cats and dogs

‐original BL novels‐



花霞に潤む月 (三)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 長く流れ落ちる艶やかな黒髪を軽く撫で付け、姿勢をあらためて二人の前に座り直したのは、間違いなく「長」とだけ皆から呼ばれている人物だった。終の涯にある最玉楼の楼主であり、夜光の育ての親であり、終の涯という場所に最も古くから棲んでいて、そこを護っているという妖。
 その容貌は、身体つきや顔立ち自体が「常葉」と名乗っていた姿のときとは完全に変わっているが、息を飲むほど優雅で美しいことは変わっていない。柔和でふんわりとした空気があり、同時に咲き乱れる芍薬のように華やかで艶やかな印象を纏う。紅梅模様の袿は完全に女性のものであるにも関わらず、色鮮やかなそれを身につけていても、まったく違和感がない。
 当たり前のようにゆったりと座っている長の姿に、葵はしばらくぽかんとした後、どっと脱力して頭を抱えた。
 いったい何をやってるんだ、この人は。
 長に対しては多大な恩義があり、返しきれない借りばかりがある。頭が上がらないほど面倒をかけてもいる。だが、これはいったいどういう悪ふざけなのか。天衣無縫というのか、何にも捉われずふわふわと自由気ままなところがある人物だとは思っていたが。
「いったい、何をしに来たのですか……」
 思わず呻いてしまった葵に、長はしれっと答えた。
「おまえたち夫婦の絆を確かめにきたのです」
 悪びれた様子もない長に、葵は眩暈がした。夫婦というとやはり夜光が嫁なのだろうかと埒もないことをやけに冷静に考える一方、いやいやだからといってこんなやり方はどうなのか、と心の中で思い切り反論した。が、脱力しすぎて言葉が出ない。
 唖然と立ち尽くしていた夜光が、そこでやっと正気づいたように表情を変えた。
「長様……」
 きっ、と、夜光が長に対して向けるのは初めてではないかというほど、白い面差しを険しくする。夜光は長に歩み寄ると、その真正面にいつになく勢いよく膝を落として正座をした。その紫の瞳が、ひたりと長の顔を見据えた。
「私達を案じて下さるお気持ちはありがたく思います。ですが、やって良いことと悪いことがあります」
 声音を抑えてはいるものの、夜光が本当に怒っていることを見て取ったのだろう。長は少々驚いたように夜光を見返したが、夜光が黙って見据えたままでいると、しゅんと肩を落として下を向いた。
「久し振りに会えたのに、そのような恐い顔をしなくても良いではありませんか」
 しょげた様子で長が言うと、夜光がはっとして、いささか慌てたように吊り上げていた眉目をやわらげた。
「お……長様が心配して下さっていることは充分わかっています。でも、わざと波風を立てかねないようなことをして、私達の心を試そうとするのは行きすぎではありませんかと」
「そうですね……私が配慮に欠けていました。おまえたちを困らせようとか、惑わせるつもりはなかったのです。許してください、二人とも」
 夜光に叱られ、長はすっかりしょげ返ってしまった。その様子に夜光はいよいよ慌て、怒っていたことも忘れたようにおろおろし始めた。
「そんな……私こそすみません、つい強く言いすぎてしまいました。分かって下さったなら良いのです。あの、長様、どうかお顔を上げて下さい」
 夜光が言うのを眺めながら、葵はその場に胡坐をかいて膝に頬杖をつき、ふぅとひとつ息を吐いた。
 長にはからっきし弱い夜光がその長に対して怒るだなんて、随分珍しいものを見た。それが長続きしないあたりが夜光らしかったが、なんだか葵は文句を言う気もそがれ、そのうち可笑しくなってきてしまった。
 正直たちが悪い、とは思うが、長が心配してくれているのは本当なのだろう。槐といい長といい、夜光の親はどうにも、いろいろな意味で癖があり、強すぎる。
 だが彼らに見守られていると思えば、それこそ背後は安心なのかもしれなかった。

 長は驚くほど素直に葵にも頭を下げ、それで一悶着はおさまった。
 終の涯では誰もに一目を置かれて敬愛され、類い稀に高雅な存在である長だが、どうかするとこちらが肩透かしを食うほど屈託がなく、柔軟で潔いところを持ち合わせている。そんなところがまた、妙に憎めない相手でもあった。
 ともあれ場がおさまり、夜光が冷めてしまったお茶を淹れ直して、あらためて三人は囲炉裏を囲んで腰を落ち着けた。
 長は白く綺麗な手に湯飲みを取って、しみじみと味わうように口に含みながら、さして広くもない庵の中を見渡した。
「畳がないのはいただけませんが、悪くない風情ですね。なかなか住み心地は良さそうではありませんか」
「はい。これだけ整えていただければ、充分すぎます」
 文句ではなく、夜光の身を案じているのだろう長の言葉に、夜光は柔らかく受け答えた。実際、蓬莱では畳は高価なものなので、よほど裕福でなければ部屋に敷き詰めたりできるものではなかった。
「おまえが望めば何とでもしてやりますが……でもおまえは、そういったことは望まないのでしょうねぇ」
 残念そうに言う長に、夜光は苦笑した。
「もう不足はないほど、長様には助けていただいております。そうやって気にかけて下さるだけで充分です」
 長は金色の瞳を夜光に巡らせると、穏やかな光をそこに湛えた。長は湯飲みを置いて、夜光と膝がふれるほどの傍に場所を移ると、その乳白色の髪にそっと手を伸ばした。
「大変なことがあったようですね。もう大事はありませんか」
 いたわりと慈しみに満ちた長の眼差しと、優しく髪を撫でる感触とに、夜光は少しはにかみながら頷いた。
「はい……もう痛むところもありません。ご心配をおかけして、すみませんでした」
「おまえが謝ることではないでしょう。立派でしたよ。おまえは誰もに胸を張って良いことをしたのです。それが分からない狭量な者達のことなど、愚か者よと笑っておきなさい」
「はい……」
 そうは言われても、古い古い心の傷に結びつく出来事に、どうしても夜光の紫色の瞳は曇る。
 それを見る長もまた、鮮やかな琥珀の煌きを帯びた瞳に、美しく反った睫毛を僅かに翳らせた。こよなく優しい仕種と表情のまま、長は夜光に腕を伸ばし、その薄い肩を抱き寄せた。
「おまえの親であることが、私には誇らしいですよ。おまえの選んだ道は平坦ではないのですから、葵殿に甘えながら、ゆっくりと往けば良いのです」
 美しく大輪の華が咲くように微笑する長に、夜光は「はい」と小さく頷いた。夜光は瞳の端に子供のように不安を帯びながらも、長に褒められたことと、抱き寄せられ惜しみなくそそがれる愛情に、その頬を仄かに紅潮させていた。
 長は夜光を包む腕をほどきながら、おっとりと続けた。
「どうしても気持ちが挫けたら、いつでも息抜きをしに終の涯へ戻ってらっしゃい。無理をしすぎておまえが疲れてしまうことの方が、私には悲しいのですからね」
「……はい」
 夜光は長の言葉に頷くばかりだったが、長はその不器用な誠実さと真っ直ぐな心根を愛しむように、乳白色の髪をもう一度撫でた。
「おまえの姿を人に変えるまじない。どうしますか」
 やんわりとした言葉の続きのように問われ、はっと夜光は長を見返した。
「私の……姿」
「ええ。おまえに任せますよ」
 問われたことで、夜光はやっと、長が本当はこのために今日ここを訪れたのだということを悟った。
 人ならぬ角と色彩を持つ、半妖の夜光の姿。もともと角は幼い頃に隠してくれていたが、人の世である蓬莱で生きるにはそれでは不都合が多かろうと、夜光が終の涯を離れる際に、長はその姿に目くらましのまじないをかけた。
 鏡面は割れてしまったが、夜光の胸元には、長のくれた金細工の小さな鏡が、着物の下にきちんと掛かっている。効力を失くしていようと、夜光を想ってくれる長の心がこめられたそれは、常に懐中にある葵の匕首と同じく、夜光にとって大事な宝物だった。
 ――自分はどうしたいのだろう。
 夜光は俯いて、しばらく考え込んだ。
 夜光自身には、妖の存在や、己が半妖であることへの嫌悪はない。妖への嫌悪はなくとも、かつては自分の中に妖である片親の血が流れていること自体を恨んでいたが、それも今では槐のおかげで氷解していた。
 村の者達は、既に夜光が純粋な人間ではないことを知っているから、今さらこの外見を隠そうとは思わない。だが蓬莱のどこに行っても、この半妖の外見である限り、驚かれ、奇異の目を向けられ、怖れられたり、ときには蔑まれることも覚悟しなければならないだろう。
 ……それでも、槐が与えてくれた、そして長や葵が愛してくれるこの姿を、まるでいけないもののように隠すことは、したくない。
 一度は「人間」の姿になったことで、夜光は今はいっそう強く、そう思うようになっていた。少し意地のような気持ちもあったのかもしれない。
 その一方で、鏡を覗くたびに、額に見える白銀の角には違和感を覚えていた。もうずっと昔の幼い頃に、これがあるのが厭だと泣いて、長に隠してもらった一対の角。半妖であることに抵抗はないが、それ以来ずっと自分の額には見えなかったものだから、それがある自分の姿に、どうにも馴染めない。
 半妖であることは何ら恥じていないし、構わない。今の自分を否定しようとも、両親を否定しようとも思わない。
 それでも自分は、やはりどこかで、人間になりたい、という夢物語を忘れられずにいる。叶わない憧憬そのものの願いを、月が欲しいと泣く子供のように愚かな願いを、莫迦げているとは自分でも思う。
「……角を」
 長く黙り込んだ末に、ようやく夜光は、呟くように口を切った。
「以前のように、角だけ……隠していただいていいですか」
 そう答えるまでに夜光の中を巡った自問自答や葛藤を、長は見通しているように、ただ静かにその言葉を受け止めた。
「角だけで良いのですか?」
「はい。私には、それがいちばん私らしい姿であるように思えます」
 虐げられたことや半妖であることに苦しみながら、ずっとその姿で生きてきた。己を嫌悪して異なるものに憧れる哀しさと苦しみに咽びながら、愚かな間違いを犯しながら生きてきた。
 人ならぬ姿でありながら、かといって角も持たない半端な姿であること。その姿そのものが、自分が過ちを犯した愚かな存在であることを物語っている。
 けれどそんな自分でも、こんないびつで愚かな自分でも、愛してくれる者がいるのなら、自分のことを否定してしまいたくはない。開き直るのではなく、救いがたい己と向き合い、自分を愛してくれる者達を愛し返すためにも。
 それらの思いをうまく言葉にできず、結果ほとんど黙ったままでいる夜光を、長はじっと見つめていた。その金色に透ける宝玉のような瞳が、そのうちふっと、笑みにほどけた。
 仕方なさげに、長はひとつ息をついた。たったのそれだけの仕種でも、匂い立つように艶麗な長が見せると、やけになまめかしかった。
「角を隠してしまえば、妖力もほとんど発現させることができなくなります。それについても、構わないのですね?」
「はい。もともと、只人として生きてゆくのであれば必要のないものです」
 ためらうことなく頷いた夜光に、長は白く肌の柔らかい掌を差し出した。
「では、あの鏡を出しなさい。再びあの鏡にまじないを依りつかせます」
 はいと頷いて、夜光は首に掛かっていた小さな金細工の鏡を引き出した。銀色の小さな鏡面にはひびが入り、そこに映るものは歪んでしまっている。
 それを渡された長がやったことは――少なくとも夜光や葵の目に見えたことは――ただ掌の中のそれを、もう片方の掌でなぞっただけだった。ただそれだけだったが、夜光はその長の仕種と同時に、額にふわりと目に見えぬ何かの手がふれたように感じた。そして一瞬だけ、ぞくりと悪寒に似た震えが走る。本来あって当然のものを手折られたような、よどみなく流れて当然の清流を堰き止められたような。
 無意識に自分の額にやった夜光の手に、そこにあったはずの角の感触はふれなくなっていた。
「鏡を割れば、同じようにまじないはとけます」
 長は膝で立ち上がると、最初にそうしたときと同じよう、細い組紐に通したその小さな鏡を、そっと夜光の首に掛けた。夜光に戻されたそれの鏡面は、元通りにひびひとつなく銀色に輝いていた。
「ですがそもそもおまえは、たとえば他を害したり、傷つける類いの妖力を持ち合わせているわけではありません。人間の一人や二人ならどうとでもなるでしょうが、それ以上であれば、せいぜいが逃げるだけで精一杯でしょう」
「……はい」
「ですから、今後はもう決して無理はしないように。おまえがこの鏡を割らなければならないような状況は、極力作らないようになさい。そのためにも、私はあの太刀を葵殿に託したのですからね」
 じろり、と長の金色の瞳が、黙って様子を見守っていた葵を睨んだ。いきなり水を向けられ、しかし長の言葉に言い訳の余地もなかった葵は、神妙に頭を垂れた。
「申し訳ありません。今後は二度と夜光をあのような危険には晒さぬよう、尽力致します」
「そうですね。……まあ、葵殿もただの人間ではありますから。どうしても力の及ばないことも出てくるでしょう。そういうことまでを責めることは、私もさすがにしませんよ」
 補うように言いながらも微妙に棘が含まれているようなのは、長の立場や心情を思うと致し方ないだろうと、葵は苦笑まじりにそれを受け止めた。長が案外おとなげない部分を持ち合わせていることも、けれどそれ以上に大きな愛情で自分達のことをくるんでくれていることも、葵は承知していた。
 長は夜光を見つめると、あらためて言い聞かせた。
「自分でよくよく考えて決めたことであるのなら、自分自身のために頑張るのですよ。でも、無理だけはいけません。迷ったら立ち止まることも、疲れたら休むことも、ときには逃げることも必要です。ただ、己に恥じることのないように。それからおまえは、愛するものに正直である努力をなさい。私はいつでもおまえを見守っていますからね、夜光」
「はい」
 長の言葉を聞きながら、夜光は自分の首から下がった小さな金細工の鏡を、その手の中に持ち上げて、柔らかく握り込んだ。掌の中で煌く金色と、銀色の鏡面が美しかった。
「ありがとうございます。長様」
 多くの言葉で語ることが得意ではない夜光が、大事そうに小さな鏡を胸に抱き締めながら深く頭を下げる姿に、長はただ優しく、美しく微笑んだ。


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