cats and dogs

‐original BL novels‐



夜明けまで (十)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 ほぼ満月に近い、だがあとは細ってゆくばかりの十六夜が、天頂を間もなく通り過ぎる頃合。
 長の住まう離れ、月明かりと舞う夜桜が美しい庇の下で、杯を手にくつくつと槐が噛み殺すように笑っていた。
「しかし、おまえも存外に大人気がないな、空。葵も相当面食らっていたではないか」
「そのようなことはありませんよ」
 槐と差し向かいに、いつになく不機嫌そうに座した長が、綺麗に指を添えて持ち上げた杯を煽った。
「私としては、充分に優しく接したつもりです」
「甦ったばかりで混乱していただろうに。あれは元々は、豪族の若君だそうだな。礼節の行き届いた、なかなかまともな若者じゃないか」
 すっかり面白がっている体の槐を、長が薄い刃のような眼差しで横目にした。
「あれがまずいとは別に言っていません。人間の若者にしては立派だ、とは思っていますよ」
 普段の長は温厚そのものであるだけに、その目付きだけであたりの空気が冷えるようだ。元々切れ長の目許に刺された赤い刺青が、鋭い目付きに映えて、気の弱い者であればその一瞥だけで震え上がりそうだった。
「要するに、あれか。子を盗られる親の気持ちか」
 しかし槐は、いたってけろりとしていた。くつくつと笑い続けている槐に、長がひときわ目付きを冷ややかにした。
「おまえは厭な男ですね、槐」
「ひどい言われようだ」
 まだ笑っている槐に、長はぷいと顔をそらし、手酌で酒を注いでまた煽った。
「そもそも葵殿は、私が蓬莱に帰ってくれと言ったとき、それをものの見事に無視なさった。その結果があれでしたからね」
「だが、それがあったから今こうして、万事めでたしめでたしになったわけじゃないか。終わり良ければ、と言うだろう」
「万事ではありません。夜光はこれで、おそらくこの終の涯を出てゆくことになる。それもあの子に選ばせるつもりではありますがね」
 甦った人間達を、残らず蓬莱――人界に還すことくらい、長には本来造作もない。だが、喰われてからもう十数年経っている者をはじめ、とうに故郷がない者や、今さら人界に還されても生きてゆくのが難しい者が多い。まして近頃の蓬莱では、世が乱れて戦が横行し、さらに飢饉が続いて飢え渇いている者達が溢れていた。
 還した人間達全員のその後の面倒を見ることなどさすがに出来ないし、それくらいならば、いっそ終の涯で皆暮らせばよい。それに、私情を理由に力を振るえば際限がなくなる。なまじ大きな力を持つ存在であるだけに、それを闇雲に振るうことはしてはならないと、長は強く自分を戒めていた。
「まったくおまえは。見かけがそんなふうだから騙されがちだが、案外苦労性だな」
 槐は杯を手にまだ笑っていたが、しかし長と呼ばれている存在が、できることとできないこと、するべきこととしないことをはっきりと区別していればこそ、「終の涯」という場所の平穏が守られていることも、よく理解していた。
 長は脇息に凭れたまま、しばらく無言でいた。はらりはらりと、雪片のような花弁が舞い、長の艶やかに流れ落ちる黒髪や、金糸で精緻な刺繍を施された衣の上に降りる。
 杯に酒を注いだものの、それを口に運ぶこともせず、やがて長は諦めたように小さく嘆息した。
「……葵殿のことは、決して嫌いではありませんよ」
「うん?」
「むしろ本来は、夜光のしたことを詫びねばならぬほどです。少し幼いところはありますが、気性の真っ直ぐな、好い若者です」
「そうだな。なかなか武芸達者のようだし、学もありそうだ。頑固ではあるが、性根は穏やかで心は広い。夜光のように少し気性の尖った奴には、あれくらいの方が合うだろう」
 酒を飲みながら、案外真面目に槐は言った。
 長はほろ苦いように、だが心からのように小さく笑った。
「私も自分で、少し驚きました。長く生きてきましたが、子など持ったことはありませんでしたからねぇ」
「そうか」
 今度は槐はいつものようにからかうことはせず、軽く笑みながらただそれだけを返した。
 しばらく二人はどちらも黙って、ただ互いの杯に酒を注ぎ、ゆっくりと口に運んだ。
 涼みのある夜風が遣り水の上をなぞり、そこに落ちた花弁を舞うようにすべらせる。滲む月明かりに花の馨が立ち交じり、どこからともなく現れた蛍が、光の尾を暗い水面にちらつかせた。
 藍色の夜空をゆっくりと動いてゆく、満月に近い月を見上げていた長が、やがて逸らして槐に視線を向けた。
「それよりも、おまえの方こそどうなのです」
 心地良さげに柔らかな夜風に吹かれていた槐が、長に視線を返した。
「何がだ?」
「陵の出した交換条件だったのでしょう? おまえが陵のもとへゆくと」
「ああ」
 槐は胡坐をかいた膝に肘をつき、泰然とした様子を崩さずに言った。
「少々面倒なことになったとは思うが、あれも何も俺を喰うほど悪食じゃあるまい。何処ぞに監禁されるわけでもなさそうだ。いずれ飽きるだろうことに期待して、のんびり過ごすさ」
 それを聞きながら、おそらくは、と長は考えた。
 おそらく陵は、解呪するにあたって本当に対価を必要としていたわけではあるまい。夜光に覚悟を迫ったのと同様に、槐にもまたそれを迫り、試したのだろう。
 気が遠くなる長い歳月を生きてきたモノにとって、価値があるのは形ある金銀財宝や、果ては命ですらない。混じりけのない珠玉のような真心。それを往々にして、そういったモノは好む。
「そうですか……」
 もしも何か不穏なことが起こるようであれば、そのときは相手が陵であっても割って入ろうと心密かに思いながら、長は頷いた。
「あの子としばらくでいいから、親子として過ごしてほしかった。それが残念です」
「できるだけ抜け出して様子を見に来るさ。俺もあいつは可愛いからな」
 てらいもなく言い、槐はちらりと長を見て笑み含んだ。
「俺よりも、おまえの方が大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。何ですか、その笑いは」
 ややむっとして言い返した後、長は苦笑した。
「こういうことになるのでは……と、予想はしていたのですよ。解呪して葵殿一人だけを甦らせるような都合の良い話はあるまい、と思っていましたから」
 喰った者のすべてが甦れば、夜光が終の涯にいることは危うくなる。だからこそ長は、槐が陵を捜しに姿を消してからの一月余り、僅かな間だけでもと、夜光を間近に置いて過ごした。
「なかなかの親莫迦だな、おまえも」
 槐が徳利を取り上げ、長に向かって差し出した。長は少しばかり柳眉を吊り上げながらも、微笑を崩さぬまま杯を持ち上げてそれを受けた。
「余計なお世話です。おまえも人のことは言えないではありませんか」
「そうか? 俺なんぞまだまだだと思うがなあ」
 柔らかな行灯の明かりの中、酒を酌み交わしながら笑い合う声が、遣り水の上を伝ってゆく。
 その夜は随分遅くまで、二人の交わす声と、仄明るく庇の下を照らす灯かりが絶えることはなかった。


 槐に連れられて最玉楼に戻ったものの、その後も長が現れることはなく、葵と夜光はいささか当惑した。
 夜光は「何か失礼なことをしてしまったのだろうか」とおろおろしていたが、葵は心当たりがないでもなかったので、困惑しつつも存外に落ち着いていた。
 何しろ浜辺で葵が長から向けられた眼差しが随分と冷ややかであったし、よくよく考えれば、自分が長の不興を買っていないと思う方がおかしい。何しろ葵に頭を下げるまでした、夜光を思う長の親心を、かつてものの見事に袖にしてしまったのだから。
 葵はまだ頭の芯がどこかぼうっとしており、自分が「喰われる」前のことをすべて思い出すことはできなかった。ひとつひとつを辿っていけば、そういえば、と思い出すことはできる。だが思考力も緩慢になってしまっていて、思うように頭が働かなかった。
「そう無理にいきなり考えようとするな。おまえさんは病み上がりのようなものなんだぞ」
 気軽い調子でそう言い、眉間を押さえていた葵の背をばんと大きな掌で一打ちしたのは槐だった。正直かなり痛かったものの、その痛みがむしろ葵を「現実」の中に引き戻した。
「喰われた」ところで葵の記憶はぶつりと途切れ、次に気が付いたときには、泣きじゃくる夜光に抱き締められていた。少しずつ記憶が甦るほど、葵の感覚では、自分があのときに「死んだ」とは思えず、一瞬気を失って目が覚めただけ、というようにしか感じられなかった。
 だが話を聞けば、自分は確かにあのとき一度「消滅」したという。
 姿を現さない長のかわりに、槐と夜光が事の次第を簡単に語ってはくれたが、話を聞けば聞くほど、葵は今いるここが本当に「現実」なのか、そもそもここにいる自分は本当に「生きている」のか、それが定かでなくなってきてしまった。
「今日はもうあれこれ考えずに、ゆっくり湯でもつかって休め。一晩ぐっすり眠れば頭も冴えよう」
 槐に促され、実際に頭がかなりぼんやりしていた葵は、素直に従うことにした。夜光の泣き腫らした目が痛々しかったし、むしろ葵よりも夜光の方が、よほど疲弊しているように見えたせいもあった。
 別れ際に、あなたは誰なのかと尋ねた葵に、槐はあっさりと「夜光の父親だ」と名乗った。
 またしてもわけの分からないことが重なり、目を皿のように丸くして言葉らしい言葉も出せなかった葵に、槐はいかにも楽しげに笑いながら立ち去っていった。


 自分は何かに化かされているのではないか。
 と、かなり心から思いつつ、言われるままに、ひとまず葵は湯をつかってから夜光の部屋に移動した。
 休む、とはいっても、葵がかつて使っていた部屋はとうに片付けられており、客といってもいいのか分からない身で今から新たに部屋を用意してもらうのも気がひけた。葵が終の涯に流されてきたときも、しばらく夜光の部屋で看護を受けていたことがあったから、かつて知ったるではあった。
 食欲もまるでなかった葵は、食べるものは遠慮して、夜光の用意してくれた薬湯を飲んだ。
 薬湯といっても、それほど癖のある風味はせず、味も飲みやすいように調えられている。入れかわりに湯をつかいに夜光が出ていった後の部屋はしんと静かで、そこで一人座ってぼんやりと薬湯を飲んでいると、葵はようやく人心地がついた気がした。
 自分も疲れているだろうに、夜光は何から何まで葵のいいようにしてくれた。これも夜光の用意してくれた浴衣は清潔で肌触りがよく、部屋には心がほっとするような、落ち着いた薫の香が控えめに焚かれていた。
 見るともなしに目を巡らせてみたが、記憶にある夜光の部屋と何も変わった様子はなかった。
 相変わらず、質素すぎるのではないかというほど調度品が少ない。壁の柱に掛かった竹花器に、淡い紫色の釣鐘草が活けられており、その優しく心なごむような風合に、葵の目許が自然とやわらいだ。
 ぼんやりしているうちに、夜光が部屋に戻ってきた。
「夜光?」
 おそるおそる障子の向こうから覗き込んできた夜光に、葵は首をひねって声をかけた。呼びかけると、夜光があからさまにほっとした顔になり、軽くお辞儀をして部屋に入ってきた。
「すみません……何でもないんです」
 夜光が小さく首を振る仕種に、湯をつかった後でまだ生乾きの乳白色の髪が、きらきらと光を受けながら肩の上で揺れた。
 葵の前に静かに正座をした夜光は、白い単衣の寝間着の上に藍染の茶羽織を羽織っている。その胸元に挿し込まれていた懐刀らしき布袋に、葵は目をとめた。
「それは……」
 視線の動きで夜光も気付いたのだろう、白い指が持ち上がって、いかにも大事なもののように布袋にふれた。
「おまえさまの匕首です。あの……もともと入っていた袋は、海に流してしまったのですが」
「海に?」
「此処を離れて、せめて何か一つでもおまえさまの故郷に還れたらいいと思って。 勝手なことをしてしまって申し訳ありません」
「いや、謝ることはない」
 すぐに葵は首を振った。夜光なりに、何か葵のためにと精一杯考えた末のことだったのだろう。自分が消えた後に夜光がそんなことをしてくれたのかと思うと、胸の中に暖かさと痛みが広がった。
 後を追うと言った夜光を、咄嗟にあのとき葵は止めた。不幸を強いられた分だけ、夜光には生きて幸せになってほしかった。
 それ以上のことを、あの状況では考える余裕がなかったのは確かだ。だが話を聞いて脳裏に浮かんだ、一人きりで海に匕首の袋を流している夜光の姿は、あまりにも哀しく寂しげだった。
 もしあのとき、それほど嘆くなら共に逝こうと葵が夜光に言っていたら、今こうして再会を果たすことはできなかっただろう。
 しかしあれから独りで取り残された夜光がどれほど嘆き哀しむことになったのかを改めて考えると、あまりに夜光が憐れで胸が痛んだ。嘆かせてすまなかった、独りにしてすまなかったと、葵は夜光に強く詫びたい思いにかられた。
 甦ってくる記憶と感情が入り乱れ、まだ頭がどこか茫としていた葵は、思わず額を押さえて顔をしかめた。しっかりものを考えたいのに、どうにも頭がうまく働いてくれなかった。
 そんな葵を見て、夜光が柔らかく微笑んだ。記憶にあるのと何も変わらない、ほんのりとした白い月光が零れるような微笑だった。
「床をのべましょう。さぞやお疲れでしょう、葵」
 夜光は言って、さらりと立ち上がる。葵のよく知っている、見ているだけで落ち着くような、物静かで抑えられた所作だった。
「あ……」
 押入れを開け、寝具を取り出そうとしたところで、夜光が小さな声を上げた。
「どうした?」
「いえ……あの、そういえば、寝具が一組しかありませんでした」
 言った夜光が、数秒の間を置いて、ほんのりと赤面した。なまじ色が抜けるように白いせいで、髪の合い間の襟足から見える首まわりまでが、ごく淡く桜色に色付いたのが分かる。
 夜光だけに働かせるわけにもと立ち上がりかけていた葵は、その言葉と様子にぱちくりと瞬き、意味を理解して思わず吹き出した。
「何を笑っているのですか」
 赤い顔のまま、きゅっときつい眼差しで振り返った夜光に、ますます葵は笑ってしまった。立っていって、夜光をやんわりとのけてから寝具に手をかけた。
「いや、すまん。俺が下ろすからおまえは退いていろ」
「そのようなわけには」
「いいから」
 もともと遊郭の花であった夜光は、経験は豊富であろうし、それに状況がいささか、いや相当に特異ではあったが、葵とも既に一度は肌を重ねている。にも関わらず夜光の様子はあまりに初々しく、そしてむきになったような様が幼い子供のようで、やけに可愛らしかった。夜光も疲れている様子であったから、今夜どうこうしようとは葵は考えていなかったが、純粋に夜光を抱き締めてやりたい気持ちにかられた。
 いや、でも抱き締めたら止まらなくなるかもしれんと、葵は慌ててそこで思考を打ち止めた。
 何も実感がわいていない中でも、夜光の存在にだけは心が揺さぶられる。むしろ夢でも見ているのではというどこか不確かな感覚が消えないからこそ、夜光にふれて、これは確かに現実だと確かめたくなる。
 だがまだ目許の腫れもひいていない、こんな疲れた様子の夜光に、無理をさせたくはなかった。何をするわけではなくても、夜光をただ抱き締めたい気持ちはあったが、今はそれをしたら箍が外れてしまいそうで、葵はひたすら自重した。
「すみません……」
 てきぱきと葵が寝床を敷いてしまうと、夜光は何かしょげたように俯いた。その様子がまたやたらと可愛らしく目に映り、葵は破顔した。
「何を謝る。別に俺は客というわけではないだろう」
「でも、疲れているでしょうに」
「これくらいで大袈裟な。だいたい、おまえの方がよほど疲れた顔をしているぞ」
「そんなことは……」
「自覚がないなら、尚更さっさと横になれ。話したいことはいくらでもあるが、あとはもう明日にしよう」
 葵の言葉に、夜光は何か言いたそうにしていたが、結局こくりと頷いた。
 夜光は髪をもう一度よく拭き、つげの櫛で綺麗に梳った。乳白色の髪が丸行灯の柔らかな光に滲むように煌き、その美しさに葵は思わず見とれてしまった。
 夜光は茶羽織を脱いで衣架に掛け、懐から匕首を抜いて枕元にそっと置いた。何の飾り気もない白い単衣が清華な装束に見えるほど、その仕種の一つ一つが、指先の運びまで淑やかで流麗だった。
 行灯の明かりを落としても、十六夜の月明かりは障子を青白く透かして、かなり部屋は明るかった。
「それでは、おやすみなさいませ」
 夜光は寝床に入る前に、畳の上に丁寧に指をついて葵に頭を下げた。
「うん。おやすみ」
 もう寝床に入っていた葵が、笑って上掛けを持ち上げてやると、夜光は月明かりの中でもそうと分かるほどまた赤くなり、それでも嬉しそうに小さく笑った。
 遠慮がちに寝床に入ってきた夜光は、広いわけでもない中で葵からできるだけ距離を取り、背中を向けて横になった。


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