cats and dogs

‐original BL novels‐



月の鏡に落ちる雪 (十一) -完結-

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 深まる秋に、さわさわと薄(すすき)の穂が揺れている。ふわりと開いた穂が黄昏色を帯びつつある陽光を受け、金色の波頭が揺らめいているようだった。
 夜光は遠くまで続く薄野を眺めながら、路傍の平たい石に腰を下ろしていた。
 傍らには葵がおり、少し離れて槐も立っている。袂の中には、何かあったらすぐに飛び出すぞと言わんばかりに元気に身構えた赤と青の守宮がもぐり込んでいた。それらは心強く、怯えることなどないと自分に言い聞かせながらも、どうしても不安は晴れなかった。
 広國に会って帰って来た葵に、夜光は「村の者達が会いたいと言っているそうだ」と伝えられた。
「気がすすまないのなら、無理に会わなくていい。広國殿はできればもう少し村に近いところに庵を結んでほしいとも言っているが、この岩屋でもこれだけ備えがあれば冬は越せるだろう」
 葵の黒い瞳が優しく、夜光がどう答えても受け入れてくれるだろうと思えたからこそ、夜光は迷いながらも、その話に耳を傾けることができた。人間をというよりも、葵を信じた。
 葵ならば、きっと夜光にとって悪いようにはしない。広國に会い、信頼できると判断したからこそ、夜光にこの話を持ってきたのだろう。
 躊躇いながらも夜光は頷き、その身体がある程度回復するのを待ってから、会談の場は設けられた。 

 一方で葵は、広國が詫びてくれたことは夜光に告げたが、村人達が詫びたがっているということまでは口にしなかった。
 万が一、もしも村人達の真意が他にあったらという危惧を、葵は捨て切れなかった。和解できるのかもしれないと思った後にまたしても裏切られたら、今度こそ夜光は人間を信じなくなるだろう。
 完全には警戒を解かず、こちらの住処を知られることを避け、葵は岩屋から離れた村外れを落ち合う場所に指定した。

 やがて数えて六名ばかりの村人達を後ろに連れて、広國が現れた。御付の者は、葵達にも馴染みのある家宰が一人。そして馬ではなく、村人達と共に徒歩(かち)だった。
「夜光殿。お久し振りでございます」
 広國は村人達を離れた場所にとどめ置き、まず自分だけ歩み寄ってくると、立ち上がった夜光に一礼した。
「……お久しゅうございます」
 警戒心を隠さず、視線を外さぬまま浅くお辞儀をした夜光に、広國は物柔らかに微笑した。その白い眉毛の下で人の良さそうな目が瞬き、感心したように嘆息した。
「これは……なんともはや。話には聞いておりましたが、この爺やも、そのような色合いの髪や瞳を目にしたのは初めてです。さながら天人か雪の精か。瞳の色の、また稀有に澄み渡って美しいこと」
 心の底から褒めているような広國に、夜光は戸惑った。このおっとりとした好々爺は、もともと妖の存在を理解している。まして蓬莱に来てからから世話になった恩もあった。
「そ……そのようなたいしたものではございません」
「いやいや。お会いしたときのお姿も大層美しゅうございましたが、そのお姿も実に眼福です」
 広國は夜光の額の角に視線を向けはしたものの、何か納得したようにふむふむと頷いただけだった。人間である身が、角のある姿を珍しく思わないわけがないだろう。奇異なものを見る様子でもなく、かえって無関心を取り繕われるよりも余程不快な視線ではなかった。
 ひとしきりそんな遣り取りを交わした後、広國はあらためて深々と夜光に腰を折った。
「このたびのことは、お詫びしようもありません。申し訳ありませんでした、夜光殿」
 長から託されていながらこのようなことになってしまったこと、村人達が受けた恩を省みず心無い言葉を投げつけたこと。それから何より村を救ってくれたことの礼を丁寧に述べられ、夜光はいよいよ、この優しげな白髪の老爺を悪く思うのが難しくなってきた。
「夜光殿がおらなんだら、犠牲はあんなものでは済まなかったでしょう。本当にありがとうございます」
「いえ……」
 長が信じて自分達を託した相手なのだから、広國のことは信頼できるだろう、とは思う。けれどあのとき村人達から向けられた恐ろしい眼差しや敵意を思い出すと、夜光はどうしても喉が強張ってしまい、言葉らしい言葉が出てこなかった。
 そんな夜光のことを分かっているように、広國は優しく微笑した。少しの間を置き、広國は穏やかな口調のまま先を続けた。
「村の者達も、あなたにお詫びをしたいと申しております。許してほしいとは申しませんが、せめて会うだけ会って、彼らの言葉を聞いてやっては下さいませんか」
「え?」
「あの日、あなたにひどい言葉を投げつけた者達のことを詫びたいそうです。それから、礼をどうしても言いたいと言うので、ひとまず数人選んでここに連れてきました」
 思わぬ言葉に、夜光は離れた場所でじっとしている村人達を振り返った。ほんの数人の中に、見知った顔はいない。皆大人ではあったが男女とも半々で、年齢もまちまちだった。彼らは皆、夜光と目が合うと、離れた場所から深く頭を下げた。
「もっと大勢いるのですが、あまり大人数で押しかけてしまうのもよろしくないでしょう。屋敷の者達も、いつでも戻ってきてほしいと申しておりました。屋敷の者は皆、私が昔長殿に救われたことを知っておりますからな。事の次第を知っても、さほど驚かなかったようです」
「そう……なんですか……」
 広國の言葉に、屋敷の気の良い人々の顔を思い浮かべ、夜光は胸が詰まるように痛んだ気がした。それは切なくはあったが、苦しいものではなかった。それなら何なのかと言われると、よく分からなかったが。
「夜光。皆の話を聞けるか?」
 黙って夜光の傍らについていた葵が、そっと問いかけた。夜光は何と言っていいのか分からぬまま、ただ俯いた。
 詫びたいと言う、それを信じていいのかわからなかった。人間を信じることは恐い。たとえ葵や槐、火月や水月が守ってくれるとしても、心が傷つくことは恐い。もうこれ以上、あんなふうに蔑みと嫌悪と憎悪に満ちた目を向けられたくない。それを向けられたときに自分の中に芽生える醜い感情を受け止めるのが苦しい。
 知らず胸元を押さえた手が震え、次第に茜色を帯び始めた空の光を受けた乳白色の睫毛が震えた。
「夜光」
 その耳元に、夜光以外には聞こえぬほど落された葵の声音が囁いた。優しく、けれどはっきりと。
「無理をすることはない。だが、俺はおまえを見ていると思うことがあるのだ……おまえは本当は、まだ皆を信じたいのではないのかと」
 その言葉に、夜光は小さく息を呑んだ。
 恐い、と思う気持ちの根。それを辿れば、もう裏切られたくないという感情がある。信じて裏切られることが恐い。もうこれ以上つらい思いをしたくない。
 初めから既に信じていないなら、こんなふうに思うことすらないはずだ。心底拒絶しかないのなら、迷わず切り捨てればいいだけのこと。それもできず、哀しくて怯えて、人を憎みたくて、でも憎みきれなくて。
「わたし……は……」
 まだ、信じたいと思っている。だって確かに昔、優しくしてくれた人間達もいたから。彼らの優しさが嬉しかったから。もしも本当に、人間達が自分を拒絶しないでいてくれるのならば。
 弱った心が揺れ、葵の言葉が沁みて、涙が滲んだ。思わず顔を覆ったその肩を、優しく暖かな葵の掌が支えてくれた。
「何も言うな」
 葵の声に、夜光は顔を覆った手を外せないまま、ただ頷いた。
 本当に、歩み寄れるなら。人が拒絶しないでいてくれるなら。まだ人と分かり合えるのだと信じたい。姿形は違っても、喜び嘆き痛む心は何も変わらないのだと。自分の身体に半分流れる人の血を、憎まずにいられるのなら、憎みたくない。
 葵と広國に目線で促されて、そろそろと村人達が近付いてきた。ほんの数歩の距離まで近付いてくるなり、村人達はその場に膝をつき、夜光に向かって突っ伏した。
「夜光さん。本当にすまなかった」
「あんたにひどいことを言った奴らもいるが、あんたが助けてくれたことを分かってる連中も、ちゃあんといる。たくさんいる。ありがとうな」
「誤解している人達には、私たちが必ず言って聞かせます。あなたが助けてくれたんだって、必ず分かってもらいます」
「ありがとうございます。あんたのおかげで、あたしの亭主は死なずにすんだ。本当にありがとう。こんなことになっちまって、すまないねぇ」
 口々にもたらされる真っ直ぐな眼差しと言葉に、夜光は口元を覆ったまま、言葉を出せなかった。
 心配そうに、気遣わしげに見上げてくる村人達の姿が、視界に盛り上がった涙にぼやけてかすむ。震える紫色の瞳から、ぼろりと涙が零れた。
 ――ごめんね。助けてあげられなくてごめんね。
 昔、そうすまなそうに言いながら、弱った夜光に手を差し伸べてくれた人間達の記憶がかすめた。口に含ませてくれた果物や水飴の甘さや、髪を撫でてくれた手の感触が、遠く甦った。
 ああ、こういう者達もいるのだ。夜光のことを、ただ夜光だというだけで責めて憎む者もいるけれど、そうではない人間達もいるのだ。
 膝が震えて立っていられず、夜光はその場にずるずると座り込んだ。その背を、葵の手が変わらずに支えてくれている。
 一言も発することができずにぼろぼろと涙を零す夜光に、村人達が慌てた。
「あれあれ、あんたは随分泣き虫なんだなぁ。こんなに立派な角があるのになあ」
「バカ、こんなに泣かしちまったのは俺らのせいだろうがよ」
「そうですよ、もう。本当にごめんなさい」
 まだ様子を窺うようにしながら、それでも心配そうに、村人達は夜光に声をかける。夜光の様子を覗き込み、そろそろと手を伸ばして、ようやく優しく柔らかく、彼らの手が夜光の手にふれた。
 日々の労働に皮膚の硬くなった、あかぎれて荒れた肌の感触は決してよくはなかったが、かわるがわる手を握って「すまなかった、ありがとう」と言ってくる彼らに、夜光はそれを振り払うことはせず、泣きながら何度も頷いた。
 その袂からごそごそと這い出してきた赤と青の守宮が、きゅう、と嬉しそうに首を持ち上げて鳴いた。
 その鮮やかな色合いに、村人達は最初は驚いたものの、二匹の守宮の妙に得意げで愛嬌のある顔つきに、じきにそれは明るい笑い声に変わった。

 傾き始めた陽は、急速に空から青色を奪う。
 あまり遅くなる前にと村人達は立ち上がったが、立ち去り際にも名残惜しそうに何度も振り返り、「次は何かおいしいものを持ってくるからねぇ」「無理をしないで、大事にするんだよ」と手を振っていた。
 彼らの姿が暗くなり始めた路の先に小さくなってしまっても、夜光はまだ零れる涙が止まらず、まともに喋れなかった。葵に支えられながらやっと立ち上がったそこに、槐が足を運んできた。
「それじゃあ、俺達も帰るとするか」
「はい」
 ほっと安堵に緩んだ顔で葵が頷き、夜光も小さく頷いた。
 と、暮れなずむ西空の光を受け、宝玉のように涙が煌めいている夜光の紫の瞳を槐が覗き込み、にやと笑った。
「しかし、本当におまえは泣き虫だな。いったい誰に似たんだ」
「……ほうって、おいて、ください」
 泣き腫らした目で睨みあげ、弱々しい声で言い返した夜光に、槐は声を立てて笑うと、ぽんぽんとその頭を軽く叩いた。


 まだ怪我が完全には癒えてない夜光を軽々と槐が背負い、揃って岩屋に戻ってきた頃には、秋の陽はすっかり暮れていた。
「俺はちょっと酒でも呑んでくる」
 といって槐はふらりとどこかに姿を消してしまい、火月と水月も「僕らもゴハン食べてくるねー」と出かけ行った。
 彼らがいなくなってしまうと、葵と夜光の二人だけになった岩屋はすっかり静かになった。入り口に下ろした帷幕の向こうから、さらさらという沢の水音がかすかに聞こえた。
 すぐに横になれるよう寝具の上に座った夜光は、濡らした手拭いで顔を拭いて、やっと落ち着いたように肩で息を吐いた。
「……ありがとうございます。葵」
「うん?」
 茶を煎じながら、葵は夜光を見た。紙燭の灯かりに照らされた夜光は、その肩から強張りが抜け、ここ数日暗く沈んだきりだった紫の瞳が随分明るくなったようだった。
「いえ……」
 夜光は緩く首を振った。その仕種に、肩までの髪がさらりと揺れ、降りたての淡雪のような仄明かりを散らした。
 葵は湯飲みに茶を淹れ、盆に載せて夜光の傍らに行く。夜光は湯飲みを受け取ると、静かに口元に運び、柔らかな吐息をその唇から落とした。
 葵もそんな夜光の様子に安堵し、穏やかな空気をしみじみと嬉しく感じながら、黙って茶を飲んだ。
 こうして寛いだ気分で、夜光と葵と二人だけで向き合うのも、思い返せば随分久し振りだった。村で奇妙な襲撃が始まってから葵はせわしなくなってしまい、あげくに夜光と喧嘩をして、そこにあの牛鬼が襲ってきた。あれから夜光はすっかりふさぎこんでしまった上に、怪我が痛んであまり動けず、ほとんど寝床に伏したきりだった。
「……私は」
 半分ほど茶を飲んだあたりで、夜光がぽつりと切り出した。
「まだ、恐いです……人を信じることは」
 葵は何も言わず、ただ夜光を見た。夜光は自分の心を自分で把握することが得意ではない。だから急かすことはせず、その唇がゆっくりと言葉を綴るのに任せた。
「でも……私の中にも、半分は人の血が流れているから。お父様も、伴侶に選んだのは人間の女性でした。人と妖とは、決して分かり合えぬわけではないのだと思います。……それに、おまえさまも」
 夜光の眼差しが葵に巡り、紫の瞳が微笑んだ。
「おまえさまも、人ですから。……だから、もう一度、人を信じてみようと思います」
「そうか」
 葵は湯飲みを盆に置いて、優しく夜光を抱き寄せた。
「人でも妖でも、信じられる者はいると俺も思う。ありがとう、夜光」
「なぜおまえさまが礼を言うのです?」
 夜光はほっとしたように葵に凭れながら、不思議そうに顔を見上げた。その顔つきは無防備で、淑やかな大人のようにも、ほんの小さな幼子のようにも見えた。
「いや」
 葵は微笑し、夜光の白い額に軽く唇をふれさせた。まだ人を信じると言ってくれる夜光が愛しく、愚かな人間の一人として感謝する思いがあったが、それをうまく言葉にすることができなかった。
 葵に凭れている夜光は、泣いたあとの分かるその目許に随分疲れを滲ませていた。痛む身体で出かけて村人達に会ったのだから、無理もないだろう。
「もう今日はやすんだ方がいい。疲れただろう」
「はい」
 葵が言うと夜光は素直に頷き、眠たげに瞬いた。
 その顔が上向いて、紙燭の灯かりの中、白い頬が桜の花びらのように僅かに色付いた。ためらいがちに、夜光の淡い色の唇が動いた。
「あの……」
 恥ずかしそうなその表情が、こんな夜光は久方振りに見るせいなのか、いつにないほど可愛らしかった。
 言いたくて言えないようなその様子に、葵は夜光の願いを悟ると、思わず満面に笑った。その身体を傷が痛まない程度に抱き締めてやりながら、葵は薄く開かれた夜光の唇に唇を重ねた。
 ごく軽く唇を合わせ、少し舌を挿し込んで遊ばせる程度にしておいた。あまりやりすぎると、もっと抱き締めたくなってしまう。今の夜光にはそれは負担が大きいだろうし、傷が痛んでつらいだろう。
 優しくふんわりとした口付けがほどけると、目を閉じていた夜光がうっとりとした吐息を零した。その手が葵の着物を握り、凭れながら囁いた。
「身体が治ったら……もっとしっかり、抱き締めて下さい」
「勿論」
 その艶めいた瞼に葵が笑いながら口付けると、夜光はくすぐったそうに首をすくめた。そして美しい瞳が葵を見上げ、ほんのりと上気した頬がやわらいだ。
 それは久し振りに見る、嫋やかに美しく花びらが綻ぶような微笑みだった。


(了)


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