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‐original BL novels‐



秘戀 -前-

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【約16,000文字、読了時間約32分】
番外編/和風/ファンタジー要素あり/異界/和と官能/あやかし/遊郭/男娼/元指南役と教え子/青年/大人になりかけ/甘め/焦らし気味/健気/
今宵も多くの人ならぬもの達で賑わう異界の街「終の涯」――そこにある妓楼・最玉楼。
その一室で交わされた、ある一夜の甘い戯れ。
     ◇
シリーズ番外編です。「最玉楼に遊びに来た巳汐が、夜光に優しくするお話」をリクエストされ、突発的に書いてみました。
他のお話を知らなくてもあまり支障のない内容ですが、戯れ中心でさしたるストーリーもありませんのでご了承下さい。



  

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 寝覚めのように眠たげな上弦の月が、黄昏刻を迎えつつある終の涯(ついのはて)の空に、ぼんやりとした姿を見せ始める頃。

 色褪せてゆく西の空に、いよいよ不夜城である遊郭一帯が活気付いてゆく。無数の明かりが地上に生じた星の海のように煌く中、城郭さながらの重厚かつ壮麗な姿を横たえている妓楼のひとつ「最玉楼」の廊下を、小走りに駆けてゆく白い姿があった。
 年の頃は、成人というにはやや若い。上背はそこそこあるものの、月光が零れたような乳白色の髪が揺れる肩は頼りなげに薄く、折れそうに華奢な身体付きをしている。綺麗に整った中性的な容貌は、どこかしらまだ幼さを残し、髪色の柔らかさと白藍色の小袖のせいか、全体に真綿のように柔らかな印象があった。
 着物の裾を捌きながら小走りに往くうちに、雪のように白い頬が若干上気し、多少呼吸が弾んでくる。豪奢な柱の立つ曲がり角をいくつかまわり、視界の先に人だかりのできている場所を見つけると、その混じりけのない紫苑色の瞳が、ぱっと輝いた。
 しかし人だかりの賑わいに、気がひけて近付きたいのだけれど近づけない、という様子で、白い姿は立ち竦む。その姿に、人だかりの中心にいた人物の方が気が付いた。
「――夜光(やこう)」
 人だかりの中心にいた、淡い露草色の髪のすらりとした姿の若者が、白い姿に呼びかけた。人だかりがそれに反応して、そわそわと明るくざわめきながら、白い姿――夜光を見返ると場所をあけた。
 皆が場所をあけてくれたおかげで、互いに姿がよく見えるようになる。まだ大人になりきっていない柔らかな白い頬をほんのりと上気させたまま、夜光もそこにいた露草色の髪の若者に向かって呼びかけた。
「巳汐(みしお)様……」

 かつて最玉楼の人気の「花」であった巳汐は、夜光の指南役を務めたこともある人物だ。指南を受けていた頃は勿論、花として上がる前の地ならしの時期や花となった後も、巳汐は何くれと夜光のことを気にかけて世話を焼いてくれた。
「お久し振りです、巳汐様……ようこそいらして下さいました」
 久方振りに見たその姿に、夜光は無性にどぎまぎしてしまいながら、その前まで進み出て腰を折った。
「久し振りです。約束通り、今日は客として遊びに来ました」
 そう言って切れ長の瞳を細めるように微笑した巳汐は、最玉楼を引退したからといって、その怜悧な印象の美しさは欠片ほども損なわれてはいなかった。
 巳汐のすらりとした細身の姿を包むのは、模様の差し色が鮮やかな深い瑠璃紺の長着。その色合いは、青ざめて見えるほど白い巳汐の肌に映え、深く澄んだ蒼玉を思わせる双眸と淡い露草色の髪に、とりわけよく似合っている。
 その立っているだけで人目を魅かずにはいない艶やかさに、夜光は思わず、ほぅと溜め息をついてしまった。巳汐がこの最玉楼から去って、かれこれ一年ばかりも経つのだろうか。そこにいる巳汐は、花としてあった頃とはまた違う、どこか和らいだ色香を纏っているように感じられた。
 一方で、そこに立っている夜光自身も、人だかりを作っていた周囲の者達からすれば、充分に煌くように美しかった。夜光は現役の、そして近頃の最玉楼では特に人気が上がり目の若々しい花である。毎夜人目に晒されて磨かれるうちに、その容貌には自然と内から滲み出る華や艶が備わるようになっていた。
 周囲の者達にとっても、かつて最玉楼で人気の花として名を馳せた巳汐は慕わしい相手であり、その人気は今尚衰えるものではなかった。そんな二人が揃っている姿に、気を利かせて少し退いた周囲の者達は、昂揚した面持ちで耳を寄せ合い、頬を染めて楽しげに囁き合っている。

 開門を控えた時刻、にわかにざわめいているそこに、萌葱色の装束を纏った妙齢の女性が一人、足早にやってきた。
「あらあら、これは巳汐さん。ようこそおいで下さいました」
 巳汐が訪れていると知らされてやってきた花師――花や芸子達の座敷の回転を取り仕切る纏め役――の瑞葉(みずは)が、おっとりと、しかし礼節を損なわぬよう深々と、巳汐に腰を折った。
「お久し振りです、瑞葉様。ここは相変わらずの賑わいですね」
「そりゃあ皆さん、よく頑張って下さってますから。でも巳汐さんが暇(いとま)を取られてから、戻って来ないのかと内からも外からも聞かれない日はありませんよ」
 自身もかつては人気のある花だった瑞葉は、今尚その明るい美貌は衰えていない。瑞葉は周囲にたまっている者達を、もう開門なのだから仕事がある者は行きなさいと追いやってから、いささか所在なげに佇んでいた夜光を見返った。
 じきに開門を迎える以上、夜光もあまり長くここにとどまっているわけにはいかなかった。だがせっかく一年振りに訪れてくれた巳汐とも別れがたく、かといって巳汐の為に我侭をいって急に勤めを休むこともできない。そもそもそんなことをしたら、花としての意識が高く特に厳しかった巳汐から、叱られるか軽蔑されるかしてしまうかもしれない。
「瑞葉様」
 その夜光のしょんぼりとした顔を数秒黙って見下ろしていた巳汐が、ついと艶やかな微笑と共に瑞葉に視線を転じた。
「特別なもてなしは要りませんので、今日は夜光だけ、私の座敷にいただけませんか?」
「え」
 思いがけぬ言葉に、夜光が驚いて顔を上げた。
「……そうですねぇ」
 瑞葉も当然、夜光がかつて巳汐に世話になったことは知っている。それに普段から夜光は真面目に勤めており、これまで我侭ひとつ言った事はなかった。夜光は素ではあまり喋る方ではないが、礼儀正しく素直で努力家であるところを、瑞葉もまた可愛く思っていた。
「せっかく巳汐さんがいらして下さったんですから。夜光も今夜ばかりは、日頃の憂さを忘れて巳汐さんに甘えたいでしょう。ようございます。夜光、今日は急病でお座敷は休みということにしておきますから、巳汐さんにお付き合いなさい。粗相のないようにね」
 瑞葉ににこりと笑いかけられ、夜光は思わぬ成り行きに驚きながらも、慌てて「はい」と頷いた。その遣り取りを見て、巳汐が瑞葉に軽く頭を下げた。
「ありがとうございます、瑞葉様」
 花であった頃は無数の客人を魅了してきた巳汐の美しい微笑に、瑞葉が若干ぽわんとした目付きになった。まんざらでもなさそうに、瑞葉もまた上機嫌に頷いた。
「いいえ。この最玉楼の為に、長年尽くして下さった巳汐さんの頼みですからねぇ。良いお部屋をご用意させて頂きましょう。今宵はお客様として、ごゆっくり堪能なさって下さいませ」


「なんですか、溜め息ばかりついて」
 客として通された仄明るい座敷で、巳汐がそんな言葉を発した。
 手漉き和紙を張った筒行灯の明かりは暖かく、脇息に凭れて寛いでいる巳汐の姿をふんわりと照らしている。その姿に無意識に見とれてしまっていた夜光は、我に返ると慌てて首を振った。
「い、いいえ。すみません、つい……巳汐様が、相変わらずあまりにお綺麗なものですから……」
 最玉楼にいた頃の巳汐は、常に真っ直ぐに背筋を伸ばし、どこかぴりりと張り詰めたような空気があった。それがまた隙のない氷の弦のような美しさを孕ませてもいたのだが、今こうして寛いでいる巳汐の様には、それとはまた一味違う、香り豊かに水面に浮く花影のような風情がある。巳汐のその柔らかなたおやかさが、夜光には新鮮だった。
 心から言ったのに、巳汐は半ば呆れたような視線を夜光に返した。
「どうせ褒めるのなら、もう少し凝ったことを言いなさい。そんな何の捻りもない言葉では、そうそう誰ものぼせ上がらないでしょうに」
「は、はい」
 ぴしりと言われて、夜光は正座をしたまま、思わずしゅんと下を向いてしまった。
 巳汐には昔から、とにかく叱られてばかりいたことを思い出す。夜光は今日は勤めを休めるということ以上に、久方振りに懐かしい巳汐に会えて、ゆっくりと話す時間をもらえたことが嬉しかった。けれど巳汐にとっては、いつまでも自分は頼りなく未熟な後続でしかないのだろうかと思うと、少し寂しくなった。
 夜光が下を向いていると、その耳にくつくつという笑い声が聞こえてきた。
 見ると巳汐が顔を伏せて笑っており、それは控えめではあったが、巳汐がそんなふうに声を立てて笑うところなど見たことのなかった夜光は目を丸くしてしまった。
「巳汐様……?」
「……そうあからさまにしょげ返らずとも。まったくおまえは、何も変わっていないのですね」
 急に笑い出した巳汐にも驚いたが、言われたことにも、夜光はどう反応を返していいのか分からなかった。それは褒めているのだろうか、その逆なのだろうか。そんな夜光をよそに、巳汐は置かれた膳から細い指で杯を取り上げた。
「冗談ですよ、ちょっとからかいたくなっただけです。おまえが今日は花としてここにいるわけではないことくらい、分かっています」
「そ……そうでしたか」
 不機嫌そうではない巳汐に、夜光はほっとした。今まで見たことのない寛いだ様子で接してくれる巳汐が目新しく、酒の満たされた瓶子を取り上げながら、夜光は気が付けば再び視線を奪われていた。
 夜光の持つ瓶子が、酒を注ぐ拍子に巳汐の杯に軽くふれ、小さくかちりと音を鳴らす。その音に、巳汐にこんなふうに酒を注いだことなど今まで一度もなかったことを、夜光はあらためてしみじみと思った。
 今夜の夜光が纏っている白藍色の小袖は飾り気がなく、座敷に上がるにはいささか地味なものだった。巳汐が訪れたときはまだ開門前だったから、普段着のまま着替えていなかったのだ。
 今日は休んでいいと言われて、そのまま巳汐の座敷に来てしまったが、もしやこんな格好で巳汐を迎えるのは失礼だったろうか。先ほどの巳汐の言葉もあって、夜光は今頃そう思った。
「あの……少しお時間をいただければ着替えてまいりますが」
「着替える? 何に?」
「お座敷用の着物に」
 夜光の言葉を聞いた巳汐が、蒼い瞳を瞬かせた後、ごく小さくではあったが吹き出した。巳汐のそんな姿をやはり想像だにしたことのなかった夜光は、驚きつつも、自分はそんなにおかしいことを言ってしまったのかと困惑した。
「巳汐様?」
「何を言うのかと思えば……今日は私も、そのようなつもりで来たのではありませんよ。まあ、最初にからかってしまった私が悪いのですが」
 巳汐の手が瓶子を取り、促すように夜光に差し出した。
「最玉楼の様子も気になってはいましたが、それ以上におまえが達者でやっているかが気になっていたのです。今日は堅苦しいことは無しで。私がここを去ってからの話を、いろいろと聞かせて下さい」
 巳汐の口からそう言われ、内容の思いがけなさに、夜光はまた戸惑った。巳汐に気にかけてもらっていた、と思うと、嬉しいような気恥ずかしさがまさるような、なんともくすぐったい心地がした。
「……はい」
 自分も杯を取って注がれる酒を受けながら、夜光は小さく頷いた。指先にかかった杯の僅かな重みに、胸の奥からほのぼのとした暖かい気持ちが生まれてくるのを感じた。


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