cats and dogs

‐original BL novels‐



花舞いの岸 (五)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 よく晴れ渡った終の涯の青空は、不思議な虹色の光芒をうっすらと帯びている。その空を動いてゆく白っぽい太陽には、特徴的な月虹に似た光の輪が掛かっている。
 ゆるやかな高台にある最玉楼の窓辺からは、賑やかで広大な街を見下ろすと共に、西の方角にある海まで展望できた。
 入り江状の海辺には白い砂浜が広がり、そこは虚(うろ)ノ浜と呼ばれている。
 真っ直ぐな水平線を描くうららかな海を、最玉楼の窓辺に頬杖をついて眺めながら、巳汐は淡い露草色の髪を柔らかく微風になびかせていた。
 どこか眠たげな終の涯の空の色は、極楽浄土の空もかくやと讃えられる。その空の下に広がる海もまた、光を受けて紺碧のようにも翡翠色のようにも見える、絶妙な色合いで輝いていた。
 あの海は美しいばかりでなく、とても豊かだ。浅瀬には珊瑚礁が広がり、深海部分は底が知れないほど果てしなく深い。
 あの海は様々な異界と繋がっており、多様な海洋生物の他、異界との間を隔てる時空の壁を越えることができるものや、何かの拍子に迷い込んでくるものまで、それぞれの海域で多くのモノ達が伸び伸びと生きている。巳汐も元々は、あの美しい海で暮らしていた。
「随分物憂い風情じゃない、巳汐」
 瑠璃色の煙管を手に、巳汐がぼんやりと遠くの海を眺めていると、環(たまき)という名の顔馴染みの芸子が声をかけてきた。
 今はまだ最玉楼が開門する刻限よりだいぶ早いので、巳汐もそうだが、環の方も身軽な普段着姿をしている。
「そうですかね」
 巳汐はちらりと視線を彼女に動かしただけで、すぐにまた海に戻す。巳汐の深い色の瞳は昼の陽光を受けて、普段より少し明るい、いっそう美しく透明に煌く蒼玉のようだった。
「光の加減かしら。顔色もあまり良くないみたいよ。ちょっと疲れてるんじゃない?」
 昔からの付き合いで、巳汐の愛想のなさには慣れっこになっている環は、構わず巳汐が立っているのと同じ窓辺に立った。環は気持ち良さそうに晴れ渡った景色を見下ろし、細い腕を伸ばして伸びをした。最玉楼で芸子をやっているだけあって、環も小柄ながら見栄えの良い容貌をしていた。
「私の顔色はいつもこんなものです」
 血の気が青白く透けるほど真っ白い肌色をしている巳汐は、露草色の髪をゆるやかに風に遊ばせるまま、やはり素っ気無く答える。環は少し考え込むようにし、一人で納得したように頷いた。
「まぁ、あんたの本体って白蛇な上に水妖だものね。確かにもともと血色は悪いか」
「蛇ではなくて水蛟(みづち)ですがね」
「いいじゃない、実際白い蛇なんだから。大差ないでしょ」
「蛇と一緒にされるのはさすがに」
「あぁ、確かにあんたの水妖姿は綺麗よねぇ。白い鰭がこう、ひらひらして薄帛(うすぎぬ)みたいなの」
 環は笑うと、巳汐の整った横顔を伺うように見た。
「お休みもらって、しばらくのんびり海に還ったら? たまにはのびのび泳ぎたいって顔してるわよ」
「……まぁ、勤めが一段落したら考えますよ」
 巳汐は窓辺から離れ、ゆっくりと廊下を歩き出した。そのすらりとして腰の細い後ろ姿に、環はふとしたように尋ねた。
「そういえば、夜光ちゃんの世話を任されたんだっけ。どう、あの子? あんたはそんなつっけんどんで無愛想だし、あの子は人見知りで繊細だし。大丈夫なのかしらって、ちょっと心配なのよねぇ」
 夜光のことも見知っている彼女の問いかけは案外真面目で、黒目がちなくりんとした瞳は案じるような色を帯びていた。
 巳汐は足を止め、彼女を振り返ると、しばらく返す言葉を考えるように沈黙した。
 物見窓からの心地良い風に煽られた淡い露草色の髪が、明るい陽光を受けてふわりと光りながら散る。長めの前髪の下で、深い蒼の瞳が、ごく僅かながら笑みを含んだ。
「あの子は、なかなか良い花になれると思いますよ。なにしろ気迫がありますから」
 あとは一瞥だにせずゆっくりと歩み去ってゆく巳汐を見送りながら、首を傾げた格好でその言葉を聞いた環は、納得したように「ふむ」と頷いた。
 そしてひとつ伸びをすると、歩み去ってゆく巳汐とは反対方向に、彼女も窓辺から離れて歩み去っていった。


「あの……ありがとうございます」
 その日の日没後。ここ数日の日課通り、今夜も巳汐のもとを訪れた夜光が、畳の上に正座し俯いたまま、そんな言葉を切り出した。
 さんざん迷った末にようやく意を決して口を切った、といわんばかりのその様子に、これを吸い終わるまでと瑠璃色の煙管をくゆらせていた巳汐が、深蒼の瞳を動かした。
「何がです」
 いつものことではあるが、巳汐のひやりとくるような眼差しと物言いに、夜光はますます俯く。見るからに緊張してかしこまった様子の夜光は、まるで叱られたように身を小さくしながら、やっと先を続けた。
「その……いつも、お部屋まで運んで下さって。私が動けなくなってしまうから……それに……」
 汚れた肌をきちんと拭って寝間着を着せて、見苦しくないようにしておいてくれる。寝床の中で目覚めたときに、前夜の痕跡がとりあえず目に付くものとして残っていないことは、どうしても襲ってくる不快感や嫌悪感をかなり軽減していた。夜光はそこまで言いたかったが、夜ごと行われる行為に記憶が直結してしまうそれを口に出せず、赤くなって口ごもった。
「それに……その、薬湯を用意しておいて下さったりも。いつも、本当に助かっています。……ありがとうございます、巳汐様」
 なので、そのあたりについては飛ばして言い、夜光はあらためて頭を下げた。
 巳汐は細い眉を微動だにさせず、夜光が「おかしなことを言って怒らせてしまったのだろうか」と心配になるほど無言だった。
 巳汐は厳しいし、言葉や表情が決して豊かではないが、でも本当はきっと優しい人だ、と夜光は近頃思い始めている。そうでなければ、意識を失ってしまった後の夜光のことなど放っておくのではないかと思う。夜ごとの手ほどきに使われるこの部屋は、別に巳汐の座敷なわけではないのだし、面倒なら夜光を放って他の者に後始末を任せ、自室に帰ってしまうことも巳汐はできるはずだった。
 そうは思いつつも、巳汐のとにかく淡々として何を考えているのか分からない様子には、夜光は何度も叱られてばかりいるだけに、いちいちびくついてしまう。このときも、思い切って言ってはみたものの、巳汐の反応があまりに淡白で、やっぱり余計なことだったのかと下を向きながら半泣きになっていた。
 巳汐がすいと手を動かして煙草盆に灰を落としただけで、夜光の薄い肩がびくりと震えた。
「薬湯については、用意しているのは私ではありません。私はただ、渡されて運んでいるだけです」
 巳汐が発した声には、やはりたいした抑揚はなかった。しかし言葉を返してくれたことで、どうやら怒ってはいないようだと、夜光はほっとした。それと共に、言葉の内容が意外で顔を上げた。
「え?」
「雑仕女達や芸子達の何人かが、おまえのことを案じているようです。おそらく申し合わせているのでしょうが、毎日誰かしらが、あんな時間にも関わらず薬湯を用意している。私はそれをおまえの部屋に運んでいるだけです」
「……そうなのですか?」
 自分の知らないところで誰かが案じてくれている、ということに、夜光は驚いた。咄嗟に、長の離れで暮らしていた頃、ちょくちょく顔を出して手を振ってくれたり遊んでくれたりした、気さくで朗らかな女性達の姿を思い出した。
「おまえが思っているより、おまえを案じている者は多いですよ」
 瑠璃色の煙管を片付けながら、あっさりと巳汐は続けた。
「おまえが疲れた様子でいるのを見て、あまり虐めてくれるなと女性達に小言をいわれることもあります。私としては、そう言われても困ってしまうのですがね」
「ご……ごめんなさい……」
 思わず夜光は身を小さくして、また頭を下げた。思わぬ流れで知らされたことが、驚きであり戸惑いでもあった。その一方で、見知らぬ誰かが案じてくれているということが、信じられないような、気恥ずかしくも嬉しいような気持ちが湧き上がっていた。
「別におまえを責めているわけではありません」
 巳汐は切れ長の瞳で夜光を横目にした。その目つきがまたむやみに鋭く見え、夜光はびくりとしてしまった。
 その夜光の反応に、巳汐が小さく嘆息した。
「……とにかく、その件に関しては私が礼を言われる筋合いではありませんから」
「は、はい……あの、でも」
「何ですか?」
「み……巳汐様が私を気遣って下さっていることは確かですから……それに、私のためにお勤めを休んで下さってもいます。ご迷惑をおかけしてしまっているのに、あの……本当に感謝しています」
 たどたどしくいかにも不慣れな様子で、俯いたままとはいえやけに懸命に訴えてくる夜光を、巳汐はしばらく黙って見返していた。
「そう思うのならば、一日でも早く私の手元を離れて、座敷に上がれるようになって下さい」
 そう返した一言がよほど冷然と響いたのか、夜光が小さく息を呑んで一瞬だけ巳汐を見上げ、あからさまに力の入っていた肩をしゅんと落とした。
「……はい……」
「責めているわけではない、と言っているでしょう」
 なんだかそのつもりはないのに夜光を虐めているような気持ちになってきてしまい、巳汐は再び溜め息をついた。夜光がうっすら涙ぐんでいるようであるのを認め、巳汐としてはできるだけ声音をやわらげて続けた。
「私の物言いがこうだ、というのにも慣れて下さい。私はおまえを迷惑だとは思っていませんし、なかなか頑張っているとも思っています。邪険にしているように感じたのなら、それは詫びます」
「い、いえ。そんなことはありません」
 慌てて夜光が首を振る。その仕種に、乳白色の髪が行灯の明かりを受けてやわらかく光を散らした。
 ――女達もだが、長様がこの子を可愛がる気持ちも分からないでもないな。
 その大きめな紫色の瞳を見ながら、巳汐はふと考えた。
 夜光は要領が良いとは言えず、そしてとにかく懸命で打算がない。気持ちの弱さや怯えがあることを隠さず、しかしそれに甘えることはない。おそらく真正直すぎて不器用なのだ。甘えてほしいと思う性分の者から見れば、そういうところは少々じれったいだろう。
 このままの性分で、花として座敷に上がることはつらいだろう。それもまた夜光は既に自覚している。切り替えなさいと巳汐に言われたあのときから、夜光は「花」として在る自分というものを徐々に形成し始めている。
 強い意思を持つ者は美しい。たとえそれが造花であれ、血涙を呑みながら蕾となり花開いた姿は、「造りもの」ではあっても「偽物」ではない。強い意思と気迫に裏打ちされたそれは、むしろ生花を欺くほどに妖しく咲き誇ることになるだろう。
 その過程に携わるのも案外面白いことなのかもしれないと、巳汐はそんなことを思った。


 巳汐は夜光にあれこれの手ほどきを施してゆく傍ら、たまには身体を休めるため、半ば雑談のように語るだけの日も設けた。とはいえあまりに本題から外れた、それこそただの雑談をするのも、基本的に真面目な巳汐の性分からして無理があった。
「閨での睦み事には、同性同士である場合、たいてい男役と女役がいます」
 今夜は妖しげな香も焚かず、開け放した窓から心地良い夜風が流れ込む中、お茶を飲みながら巳汐は話して聞かせた。
「男役と女役?」
 巳汐の言葉に、その斜め前に行儀良く正座をした夜光が首を傾げた。
「早い話が、挿れる側と挿れられる側ということです」
 あっさりと巳汐が答えると、夜光がぱちぱちと瞬いた後、意味を理解して首まわりまで赤くなった。その様子を、呆れた眼差しで巳汐は一瞥した。
「自分で聞いておいて、赤くなる者がありますか」
「は、はい……すみません……」
 巳汐に手ほどきされるうち、夜光もまだ未熟はあったが、睦み事のあれこれに馴染んできている。にも関わらず一向に初心な様子が薄れず、これはこれで夜光の個性になりそうだった。夜光の場合、下手に慣れた巧みさや露骨な媚態で売るよりも、清楚で控えめで初心な風情を売りにした方が、そういった手合いを好む客層から受けが良さそうだ。
「うちにいらっしゃる方は、ほとんどの男性はそのまま男役をつとめることが多いです。勿論そうではない方もいますが」
 そんなことに頭を巡らせながら、巳汐は淡白に話を続けた。
「ですが中には、私のように性を持たない者もいます」
 夜光が照れ隠しのように飲んでいたお茶から、驚いたように口を離した。
「性を持たない?」
「要は、両方の性を併せ持つということです。人型に変化するときに、あえてその姿を選ぶ者もいますね」
 夜光が目を丸くして、初めてではないかというほど正面から巳汐の姿を凝視した。
「……巳汐様は、男性ではなかったのですか?」
 何しろ手ほどきを受けている間は本当に必死だし、巳汐の姿をまともに見ることも恥ずかしくて、夜光は未だにまじまじとは巳汐の肌を見たことがなかった。ただ、その男性を口で慰めることを教わり始めてはいたし、巳汐の体型には女性のようなまろみがなかったので、男性だと思い込んでいた。
「私はどちらでもあります。相手が望むのであれば、より完全な男性型、女性型に変化することもできますが」
 巳汐は睫毛の長い、そう言われてみれば男性というには危ういほどの色香の滴るような、しかし怜悧な印象の強い切れ長の目で、唖然としている夜光を一瞥した。
「私がおまえの指南についたのも、男の身体と女の身体の双方を教えられるという理由もあるのですよ。それぞれ別の者がついても良いのですが、おまえは出来れば相手が一人の方が良いでしょう」
「……そ、それは……そうかもしれません……」
 夜光はまた直接的なあれこれを連想してしまい、赤くなって俯いた。手持ち無沙汰のように茶器を手の中で弄っている夜光に、巳汐は煙草盆から瑠璃色の煙管を取り上げながら言った。
「どうせ花になれば、そうも言っていられなくなるのですから。甘えられるうちは、まわりの気遣いに甘えておきなさい」
 あえて夜光には言っていないが、夜光の指南役に巳汐を指名したのは長だった。長は普段は完全に最玉楼の裏に隠居して、表の部分には一切関与せずに悠々自適に暮らしている。そうでありながら、最玉楼で働く者達の一人一人についてを驚く程把握しているのは、さすがは長というべきだろう。
 何か思うところがあったのか、はい、と神妙な顔で夜光は頷いた。
 それにとくに視線をくれるでもなく、巳汐は火を入れた煙管を唇に咥えた。
 巳汐も夜光も口数が少なく、自然と空気は静かだったが、どちらも沈黙が苦にならない性分であるせいか、そう気詰まりすることはなかった。
 そのうち座ったまま船を漕ぎ始めた夜光を、巳汐は今日はとくに乱れても汚れてもいない寝床に運んでやった。よほど疲れているのか、夜光は目を覚ますこともなく、そのまま落ち着いた寝息を立て始めた。
 そのまだまだ子供そのものの寝顔に、巳汐はふと、僅かに憐れみを覚えた。詳しい事情など知らないが、あえて夜光は苦難の多い道筋に歩き出そうとしているように見える。長に守られて慈しまれて、平穏に生きることも、この子にはできただろうに。
 見かけは淡雪のように優しく儚げだが、それは見かけだけであるようだ。それが分かっているから、長はこの子を止めようとしないのだろうか。そんなことを思いながら、その薄い肩の上まで掛け蒲団をかけてやり、巳汐は静かに部屋を出て行った。


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