう。
 自分が「消えた」後に世間に発表される形は、誘拐を臭わせての「行方不明」あたりだろうか。良い父であり慈善事業家と世間からは思われている父の「裏」の姿を思い出し、ひどく歪んで乾いた笑みが涙と共に落ちた。
 昔から家に出入りしている黒服連中達が、人には言えないようなことを何かやっていることも、薄々感づいていた。父は表向きの慈善家としての姿はどうあれ、実際には辣腕家で容赦がなく敵が多い。かつて俊に本物の重たく冷たい拳銃を見せられ、それを手にしてみたとき、父と自分の家の本質を理解していた。
 理解していたけれど、今自分の置かれた状況を受け入れるには、あまりに張り裂けるほど心が痛かった。まさかここまで両親に疎まれていただなんて、信じたくなかった。
 しかし、今自分が生きてここに​​​──廃都と呼ばれる場所にいること自体が、まさしく両親に捨てられた証なのだ。
 廃都に近付いた者、そして廃都の中から出ようとした者は、容赦なく撃ち殺される、と教えられていた。実際にそういう報道は昔から日常茶飯事のようにあったし、射殺された者の写真を見たこともあった。
 だがそれなら、自分はなぜあのときフェンスに近付いて登ったにも関わらず撃たれなかったのだろう。それは、父があらかじめ手を回していたからではないのか。自分が廃都に入るのを止めるなと。
 財布や多少の荷物の入っていたリュックも結局車の中に置き去りにしたまま、今の自分は、まさしく身一つで何一つ持っていない。ポケットの中にもろくなものが入っていない。
 とりあえず唯一の所持品だったハンカチは、ふたつに引き裂いて左右の手に巻きつけた。生傷同然の有り様をそのまま晒しておく気にはなれず、またこんな場所であるだけに破傷風も恐かった。
 携帯電話も、きのうはたまたまリュックの中だった。誰かに電話したいと思ったが、公衆電話を見つけることもできず、あったとしても小銭すら持っていない自分にはどうにもできそうもなかった。
 これからどうすればいいのか、さっぱり分からない。
 ひたすら歩き回り、事態が自分の中に浸透してゆくにつれ、次第に絶望感が首をもたげてきた。
 何一つ持たず、何一つ分からず、そしてこんな残骸ばかりの廃墟の街から、おそらく出ることすらかなわない。
 昨夜から、いやそれよりもっと早い時間から水分を摂取しておらず、喉がひりつくほど渇いていた。水、という、今まであまりに身近にあってありがたみも感じたことの無かったそれが、今はどこにあるのかすら分からない。廃都にも人はいるはずだが、人がいるということはどこかに生活必需品の供給源もあるはずだが、こうして歩いていても誰にも出くわさない。
 人間が水分を摂取しなくても生きられる限界は三日間だ、と、何かで聞いたことがある。であれば、自分にはまだまだ余裕があるはずだ。
 しかし、にもかかわらず喉がたまらなく渇いて、それは早くも肉体的苦痛になり始めていた。通りすがりに完全に錆び付いた蛇口を見かけたこともあったが、掌の痛みをこらえてなんとか捻ってみても、ガチガチに固まって微動だにしないか、回っても水など当然のように出なかった。
 ​​​──どうしてこんなことになってしまったのか。
 その成り行きを頭では理解していながらも、感情がそう繰り返さずにいられなかった。
 昨夜、自分を撃ち殺そうとした俊を思い出す。子供の頃からずっと近くにいて、サングラスと黒服が似合って、基本無口で、さり気無く洒落ていて、そして自分にはとても甘かった。一晩中ゲームにつきあわせたり、くだらないテレビを見て一緒に笑い転げたり、初めて出来た彼女とのことで悩んでいるとからかいながらも相談に乗ってくれたり、本当に兄のように思ってきた。
 俊はあれから家に帰って、自分が廃都に逃げ込んだことを父に報告したのだろうか。結果的に父の命じた通りになったのだから、俊が不興を買うことはないだろう。
 昨夜、俊に撃ち殺されていた方が幸せだったのだろうか。ちらりと思ったが、途端に悪寒が走って強く首を振った。自分が死ぬことなんて、恐ろしくて考えられもしなかった。
 あそこで撃ち殺されなくて良かったのだ。自分を手にかけていたら、俊も一生それを引きずっただろう。おそらく最後の最後まで、本当に自分の唯一の味方だった俊に、そんなつらい重荷を背負わせたくはなかった。そうせずにすんだことを、せめてもの救いだと思った。
 喉が渇いて水分を求めているにも拘わらず、熱く冷たい涙が際限なく頬にこぼれ続けた。
 彷徨い歩く頭上に、乾いた青空がただ広がっていた。


 曲がり角を曲がった途端出くわした人影に、あまりに驚いて、ひっ、と喉を鳴らせて悲鳴を上げてしまった。
 その曲がり角を作っている建物には、角のところに地下へと続く階段があった。昔は地下鉄の構内へと続く階段だったようだ。
 そこから上がってきたばかりと思われる人物もまた、驚いたようにこちらを見返していた。
 自分より何歳か年上に見える、大学生くらいの男だ。大柄ではないが小柄でもない自分より、かなり身長が高い。細身だが身体つきのバランスが良く、肩や腕にはしっかりと筋肉がついている。Tシャツにジーンズという服装は洗いざらしですっかり色あせしているが、きちんと洗濯されているようで汚れらしい汚れはない。
 何よりその、腰まであるのではないかと思う長い黒髪に目がいった。伸ばしっぱなしのようだが綺麗に日差しを反射して、やはり手入れをされているのだというのが分かる。大雑把にそれを後ろで括っているのがやけに似合い、黒髪に囲まれたその顔立ちは、驚くほど整っていた。切れ長の目が印象的で、精悍なようでありながら、どこかやけに艶がある。睫毛の長さや、色の深い瞳がそう思わせるのだろうか。
 この人は……ここで「生活」している人だ。
 思いながら馬鹿のように見返していたところに、相手が形の良い黒い眉をひそめた。
「……なんだ、おまえ?」
 ハスキーな声が呼びかけてきて、そこでやっと我に返る。昨夜からあまりにショックなことが続いて、まともな思考力が失せかけていることに気付いた。
「あ、えと、……」
 声を出そうとしたら、ひどく渇いているせいかかすれきって、うまく出せなかった。
 ちゃんと話さないと駄目だ、と、慌てて喉の調子を整えようとしたら咳き込んだ。この右も左も分からない、水すらどこにあるか分からない場所で、やっとここできちんと生活しているらしき人に会えたのだ。なんとしてもこの人から情報を得なければいけない。そしてできれば、助けがほしい。
 しかしカラカラに渇いた喉はなかなか咳がおさまらず、ヒューヒューと嫌な音を立てた。熱を持ったように頭がぐらぐらする。
 ふいに男が腕を伸ばしてきて、手首を握られた。そのまま無造作に持ち上げられて、若干捩れた関節に痛みが走り、また悲鳴を上げかけた。
 男の黒い瞳は、じっと掴んだ掌を見つめている。二枚に割いたハンカチだけでは包帯がわりというには頼りなく、布の隙間からまだ血の滲む傷だらけの肌が覗いていた。
「外から来たのか」
 男が言った。この掌のありさまを見て、外とこの廃都を隔てるフェンスを越えてきたのだと察したのかもしれない。
 廃都への侵入経路はいくつもあるのだろうし、警備の目につきやすいフェンスをわざわざ越えるのは危険度が高い。だが最も手軽であるだけに、なんとかして越えてくる者は案外多いのかもしれなかった。
 自分にとっては来たくて来た場所ではなかったが、外の世界であぶれたり行き場を失った者にとっては、廃都は最後の楽園であり、生きる砦だろう。
「……うん」
 やっと声が出るようになり、それでもガラガラにからんだ声のまま、ようやく頷いた。
 男はすぐに手首を解放した。
「おまえ、名前は」
 問いかけられて、男を見上げる。冷たい印象を与えるほど整った顔が、無表情に自分を見下ろしていた。
 名前。一瞬考える。自分の名前は……養子に入ったときに両親に名づけてもらったという自分の名前は。
 それを答えることに胸に痛みが走ったが、しかし、その名前を捨てることには、それ以上に締め付けられるような痛みを感じた。何もかも失ってしまった自分に残された、確かに愛され幸せだった記憶につながる、唯一のもの。
 また涙が滲みそうになるのを、ぎゅっと一度唇を引き結んでこらえた。さすがにこの見知らぬ男の前でいきなり泣き出すのは恥ずかしかったし、嫌だった。
「……サク」
 やっと、答えた。
 男は無言で立ったままだったが、やがてすいと踵を返した。しなやかに背中が返され、長い脚が運ばれる。歩いてゆく男から足音がしないことに、サクは驚いた。大きな猫のような人だ、と漠然と思った。
 立ち尽くしているサクを、男が振り返った。
「ついて来ないのか。助けがいるんだろう」
 その言葉にまた驚いて、サクは思わずまばたきした。
 助け。喉から手が出るほどほしい。でもそれをこんな簡単に得られるとは思ってもいなかった。
「あの。あなたの名前は?」
 慌てて追いかけながら、サクはすでに歩き始めている男の背中に尋ねた。何もかも分からないが、これほど不安定な状況の中で誰かと出会ったことが、唯一のよすがのようにそれを尋ねさせずにおかなかった。
 立ち止まりもせず、男はぶっきらぼうに答えた。
「カズヤ」


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