cats and dogs

‐original BL novels‐



月の鏡に落ちる雪 (一)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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【約65,000文字、読了時間約130分】
シリアス/和風/ファンタジー要素あり/残酷描写あり/半人半妖/青年/若干ほのぼの/ゆるやか展開/甘々/親馬鹿/蓬莱/人界/人と妖/物の怪/怪異/心の傷/葛藤/齟齬/仲たがい/
「終の涯」を去り、「蓬莱」――人間の世界に渡った、半人半妖の若者・夜光。
いつか終の涯に帰れるときを待ちながら、夜光は犯した過ちと心の傷とに向き合おうとします。
半妖である正体を偽り、蓬莱の片隅で静かな暮らしを始めた夜光ですが、平穏に見えた日々に次第に暗雲が立ち込めてゆき…。
     ◇
「妖~」シリーズ蓬莱編です。舞台が変わることで、お話の趣もだいぶ変わります。
主人公と親しい女の子が出てきますので、絡み要素はありませんがご容赦下さい。



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 まさしく仲秋の名月と呼ぶにふさわしい満月が、晴れやかに夜空を彩っていた。
 皓々とした月明かりが照らすとはいえ、人里離れ明かりひとつない山野の中は、木陰や草葉の下、岩陰の下など、濃密にすぎる暗闇がわだかまっている。鬱蒼とした樹木の海の中は、夜目の利くモノ達であれば真昼と何ら変わらぬが、そうではないものにとっては、夜の闇はあまりに深い。
 そんな真っ暗な中に、ぽっ、ぽっ、と、唐突にふたつの鬼火が湧いた。
 ひとつは鮮やかな茜空を思わせる赤色。もうひとつは、澄んで深い清水を思わせる青色。
「……あっれー? なんかここ、違くない?」
「おっかしいなぁ。場所間違えちゃったかな。僕、界渡り苦手だしなあ」
 鬼火からひそひそと聞こえたのは、闇の深さに似合わぬ、可愛らしい声が二つ。
「もー、しっかりしてよ。ヘタなとこに迷い込んでおっかないのに食べられちゃうとか、僕イヤだからね?」
「そんなこと言ったって、もう来ちゃったものは仕方ないじゃない。とにかくさ、ここからそんなに離れちゃいないはずだから、捜そうよ」
 二つの鬼火と声は、あたりをはばかるように囁き合いながら、深い夜の中を漂う。赤と青の鬼火は樹木の上にするすると昇ってゆくと、広がる星空の下に、ぽかりと浮き上がった。
 それは明らかに自然光とは異質な明かりだったが、近場でそれを見上げるものは、野山に息づき駆ける様々な生き物達か、さもなければ闇に棲まう妖しのモノたちばかり。遠目には、星の海の中にまぎれて目にとまることもない。
「ほらほら、あそこ! あれ! あれ牛鬼じゃないの? こっわ!」
「あー、また随分でっかいねぇ。あんなのさわらぬカミにってヤツだよ。さっさといこう」
 二つの鬼火は空の上でやいやい言い合いながら、大きく満ちた月明かりを浴びつつ、ふらふらと夜空の中を泳ぎ始めた。

         ◇

 日中は夏の名残りの色濃い季節だが、早朝の頃合であれば、空気はもう大分ひやりとしている。
 白い指がそっと開いた明障子の隙間に、庭先の樹木の下をすり抜けた微風が流れ込む。白藤色の着物の肩の上で、その風に流された黒絹のような髪が、柔らかくなびいた。
 部屋の中を覗き込んだ黒い瞳が、まだ寝床にある若者の姿を見て瞬く。そろそろと障子が開かれ、白い足袋に覆われた足が、物音を立てぬように部屋の畳を踏んだ。
 寝床の傍らまで進み、静かに膝をつくと、睫毛の長い黒瞳が、無心に眠り込んでいる若者を優しく見下ろした。
 雪白の頬に黒髪のかかる面差しは繊細で、物柔らかなその容貌には、どこかこの世のものならぬような神秘的な印象がある。さながら人ならぬ精霊か、月世界から降りてきた天人の如く。
「葵。もう朝でございますよ」
 性別が分からないほどのたおやかさだったが、寝床の中の若者――葵に呼びかけた声音は、柔らかいものの女性というには少し低かった。その薄い肩も、全体の身体つきにも、華奢ではあるが女性的なまろみはない。纏っている小袖も、色合いこそふんわりしていたが、着付け方は男性のものだった。
「ううん……」
 葵が子供のように寝返りをうつ。寝惚けた様子で瞼が持ち上がり、黒い瞳が動いて、寝床の傍らから自分を覗き込んでいる嫋やかな姿を捉えた。
 葵が目覚めたのを見て、それを覗き込むようにしていた白い顔がほころんだ。
「おはようございます、葵」
「ああ……朝か」
 葵が眠たげに目許をこする。と、横になったまま両腕を伸ばし、白藤色の小袖を纏った姿を引き寄せて、その唇に軽く口付けた。
「おはよう、夜光」
 夜光と呼ばれたその白い頬が、数秒ぽかんとした後に、ほんのり紅潮した。
「は、はい。あ、あの……」
 夜光はうろたえ気味に、急に引き寄せられて崩れてしまった身を起こそうとする。葵が横になったまま、その薄い身体をぎゅっと抱き締め直した。
「そう慌てずともよかろうに。おまえからこうしてくれても良いんだぞ?」
「な、何を朝から莫迦なことを言っているのですか。寝惚けているのですか、葵」
「とんでもない。おまえのおかげで、いつも寝覚めは良い」
 葵は屈託もなく笑うと、もう一度、今度は夜光の頬に口付けてから起き上がった。
「いつもありがとう。ああ、今日も良い天気だな」
 葵は大きく伸びをし、まだいささか気だるそうに立ち上がった。
 顔を洗いに部屋を出て行くその後ろ姿を、夜光は呆れるべきか笑うべきかという複雑な顔で見送った。
「もう。たわむれを……」
 夜光の指が、葵がふれていった自分の頬にふれた。黒い瞳の奥には、照れと共に、葵が示してくれる愛情への嬉しさが滲んでいた。
 降りたての雪をもあざむく白さの頬が赤らんでいる様は、初々しいようでも艶やかなようでもある。
 その頬に、瞳と同じ夜の闇を孕んだような漆黒の髪が、さらりと落ちかかった。


 神々や妖の世界である「終の涯」から、この「人間の世界」――「蓬莱」と呼ばれる場所に渡ってきたとき。夜光の髪と瞳の色は、生まれながらに纏う色彩から、今の漆黒に変じた。
 夜叉の父を、人間の母を持つ夜光は、月光を集めたような乳白色の髪に、混じりけのない紫苑色の瞳を持って生まれた。夢幻のようなその色彩は、黒髪黒瞳が普通である人間達の間では、あまりに目立つ。そのため終の涯の長が、「人」の間に問題なく立ち混じれるようにと、界渡りのときに夜光の姿にまじないをかけたのだった。
「本当に、見事に黒くなってしまったな……」
 蓬莱に界渡りしてきた最初の日、夜光の髪にふれながら、葵は残念そうに、少し哀しげに、一度だけそう呟いた。
 生まれ持った姿を隠さねばならぬことは、夜光にも心楽しいことではなかった。まして自分の本来の色彩は、敬愛してやまぬ長や、最愛の存在である葵が、とても綺麗だと褒めて気に入ってくれた色だった。
 けれど蓬莱で「人間」に混じって生きていくなら、明らかに「人ならぬもの」の姿が邪魔になることは否定できなかった。夜光自身にとっても、半妖であることを人目に晒す恐怖の方が、本来の姿を隠す抵抗感よりはるかに大きかった。
 だから、哀しく残念には思ったが、夜光は「仕方がありません」とだけ言って微笑んだ。

 終の涯を発つ最後のときに、夜光はもうひとつ、長からもらい受けたものがあった。
 長は手ずから、細い組紐を通した小さな鏡を、夜光の首に掛けてくれた。
「その鏡に、おまえにかけたまじないを依りつかせてあります。夜叉の角を封じているものと、蓬莱では髪と瞳の色を隠すまじないと」
 美しい金細工の装飾を施された小さな鏡は、まるでかつて夜光の首に掛かっていた水晶の数珠のかわりのように、その胸元できらりと明るく輝いた。
 そのときはまだ乳白色に輝いていた夜光の髪を撫でながら、長は言い聞かせた。
「もしおまえが、元の姿に戻りたいと思ったとき。それから、どうしても妖としての力が必要になったときには、その鏡を割りなさい。ですが、出来る限りそういったことにならぬよう気をつけるのですよ」
 半妖である夜光は、たいした強さでもないが、妖力と呼ばれる力を有している。ただそれは、幼い頃に長に妖力の核である角を封じられて以来、夜光にとってはほとんど無きものと化していた。
 穏やかな終の涯で暮らしていけるなら、不要だったもの。けれど蓬莱に渡り人間の間に立ち混じることで、もしその力に頼らねばならぬほどの危難が生じたら。そんなことは考えたくもないことだったが、かつて人間達に囚われて虐げられた過去があるだけに、夜光にはその怖れを捨て去ることができなかった。
 それから長は、身を守るためのものとして、葵にも一振りの金色の太刀を授けた。それは取り立てて特別な妖力が宿るようなものでもなかったが、長のかけたまじないにより、何をどれほど斬っても刃こぼれしない、という不思議な逸品だった。
「何があっても、たとえおまえが死んでも、夜光には髪の毛一筋ほどの傷もつけさせるのではありませんよ。いいですね」
 そんな言葉と共に、怖ろしいばかりの迫力を湛えた長の金色の瞳に見据えられ、葵はたじろぎつつも恭しく太刀を受け取った。「葵に死なれては困ります」と夜光がややおろおろしながらたしなめると、長は軽く咳払いしていた。


 ともあれ長に見送られて、夜光と葵は終の涯を離れ、盛夏を過ぎつつある蓬莱へと渡ってきた。
 夜光にとっても葵にとっても、それは複雑な物思いと不安とに囚われずにはいられないことだった。
 人間への恐怖心が消えない夜光にとって、蓬莱に渡るというのは試練というより他にない。
 かつて家督争いに敗れ、一切を失って故郷を追われた葵にとっても、蓬莱の地を再び踏むことは、単純に歓迎できるようなことではなかった。
 人里からは多少距離のある、涼やかな清流近くの岩屋で休んだその夜。
 終の涯と、愛する長のもとから離れなければならない寂しさと不安から、夜光は葵に身を寄せて、一晩中泣いていた。
 ふわりとした乳白色から、艶やかな黒檀に色を変えてしまった夜光の髪を撫でながら、葵はただじっと、そんな夜光の肩を抱いていてくれた。
 長が首に掛けてくれた小さな美しい鏡がお守りであるように思え、夜光はそれを手の中にずっと握り込んでいた。
 いつか長のもとに帰る日まで、この鏡を割らずにすむように。願うような祈るような気持ちで、夜光は無意識のうちに、何度もその感触を確かめていた。


 いきなり見知らぬ人里に入り、そこに居を構えることは不安にすぎる。夜光にはまだどうしても、その怖れを踏み越える勇気が持てなかった。
 また、夜光の心の傷の深さを知る長としても、いきなり夜光を見知らぬ人間達の中に放り出すようなことを善しとはしなかった。
 蓬莱では近頃、今まで中央で権力を握っていた勢力が力を失い、すっかり世の中が乱れている。葵もそんな世の流れに巻き込まれて、かつて蓬莱を追われて終の涯に流れ着いた過去があった。
 都よりもかなり西の方に、豊かな富と土地を持ち、世の乱れから距離を置くことに成功している、人々から「守護代」と呼ばれている地方豪族がいた。古代王朝の流れをくむというその人物は、若い頃にふとした成り行きから長に命を助けられたことがあり、それ以来ただの人間でありながら長と懇意にしている、という変わり者だった。
 二人はひとまず、長のはからいで、その人物の元に身を寄せることになった。
「旅暮らしでも、私は良いのですが……」
 むしろその方が気楽だ、というように夜光は呟いていたのだが、夜光を思う長の親心も理解できる葵は、ひとまずそれを説き伏せた。
 夜光は普通の人間よりは身体が丈夫ではあったが、角を封じられている限りは、さしたる妖力も発揮できない。
 葵にしても、力の強い夜叉である槐から「命の珠」を与えられはしたが、それで特別な妖力を得たというわけではない。多少飢えにくくなったり、怪我をしても治りが早くなった気はするが、今のところそれ以上の自覚できる変化はなかった。
 いずれは二人で生活を築いてゆくとしても、勝手の分からぬ見知らぬ土地で、ひとまず安定した衣食住を提供してもらえるのなら、断る手はない。その上こちらの事情を理解し、人に素性を知られたくないということを承知の上で庇護してくれるというのなら、これほどありがたい話はなかった。

 二人が訪ねたのは、守護代の本宅ではなく、領内の外れの方に建てられていた別邸だった。
「ようこそおいで下さいました。私のことは、爺とでも呼んで下され」
 長からの使いで事前に話を承諾してくれていた老齢の守護代は、豊かな白髪を持つ好々爺で、二人をまるで実の孫が訪れたかのように歓迎してくれた。名を「広國」と名乗り、畏まって平伏した二人に、緊張を解すように朗らかに笑んだ。
「私は長殿がおらなんだら、とっくの昔に死んでおりましたからなあ。あのときの恩返しがやっと少しは出来る思うと、嬉しいのですよ」
 長と知り合った時分に、一度だけ終の涯を訪れ、多くの妖の姿を見たのだという広國は、二人の素性についてもあっさりと受け入れていた。
「ありがとうございます。しばしの間、ご厄介になります」
 それぞれに礼を言った二人に、広國は嬉しそうに頷いた。
「離れを開けておきましたから、気兼ねなくお使い下さい。好きに過ごして下さって構いませんが、ただ飯食らいは気が咎めるというのなら、家事手伝いでも何でもして下さったら良い」
 その申し出に、葵と夜光は顔を見合わせた。いくら長のはからいとはいえ、漫然と世話になることを申し訳なく思ってはいたところだった。
 そのあたりを察していたのか、それとも長にあらかじめ何か伝えられていたのかは分からなかったが、広國は二人の様子を見ながら、何事か考えるように白く見事な顎髭を撫でた。
 広國はあらためて葵の居住まいを眺めると、「そうですなぁ」と続けた。
「葵殿は、身こなしや腰のものからして、武芸の腕がかなり立つとお見受けします。ここでは近所の若者や子供達を集めて、いざというときの備えのためにも武芸などを教えておりますから、貴方様さえよければ師範など勤めて下さるとありがたい」
「私などでよろしければ、是非。こちらからお願いしたいくらいです」
「ほほ。それでは、道場の者達に伝えておきましょう。夜光殿も、何かありましたら遠慮無く申し出て下されよ」
 鷹揚に構え、白い顎髭を撫でながらにこやかに笑っている老爺に、葵と夜光は心の底から深く平伏した。


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