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‐original BL novels‐



月の鏡に落ちる雪 (五)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 葵が屋敷の馬を借りて駆けつけたときには、その辻には人だかりができていた。
 ほとんど人としての原型を保っていない遺体には菰(こも)が掛けられ、女子供は近付かぬように遠ざけられている。無惨に喰い殺された男衆の縁者が、遺体に縋り付いて泣き叫びながらその名を呼んでいた。
 縁者でなくとも、さして広いわけでもない村の中でのこと、死んだ男衆のことを知らぬ者などいない。葵ですら殺された二人の名を聞き、その顔を思い浮かべることができた。
 天を仰ぐと、にわかに村を覆い始めた陰鬱な慄きに釣り合わぬ秋晴れだった。騒然とした中、葵は胃の腑からの重い嘆息を吐き出した。
「若先生。こいつぁいよいよ、とんでもないことになっちまいましたね」
 遺体からは少し距離を置いて立っていた葵のもとに、やりきれないように首を振りながら、数人の男達が歩み寄って来た。いずれの表情もひどく暗く、重い。
「若先生は、あれは正直なところ何だとお思いですか?」
 低い声で囁きかけてきた男に、葵は眉根をきつく寄せた。
「分かりません。このようなことを為すものなど、聞き及んだこともない」
 遺体は恐ろしく大きな顎と牙とで、力任せに喰いちぎられたような様相を呈していた。それから、見たこともないほど巨大な鋭い鉤爪で抉られてもいた。
 付近には「それ」の身体から抜けたものだろうか、真っ黒い毛のようなものが落ちている。夜の闇のように深い色をしたそれは、体毛というには太くごわごわしていた。大型の熊の毛でも、もう少し柔らかいだろう。
 このような毛を持ち、一撃でたやすく大の大人の手脚をちぎり、胴を真っ二つにするほどの力と鉤爪。あたりの地面には相変わらず、その鉤爪を叩き付けたものだろうか、奇妙な穴が多数開いて土が抉り返されている。何か重いものでも引きずったような跡がついていることも、これまでと同様だった。
 何より解せないのは、やはりこれも今までと同様、これらの仕業は恐ろしく短い時間のうちに行われたということだ。
 見回り衆は全員、火急の際を告げる鳴子と笛を持っており、それは誰かが鳴らせば一定の間隔を置いて村の中を巡っている他の見回り衆の耳に充分届くものだった。誰かが聞けば、聞いた者が新たに鳴らす。それの連鎖で、すぐに異変が知れ渡る。
 だから鳴子を聞いて、朝靄の中を近場にいた見回り衆が辻に駆けつけるまで、さほどの時間は経っていなかった。
「というと……まさか本当に、近頃皆が噂しているような」
 男達が蒼白な顔で身震いし、葵はその先まで言わせまいと首を振った。
「何とも申し上げられません。ただこれは、もはや我々の手に負える事態ではないように思う。山狩りをしようにも、相手がこれでは俺達の武装程度では心許ない。守護代殿に使いを走らせて、出来るだけ早急に対策を願った方が良いかと存じます」
「そうだな……これはもう、そうするのが一番だろうなぁ」
 辻には親類縁者達の悲嘆に暮れた声が響き、無惨な遺体の様子に耐え切れず吐き戻す者などもいて、いっそう空気は重苦しくなるばかりだった。
 少しは周囲の様子が落ち着き、遺体を動かせるようになるのを待ちながら、葵は薄い雲が浮いた晴れ渡った空を見上げた。
 爽やかな澄んだ青さが、今は恨めしくなるほど皮肉だった。
「……いったい何なんだ、これは」
 解せぬことばかりで、葵は一人唸った。
 相手が大型の獣であることは確かだったが、それにしても、それらしき足跡ひとつないというのはどうしたわけだろう。冬眠前の熊は大層凶暴だと聞くが、やはりそれらしき足跡は見当たらない。残されているのは、一本の巨大な鉤爪で掻いたような跡ばかり。余程鋭い蹄である可能性もあったが、少なくとも鹿や猪の類いではない。
 ぞっとするような不可解さと不気味さに、葵はあたりの地面に残された奇妙な跡を見渡した。
 もしもあの跡が、何者かの「脚」が土を掻いた跡だとするならば。その本数はどう見ても二本ではなく、まして四本でも足りない。四つ足以上の、鋭い蹄か、鉤爪のようなものを持つ何か。そんな生き物についてなど、聞いたこともなかった。
「まさか、本当に……」
 一連の出来事は、人に害を為す妖異の仕業。事態の裏に潜んでいるのは、物の怪なのだろうか。


 家畜ではなく人が犠牲になったとなれば、簡単に土に埋めて仕舞いにするようなわけにはかない。遺体はひとまずそれぞれの家に引き取られ、村でのしきたりに沿って安置された後に弔われることになった。
 まだこの村に来てから日の浅い葵には、必要以上に村人達の間に踏み込むことは躊躇われた。犠牲者達の家族とも、顔見知りではあっても親しいというほどではない。
 辻を惨劇の痕跡が分からぬ程度に片付け、犠牲者達の家族に目礼をするにとどめて、葵は屋敷に戻ることにした。
 屋敷に帰り着いて馬を下りると、さすがに手脚が重く、気持ちも暗く打ち沈んでいた。
 家畜の騒ぎだけでも、哀れや疲労や気疲れはあった。そこに追い打ちのように、顔も名も思い出せる、何度か言葉も交わしたことのある者達の無惨な死だ。
 とうとう、遂にと、確かにそう思った自分がおり、それはどこかでこの事態を危惧していたということでもあった。そうでありながら、力及ばず防げなかった。自分の手に負えることではなかったと思う一方、口惜しさと自責の念に苛まれずにはいられなかった。
 家畜が襲われるだけでも村中の空気は重く張り詰めていたのに、これでは村はどうなってしまうことか。この様子では、もう秋祭りどころではないだろう。
 辻での様子がよみがえり、犠牲者達もその身内もあまりに不憫で、葵は思わず厩舎の柱に拳を打ち付けた。

 いろいろと汚れてしまって臭いも到底落ちない衣は、どうにもならず処分してもらうことにした。離れに戻る前に湯殿に寄り、血の臭いや死臭を落とすために、殊更よく髪を洗って身体を擦った。
 洗いざらしの黒髪を始末するのも怠く、軽く拭って背に流したまま、葵は離れに戻った。
「葵」
 当然騒ぎを聞き及んでいたのだろう、夜光が不安気な様子でそれを迎えた。
 今日は遊びに訪れていたらしい赤と青の双子鬼も、ひょこりと座敷から顔を出したが、葵の顔色が明らかに優れないのを見てか、いつものようにかしましく絡んでくることはしなかった。二人は静かに様子を見守るように、葵と共に座を囲んで腰を下ろした。
 夜光の淹れてくれた暖かな茶を口に含み、葵はようやく、少しは人心地がついた。
 黙っていてもいずれは詳細は耳に入ってしまうだろうと、葵は茶を飲みながら、ぽつりぽつりと事の次第を語って聞かせた。夜光もまた、柔和な形をした黒い眉をひそめた。
「それは……確かに、ただの動物の仕業とは思いにくいですね」
 夜光は自身も半妖であり、妖や神々の世界である終の涯で長く暮らしていた。葵もしばらく終の涯で暮らしてはいたが、人外のものについては、明らかに夜光の方が見聞が広く知識も深い。
「おまえとしては、これは物の怪の仕業だと思うか?」
 問うてみると、夜光は緩く首を振った。その仕種に、肩までの黒髪が艶を孕んで揺れた。
「そうと言い切るのも性急かもしれません。深い野山に私たちの預かり知らぬ獣がいるのだとしても、何らおかしくはありませんから」
「だが、事が起きたときは奇怪な鬼火が見えたとも言うぞ」
「恐ろしさや思い込みからの、見間違いである可能性もありましょう」
 葵よりもよほど妖やら物の怪というものが身近であるはずの夜光だったが、逆にだからこそなのか、意外にもすぐにそういった怪異に結びつけることはしなかった。
 夜光は黒い瞳を俯かせ、不安げに睫毛を震わせた。
「これでおさまるのでしょうか」
「おさまってくれ、と心の底から思う」
 葵は重い溜め息をついた。その様子に、夜光が気遣わしげな眼差しを向けた。
「今後の見回りには、おまえさまは……?」
「参加せぬわけにはゆくまい。広國殿を頼ったとしても、加勢が到着するまでは村の者だけで何とかせねばならん」
 それを聞いて、夜光が傍目にも分かるほど青ざめた。
 下を向き沈黙した末に、思い切ったように夜光は切り出した。
「行かないで下さいませ、と……お願いしても駄目ですか?」
 その言葉は、葵は予想はしていた。夜光が案じてくれる気持ちも分かる。しかし、顔を知り名を知り言葉を交わしたことのある人々の危難を見ぬ振りも、葵には難しかった。
 自分一人に何ほどのことができるとも自惚れてはいないが、少なくとも葵は村人達よりは腕に覚えがあり、長に授けられた宝刀も持っている。もしおかしなものに遭遇しても、追い払うことさえできれば良い。少人数ではなく、皆で武装しまとまって動けば、相手も今までのようにはいかないだろう。
 それに、葵がここに来て一人だけ逃げ隠れした場合、それは村人達との不和を招く恐れがあった。そうなれば元々が「余所者」である上に、ましてこれほど殺伐とした空気の中では、いくら守護代の名に守られているとはいっても孤立しかねない。
 葵がそうなれば、夜光も同じように扱われる。自分だけならまだしも、夜光を「人間」達の悪意に晒すようなことは、あってはならなかった。
「……それは、難しいな」
 考え込んだ末に葵が答えると、夜光が唇を噛んだ。
「どうしても、ですか」
 その薄く頼りなげな肩が震え、ためらいながらも抑えておけないように、夜光は言葉を吐き出した。
「それでもし、おまえさまの身に何かあったらどうするのです。おまえさまは、私と共にいると仰って下さった。それなのに」
「夜光」
 夜光はこれまでの間、ずっと葵を案じる感情を抑え込んできたのだろう。それを切り出してしまった途端止まらなくなったように、夜光は珍しいほど感情的な声で、言いかけた葵を遮るように続けた。
「確かに屋敷の皆様は、私達によくして下さいます。でも元をただせば、それは広國様がかつて長様にお世話になったことの恩返しでしょう。それも、あくまで広國様と長様、つまり広國様と私達の間でのこと。無関係な村の皆の為に、おまえさまが命を危険にさらさねばならぬとは思えません」
 その思い余ったような言葉も、葵を思えばこそ、その身を案ずればこそのものだとも、葵には分かっていた。分かってはいたが、それは聞き捨てならなかった。
 葵とて、出来るならばこんな得体の知れぬ怪異に関わりたくはない。だが人の里で生きる上での多くのしがらみが、そうさせてはくれない。
 屋敷からほとんど出ることのない夜光に比べ、多くの村人達に接する機会が多い分、困っている皆を捨て置けぬという気持ちも強かった。自分達が広國の客分だからこそ親切に遇してくれる、人々の素朴な良心や気遣いを踏み躙るようなことはできない。それはあまりにも、人々に対して、何より広國に対して恩知らずだった。
「夜光」
 葵が発した声音の硬さに、夜光がびくり、と肩を強張らせた。はっとしたように、その黒い瞳が不安を帯びて葵を見つめた。
 葵はそれを見返したまま、厳しい声音で言った。
「確かに広國殿は、かつて長殿から受けた恩を返して下さっている。でもそれは、あくまでも広國殿のご厚意の賜物であって、当然のことだと俺達が胡坐をかいて良いものではない」
「それは……そうですが」
 夜光がうつむき、小さく唇を噛んだ。とても納得したとは思い難いその様子に、葵の胸奥がざらりと嫌な感触で波立った。
 おまえは「人間」を疎んじているから。という思いが、どこかで葵の中を一瞬かすめた。
「おまえには、人間なぞどうでもよいのかもしれんが。だが俺には、皆が困っているのを分かっていて、見て見ぬ振りはできん」
 そこまで口にしてから、葵はしまったと思った。
 これは、自分と夜光の間では決して言ってはならぬことだった。心痛と疲労も手伝い、自分もまた冷静さを欠いていたことを自覚するなり、脳天から水を浴びたように頭が冷えた。
 慌てて夜光を見たが、その白い表情も黒い瞳も、凍りついたように葵を見返していた。
 しばし、空気まで凍てついたような沈黙が流れた。
「夜光……」
 それをようやく押しのけて呼びかけた葵を無視し、すっと夜光が立ち上がった。白い足袋を履いた足が廊下に向かい、障子を開く。
「好きになさったらよろしい」
 冷えた声音で後ろ姿のまま夜光は言うと、静かな足取りのまま部屋を出ていった。廊下を歩み、戸口を開く音がして、乱れのない足音は離れから遠ざかっていった。
「……しまった……」
 腰を浮かしかけていた葵は、額を押さえて力なく座り込んだ。
 今追いかけていっても、夜光は葵を拒絶するだけだろう。原因が何であれ、決して言ってはならないことを言ってしまった。せっかく近頃の夜光は葵を信頼して、人間だからという隔てを置かずに接してくれていたのに。
「あちゃー……」
 二人の険悪な様子に、黙って様子を見守っていた火月と水月が、なんとも複雑な様子で、夜光の去っていった方角と葵とを見比べた。
 額を押さえ込んでいる葵のそばに、二人はなぐさめるように寄ってきた。
「あれは言っちゃダメだよぉ、葵。まぁでも、葵の気持ちも分かるけどさ」
「ちょっと夜光の言い方も悪かったね、あれは」
 葵の視界に、可愛らしい二人の娘の姿と、人間にはありえぬ赤と青の色彩が入る。葵は額を押さえ込んだまま、何かどっと疲れが押し寄せてきた気持ちでそれを見やり、ふと瞬いた。
 ――事が起きたときは、そこに鬼火が見えた。
 ふいに頭をよぎったそれと共に、この双子鬼もまた鬼火に変じることがあることを思い出す。
 いやまさか、と咄嗟に打ち消したものの、そういえば、とも同時に浮かんだ。
 奇妙な死が村に続くようになった時期と、この双子鬼が現れた時期は重なってはいないか。この二人もまた人外の物の怪であり、人とは異なる律の下に生きている。この離れで何かを喰っているところも見たことはなく、それはつまり外で何かしらの糧食を「調達」しているということだ。
 その糧食が、もし温かな血肉であったとしたら……。
「おまえたち……は、関わってはおるまいな……?」
 いやでもまさかと、葵は愕然と二人の娘を凝視した。
 葵のその嫌疑を孕んだ眼差しに、火月と水月がきょとんとした後、可愛らしい眉間をきゅっと寄せた。たちまちその表情が険悪になり、赤と青の瞳が葵を睨みつけた。
「何さ、その目。まさか葵、僕らのコト疑ってんの?」
「信じらんない。僕らは生きたまんまの牛とか馬とか、まして人間なんてがっつくほど悪食じゃないよ」
 そこには心底からの怒りが宿っているように見え、呆れて失望した色を二つの色の瞳は湛えているようにも見えた。
 葵が何も言い返せないうちに、二人はつんと細い顎をそらして立ち上がった。
「見損なった。そりゃあこんなの、夜光だって人間嫌いにもなるよね」
「アンタみたいな奴のために、終の涯にいられなくなった夜光が可哀想だよ。いこ、水月」
 言い捨てるなり、二人の姿が赤と青の鬼火に変じた。明るい昼の光の中では、それはそこまで目立つことはない。人目にふれぬようにだろう、鬼火は縁側から外に出て低く地を這うようにしながら、すぐにどこかに見えなくなってしまった。
「…………」
 それをなすすべもなく、葵は見送った。
 自分以外は誰もいなくなった座敷で、葵はもう何度目かも分からない深々とした溜め息を吐き、がっくりとうなだれた。
 言ってはならぬことを言った。夜光にも水月にも火月にも。
 じわじわと胸中に染み出してくる自己嫌悪と後悔と、立ち上がることもつらい全身の重さに、葵はしばし一人きりで座り込んでいた。


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