cats and dogs

‐original BL novels‐



月の鏡に落ちる雪 (二)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 そんなわけで、二人は思っていたよりもはるかに穏やかに、蓬莱の片隅での新たな暮らしを始めることができた。
 守護代の別邸である屋敷は、そう贅沢な造りではないが、やはり一般の民家などに比べるとはるかに大きく立派だった。その隅にある小さな離れを、二人は住居としてあてがわれた。
 屋敷を預かる家宰は、広國からよく言い含められているようで、突然現れた得体の知れない二人に対しても礼儀正しく親切だった。やや生真面目な印象の強い初老の家宰は、二人がただ世話になるだけでなく、それぞれの形で真摯に働く意思を見せたことで、態度をやわらげてもくれたようだ。
 葵は広國に言われた通りに、屋敷の一部を使って開かれている稽古場を訪ね、師範を務めている武芸者と立ち合った結果、そこの指南役を勤めることになった。
「良かったですね、葵」
 夕刻に部屋に戻ってきた葵に、夜光はそう言ったものの、葵が随分身体のあちこちを擦り剥いたり痣を作っているのを見て眉根を寄せてしまった。
「なんとか格好はついたが、俺も相当なまってしまっていて駄目だな。終の涯では随分良い暮らしをさせてもらったことだし、明日から気を引き締めてかからねばならん」
 風呂上りの清潔な肌に手当てをされながら、葵は照れくさそうに言った。
 夜光は己の生気を練って吹き込むことで、傷を負ったり弱ったりしている他人の身体を、ある程度癒すことができる。大きめの傷には薬草をすり潰した軟膏を塗ってやり、それから練った気を吹き込んでやろうとしたところで、夜光はぐいと葵に引き寄せられた。
「あ」
「どうせなら、口移しの方が良い」
 間近からてらいもない調子で言われ、夜光は思わず頬を染めた。戸惑っているうちに唇を重ねられ、それに逆らえるわけもなく、夜光は葵の腕の中になし崩しに凭れてしまった。
「……これでは、気を吹き込むどころではありませぬ」
 唇が離れた後、夜光は赤い頬のまま、葵を軽く上目に睨んだ。葵は夜光が可愛くてならぬというように、声を立てて笑った。
「それは悪かった。まあ、そう膨れないでくれ」
「手当てをしてほしいのですか、してほしくないのですか」
「してほしい。このままでは明日からつらそうだ」
 まだくつくつと笑っている葵に、夜光はむくれた顔のまま手当てを施した。だがその後にもう一度優しく口付けられてしまったら、夜光はもう怒った態度を装うこともできなかった。


 夜光も立ち働くことは苦ではなく、最玉楼にいた頃に礼儀礼節を徹底して仕込まれている上、下働きの雑事から様々な技藝まで多くを嗜んでいた。その丁寧で勤勉な働きや、物柔らかな言動や礼儀正しさを、別邸に勤める奉公人達は快く受け入れてくれた。
 夜光もそうだが、葵も立ち居振る舞いが洗練されており、明らかに土百姓とは空気が違う。何かと動き回ることの多い葵は着流しではなく袴姿で、その背筋の伸びた様子は、単に武芸者という以上に品格があった。
 そんな二人のことを、屋敷の者達は「何かわけありで守護代のつてを頼ってきた身分ある何処ぞの若君と、その御付の者」と解釈したようだ。広國の人徳ゆえか、誰からも取り立てて詮索されなかったのはありがたかった。
 屋敷の者達は皆明るく人が好く、本来人見知りな性質の夜光も、さほどかからずそれなりに馴染むことができた。
 それでも、やはりどうしても、どこかで人間達のことを「怖い」と感じてしまうのは拭えなかった。
 終の涯にも人間はいたし、何より他ならぬ葵が「人間」だった。だからやみくもに恐れる必要などないことは、理屈では分かっている。
 それでも此処が「蓬莱」であり、周囲にいるのが「全て人間」であるということに、夜光はどうしても無意識に神経を尖らせることを止められない。
 そのため気疲れが激しい夜光に、葵は互いに手伝いに出ている昼の間、ことあるごとに顔を覗かせて、たわいもない言葉をかけ気分をほぐしてくれた。
 互いに休みのときにはずっと傍にいてくれるし、夜光自身にとってもまだ違和感の強い黒髪を繰り返し大事そうに撫で、黒い瞳に変じてしまった瞼の上に口付けてくれる。夜になれば、夜光が震えずにすむよう、震えていればそれがおさまるまで、蓬莱に来た最初の夜のように、葵はいつまででも優しく抱き締めていてくれた。


 そんなふうにゆるゆると、蓬莱での時間は動き始めた。
 その日夜光は、勤めが休憩に入り離れの座敷に戻ってくると、たすきをほどきながら深く息をついた。
 常春で年中過ごしやすかった終の涯に比べ、やはり蓬莱の気候は、寒暖差が大きくて身にこたえる。蓬莱に渡ってきたばかりの頃よりは幾分ましにはなったが、日中はまだ太陽の照り付けが厳しく、きっちりと着物を着込んで立ち働いていると、気温の高い日などはいささかまいった。
 気疲れも手伝ってぐったり気味の夜光に、暑気あたりだろうと思ったらしく、奉公仲間が水出しのお茶と削り氷を持たせてくれた。蓬莱において氷は高級品だったが、この屋敷には氷室があり、暑い盛りの時期は氷や冷水が振る舞われることがあった。
 先日の仲秋の名月でも、食べ切れないほどのご馳走やおはぎを、皆惜しみなく夜光達にも振る舞ってくれた。そんな皆の気さくな親切が嬉しい一方、心の片隅ではどうしても恐怖心が消えず、夜光は人間達を忌避する気持ちの底で、自分自身に対する嫌悪感にも悩まされていた。
 障子もすべて開け放してあるから、座敷には蝉の鳴き声が風と共に流れ込んでくる。盛夏の蝉時雨に比べたらだいぶおさまりつつはあるが、まだまだその数は多く元気だ。
 陽が翳り出せばぐっと涼みが増すようになってきてはいるが、昼日中の今はまだ庭先の緑は輝くように明るく、引き換えに落ちる影も濃い。終の涯とは、空気の色や匂いからして違う。だが蓬莱では至極当たり前のそれらの光景を、夜光はぼんやりと座ったまま、座敷の中から見るともなしに眺めていた。
 こうして風通しの良い座敷に静かに座っていると、滲んでいた汗もひいてくる。ぼうっとしていたせいで削り氷が半ばとけかかってしまっているのに気付き、夜光は透明なそれを、お茶の器にぱらぱらと落とした。少々薄まってしまったが、ひんやりしたお茶は、身体の中から快く冷やしてくれるように胃の腑に落ちていった。
 葵はまだ道場にいるのだろう。誰の気配がするでもないあたりは、とても静かだ。蝉の声がしてはいるが、それはむしろ人の気配のなさを浮き立たせる。
 寂しい。
 と、子供のように夜光は思った。終の涯を離れて、まださほどの時が経ったわけでもないのに、あの常春の街が懐かしく、長のことが懐かしくてならなかった。
 葵がいてくれれば気もまぎれるのだが、こうして一人でいると、夜光は情けないほど不安で寂しくてたまらなくなる。こんなことではいけないと何度も首を振ってみるが、胸の奥にわだかまる暗く臆病な心は、どうにも消えてくれなかった。
「あおい……」
 思わず唇が動いてしまって、はっとそれを飲み込んだ。
 葵だとて、期せずして還ってくることになった蓬莱の地に、何も感じていないわけではなかろうに。けれど葵は、蓬莱に渡ってきてからは一度も、夜光に浮かない表情を見せることがない。それはきっと、夜光がこんな頼りなく情けない状態であるせいなのだろう。
 あの、夜光が葵を「喰って」しまい、そして甦ってくれたときから。中途で絶たれた時間を埋め合わせるように、夜光と葵はたくさんのことを話した。思うことを言葉にすることが苦手な夜光だったが、少しでも葵のことを知りたくて、自分のことを知ってほしくて、懸命に言葉を綴った。その中であらためて葵の心を知り、想いを知り、涙が止まらないまま詫びたりもした。
 それでも、自分はまだまだ葵のことをよく知らないと思うし、もっとたくさんのことを話したいと思う。こんなふうに、ただ一人の相手についてだけ、どうしようもないほど強く気持ちが惹きつけられることなど初めてで、きりがないほど子供のように葵を求めてしまう自分に、夜光は戸惑ってもいた。
 懐の内には、今の夜光にとって掛け替えのない大切なものがふたつ収められている。ひとつは葵の匕首、もうひとつは長が首に掛けてくれた小さな鏡。
 夜光は懐の上から匕首の感触を確かめ、首に掛かった細い組紐を引っ張ってその先についた鏡を取り出し、抱き込むように手の中に握り締めた。
 長との繋がりも絶えてしまったわけではなく、長は定期的に、己の式神である金色の八咫烏をこちらに飛ばしてくれる。長からの文や届け物を運んできてくれるそれに、こちらからも用意しておいた文を託して返す。
 たったのそれだけの繋がりが、今はたまらなく大事だった。つい先日送り返したばかりの金色の鴉の姿が見えないかと、あるわけもないのに、夜光は縁側の向こうの青空に黒い瞳を巡らせていた。
 その瞳が、金色の翼の煌めきではなく、まったく予想もしなかった奇妙なものをとらえた。
「……あれは……?」
 終の涯の虹色を帯びたような空色とは違う、抜けるように真っ青な空。雲もまだ大きく、のそりとした入道雲が樹木の向こうに乗り出している真昼の空に、ふわりふわりと何処かで見覚えた二つの色彩が――赤と青の火の玉が漂っていた。
 夜の闇の中で見れば、揺らめく鬼火と素直に呼べただろう。だが真昼の空に浮くそれは、まわりの明るさに圧されて陽炎のように頼りなく見える。
 赤と青の火の玉は、障子を開け放った座敷の中から見上げる夜光に気付いたように、ふわふわと彷徨うようだった動きを変えた。ひゅるるるる、と、二つの色彩が絡まるように、真昼の庭先に落ちてくる。
 咄嗟に夜光は立ち上がり、人間の姿がないか、あたりを見回してしまった。
 あんなものをもしも誰かに見られてしまったら、すわ怪異か物の怪かと大変なことになる。幸いあたりは、蝉の声を除いてはしんと静まり返ったままだった。
 夜光がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、庭先に落ちてきた二つの火の玉は、地面にふれる直前のところで、ふわりと軽く舞い上がって一転した。一転したときには、曲芸のように身軽な動きで、炎から変化するようにそこに二人の妖が現れていた。
 姿形はヒトと変わらないが、それぞれに髪の色、瞳の色が、ヒトならぬ赤と青。そして額の髪の間から覗くのは、一対の角。
「やーこうーっ」
「みぃーつけたー!」
 赤と青をそれぞれに纏った妖は、呆気にとられたように佇んでいる夜光の姿を見つけると、鞠が飛び跳ねるような軽やかさで座敷に飛び込んできた。
 はしゃぎながら嬉しそうに飛びついてきた小柄で柔らかなその姿を、夜光は追突されたような勢いによろめいてしまいながら受け止め、まじまじと見返した。
「……火月(かげつ)、水月(みつき)」
 名を呼ばれた二人の妖が、夜光の腕を左右からそれぞれに抱き込みながら、その顔を二色の瞳で見上げた。
「うん、僕らだよ。やっと見つけたんだからぁ、もー」
「夜光、久し振りっ」
 その姿は、小柄ではあるが胸のふくらみと腰の細さが顕著な、人でいうなら十代半ば程度と思しき可愛らしい「少女」の姿。
 長く伸ばした髪をそれぞれ高いところで括った赤と青の妖――額に角を持つ鬼は、それぞれの瞳に夜光の姿を映し込んで、嬉しそうに煌めかせた。


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