cats and dogs

‐original BL novels‐



夜明けまで (六)

   § : 『INDEX/小説紹介』
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 最玉楼に戻ったところで、槐に抱えられていた夜光が目を覚ました。
 夜光はぼんやりと視線を彷徨わせていたが、はっとしたように目を瞠ると、たちまちその血の気の失せた頬をひきつらせた。
「あ……」
「おや。気が付いたか」
 そこは槐の部屋ではなく、夜光の質素で小さな部屋の前だった。
 夜光は槐を振り払うようにもがくと、ほとんど転げて逃げるように離れ、部屋の奥で背を向けたまま畳の上にうずくまった。
 その様子を眺めながら、槐はとりたてて表情を変えようとはしなかった。その潰れてはいるものの夜光とそっくり似通った顔の大半は、元通りに面の下に隠されていた。
「気分が優れないようなら、薬湯でも持ってこよう。床をのべるか?」
「……いいえ。何もいりません」
 背を向けたまま、消え入るような声で夜光が答えた。その声音も、自分を守るように抱き込んだ腕も肩も、小刻みに震えていた。
「少し、一人にして下さいませ……夕餉の頃には、お部屋に参ります」
 無理矢理に言葉を発しているのだろうことが分かる、強張って震えた弱々しい声だった。だが弱々しくも、その底には、はっきりと暗く冷えた響きが沈殿している。
 怒りとも拒絶とも取れるそれを耳に、槐はほんの少し沈黙し、部屋の前から踵を返した。
「そうか。ではまた後でな」
 何気ない調子で言い置き、槐は縁側を歩み去っていった。
 夜光は部屋の隅にうずくまったまま、身動くこともしなかった。


「それで、夜光は?」
 深夜、桜の枝の間や遣り水の上を流れるふんわりとした靄が、月明かりに淡く光っている中でのこと。庇の下で寛ぎつつ、長と槐が月見酒を交わしていた。
「いつも通りだが、何も喋らん。呼びかければ返事くらいはするがな。よく分からん、何を考えているのか」
 胡坐をかいて座った槐が、普段と何ら変わらぬ暢気さで杯を傾けながら言った。
 はらりはらりと夜桜が舞う下で、脇息に凭れた長が、睫毛の長い瞳を翳らせた。
「そうですか……きっとあの子も、自分で自分の感情を測りかねているのでしょう。あの子が抱えてきた思いは、そう簡単に理屈で割り切れるものではないでしょうから」
「かといって、これ以上引き伸ばすのも、逆になぜ黙っていたということになりそうだったからな。我ながらあいつは、随分俺になついていたと思うぞ」
「それはそれで良いのですが」
 悪びれず思い詰めた様子もない槐に、長は半ば苦笑、半ば心から笑みを刷いた。槐の竹を割ったような性分は昔から長にとって好ましく、だが夜光のさぞ複雑であろう胸中を思うと、今は心から笑うことは難しかった。
「私もあの子と、一度きちんと話さないわけにはいかないでしょうねぇ」
 あまり酒がすすまず、桜水の薄絹を貼った扇子をはたりと口元に当てて、長は睫毛を伏せた。
「知っていて黙っていたということでなら、私もおまえと同罪です。結局何をどうしても、あの子を悩ませる結果にしかならなかった、とは思いますけれどね」
「おまえまで恨むようなうつけ者ではないと思うぞ、あれは。俺のことはどうだか分からんがな」
 日が暮れてから雨が上がり、重たげな雲間から顔を出した臥待月は、まるで泣いているような加減で濃紺の夜空に滲んでいた。天空の冠のようなうっすらとした月虹を掲げたその様は、この世のものならぬような幽玄そのものだった。
 その夜空を見上げながら、槐がふと思い出したように言った。
「自分は苦しまねばならぬ、と言っていた。……あれは、生きて幸せにとは一切考えておらんのだな。親としては、それも切ない話だ」
「あの子は今や、ただ死んではならぬから生き長らえているだけなのでしょう」
 長の清水のように澄んだ双眸に、深く打ち沈む哀しみと痛みの色が揺れた。
「あの子が百呪の願を立てたときに、それを止めるべきだったのだろうかと、今は思うのですよ。あの子にはあの子の思いと、己の生き方を選ぶ権利がある、と思っていましたが……」
「しかし、おまえの預かり知らぬうちに勝手にあれが陵(みささぎ)に会っていたのだろう? どうせ思い詰めたら、あれは周囲の言葉になんぞ耳も貸さなかっただろうさ」
「あの頃は私も、まだあの子の信頼をそこまで得ていませんでしたからねぇ」
「今さらそれを悔いても始まらん。だいたいそれを言い出したら、そもそもの元凶は俺だという話になる。今考えるべきことは、この先あれをどうしてやるか、ということだ」
 ぐいと槐が杯をほしたのを見て、長は黙って銚子を取り上げると、そこに新たな酒を注いでやった。
「あいつのやったことに取り返しが付くかは分からん。だが、死ねないから生きているだけというような生き方は、断固としてさせてはならんと思っている。親に成り損なった者の、身勝手な感情だとしてもな」
 強く言い切った槐に、長がほんのりと笑った。
「ええ。私も同感です」
 長は手酌で自分の杯も満たすと、脇息に凭れながら、なよやかな白い手で口元に運んだ。
「魂還(たまがえ)しを考えてはみたのですが、やはりそれは世の理(ことわり)に悖(もと)ること故、葵殿の魂魄の無事を考えると望ましくありません。何とかならぬものかと、私なりに調べてみましてね。先日は、ちょっと冥府に出かけて様子を探ってみました」
 事も無げに言った長に、槐が軽く酒をむせた。まじまじと槐が長の優雅な姿を見た。
「おまえは相変わらず、とんでもないことをあっさりと言うな」
「可愛い我が子のためですからね。無理もしますよ」
 長は婉麗たる微笑で、視線を流し返した。
「そこで、ひょっとしたら望みに繋がるかもしれないことに気付きました。いくら捜してみても、葵殿の魂魄は黄泉の国の何処にも見当たらなかったのです」
「ほう……?」
 先を促すように相槌を打った槐に、長は言葉を続けた。
「葵殿の死は、通常の死とは異なる呪術的なものです。肉体そのものも、朽ちたのではなく術式の中に取り込まれて分解され、いわば触媒と化したようなもの。要は魂魄も、そこに囚われているのですよ。そして術自体は、条件がまだ満たされていないことから宙に浮いている。ならばその根本的なところから解いてやれば、あるいは……と」
 長の言葉を聞いていた槐が、そこでふいに、にやと唇を笑ませた。
「それは奇遇。実はな、俺も考えていたのはそこだ」
「おまえもですか。ただふらふらと遊んでいたわけではなかったのですね」
「ここには様々な輩が集まる分、情報も多く流れてくるからな。俺の場合は、俺自身の呪詛を解く方法について調べていた傍らというのもある。蛇の道は蛇、というやつだ。その道の達人に当たるしかあるまいと探っていたら、陵に行き着いた」
「彼女、ですよねぇ……やはり鍵は」
 考え込むように呟いた長の瞳が、花模様の入った行灯の明かりを金色に弾いた。
「ただ、彼女が百呪の願を願解きしたという話は、ついぞ聞いたことがありません。術式を極めた者であれば、術を掛けるところから解呪するところまでを完全に修めているとは思いますがね。彼女に頼んだところで、果たして聞き入れて下さるかどうか」
「それに陵という邪仙は、普段どこにいるのかまったく分からんのだろう? あれも太古の昔から何処ぞに隠棲して面白おかしく世を眺めている、稀代の暇人だと聞く」
「そんなことを言って、彼女の機嫌を損ねても知りませんよ」
 邪仙だの暇人だのと言いたい放題の槐に、長は苦笑した。
「彼女の棲み処が何処にあるのかは、私も存じ上げません。数百年会わないことも珍しくはありませんからねぇ。それに、彼女も自分の居所を知られぬよう、何重にも対策を施しています」
「そもそもこちらから会いに臨むこと自体が難しい相手か。おまえにもどうにかならんのか、そのあたりは?」
「彼女は、私でもおいそれと手出しできる相手ではないのですよ。起源こそ異なれど、ある意味で彼女も私と同等のものですから」
「そうか。まったく、夜光もまた面倒な相手に願掛けなんぞしたものだ」
 槐はまたぐいと一息に酒を煽る。そこに注いでやりながら、長は言葉を続けた。
「それに困ったことに、私が長くこの終の涯をあけるわけにはいきませんからねぇ。形代を立ててゆくにしても限度があります」
「おまえが不在と分かれば、ここに余計なちょっかいを出してくる輩も居ような」
 忌々しげに槐が舌打ちをする。槐はさらに杯をほすと、意を決したように呟いた。
「ふむ。やはり、ここは俺が赴くか」
「お願いしてもよろしゅうございますか」
 口調も仕種も柔らかなままだったが、長の眼差しも、いつになく真面目だった。
「後方から出来ることは致します。おまえを依坐(よりまし)にできれば、私としても心強い」
「俺を依坐にと考える奴など、おまえくらいしかおらんだろうな」
 くつくつとおかしそうに槐は笑い、頷いた。
「勿論、俺にとっても願ってもない話だ。助勢願おう。到底俺一人で、おまえと大差ないような化け物のもとにまで辿り着けるとは思えん」
「くれぐれも、彼女に直接化け物などと呼びかけないで下さいね。彼女は類い稀な貴婦人なのですから」
「分かった分かった。まあ、陵とやらはその昔天帝をも惑わせたほどの絶世の美女だと噂に高い。会えることを楽しみにしていよう」
 槐はからからと笑い、長の杯に酒を注いだ。
 白く滲む幽玄の月を見上げ、槐は少し酔ったように涼みのある夜風を受けて、半ば独り言のように言った。
「あんな莫迦息子でもな、やはり可愛いのだ。なぁ、空よ。百年振りに抱き上げたあいつはな、変わらず暖かかったぞ。少し痩せすぎだから、俺が居ない間、きちんと精のつくものを食わせてやってくれよ」
「ええ。何もご案じ召されますな」
 長も穏やかに微笑み、泣いているような白い月を見上げて、静かに杯を傾けた。


 槐が自分の実の父親であると知れたあのときから、しかし槐の様子は何らそれまでと変わらなかった。変わらぬままに、ある日突然、ふらりと居なくなった。
「しばし留守にする。おまえは空に孝行でもしておけ」
 夜光にそう言い置くなり、槐は何処へともなく出かけていき、ぱたりと戻らなくなった。
 それまであれこれと振り回されていた槐が居なくなると、急に夜光は時間を持て余した。かといって、頭に霧がかかったようにぼんやりとして、手足が妙に重く、動こうにも何もかもが億劫だった。
 槐が居なくなってから、さして広くもなく、たいした家財道具があるでもない自室の片隅で、夜光は日がな一日、力無く座り込んでいた。
 ぽかりと胸に空洞が空いたようだった。それは、槐が父親であったと分かったときから、それについて考えることを一切拒否して心を麻痺させてしまったせいでもあった。
 考えれば、幼い日の忌まわしい記憶も甦る。葵を喪い、ようやく息をしているばかりの身に、それを思い出すことはあまりにも負荷が大きすぎた。
 だがこうして何もせずに一人でぼんやりしていると、否応なしに胸の内を様々なことがよぎった。ぼろぼろにほつれた心の上に、槐と過ごした出来事が現れては消えてゆく。それが決して不快ではないことを、夜光は分かっていた。
 なぜ今頃、何をしに来たのかと、そんな思いが夜光の中をずっと巡っていた。
 自分が人間達に虐げられたのは、何もかも、槐が傍にいてくれなかったからだ。槐が傍にいてさえくれれば、あんな目に遭うことはなかった。
 何もかもおまえのせいだと喚きたい一方で、けれど槐とて、決して好きで傍を離れたわけではないのだ、ということも分かる。だが、人間を妻としたなら、もっと蓬莱に残した妻子について気を配ってくれても良かっただろう、という恨み言も尽きない。
 人と妖とでは、寿命の違い故、そして持って生まれた感覚と能力の違い故に、時間の捉え方がまるで違う。蓬莱と妖の世界では、時間の流れる早さそのものが違うところさえある。
 槐にとっては、妻子を残して蓬莱から離れたことなど、本当に僅かな間の出来事だったのだろう。人と、妖。それは根本から、あまりにも存在の次元が異なる。それを理解し合うことなど、そうそうできるものではない。それに今さらどれだけ恨んだとて、過ぎてしまった過去は何も変わらない。
 ぼんやりと座り込んだまま、夜光はひたすらに自問自答していた。
 槐が妖であることを責めるのか。だがそれは、夜光自身が半人半妖であることを他者からなじられることと、どこが違うというのだろう。槐が槐であることを、いくら責めても仕方が無いではないか。
 何故今頃現れた。そう思う心も確かにある。夜光にとって、親は既に無いものだった。そんなものが突然現れても、どうすればいいのか分からない。どんな感情を抱けばいいのか分からない。
 そう延々と考える傍ら、しかしぽつりと薄闇に灯火がともるように、心の奥底で思うこともあった。
 ――槐はきっと、夜光に恨まれるかもしれない、と分かっていたのだ。
 無神経で横柄であるように見えて、槐は案外そうではない。常に人を食ったように笑ってばかりいるが、本当に人のことを見ていないわけではない。
 どうでもいいと思っているのなら、わざわざ夜光の前に現れる必要もなかっただろう。そして、親であることを夜光に知らせる必要もなかっただろう。
 槐は言葉ではなく行動で、夜光に心を示していた。素直にそれを認めさえすれば、何故今頃現れたのか、という問いかけの答えは、既にそこに出ていた。
 気が付けば、瞬きも忘れた瞳から、頬に涙が零れていた。
 夜光と同じ、紫苑色の瞳。自分の身体に妖の血を与えた存在。
 子を成すだけ成しておいて放っておかれた恨みは、確かにある。それが故意であったなら、きっと許すことなどできなかった。
 いや、今も、許せるか許せないかと問われたら、分からない。こだわりのすべてを水に流せるほど、幼い日に刻まれた傷は浅くない。
 だけれど、憎み切ることもできない。自分がなぜ泣いているのかも分からず、ただ涙が次々に頬に零れてゆく中、夜光は千々に乱れる心の奥底から、一つのまことだけは、そっと大切に拾い上げるように確かめた。
 ……槐のことを、自分はどうしても、嫌いだとは思えないのだ。
 それを認めると、感情が一気に決壊しそうで恐かった。感情を抑えて抑えて、ただ涙だけが、ぱたぱたと膝に、畳の上に落ちる。
 もう自分には何もないと思っていた。だけれど……。
 涙をなんとか飲み込もうとうずくまっていたところに、部屋の障子の前に誰かが立つ気配がした。
「夜光。入りますよ」
 長の優しい声が呼びかけ、静かに障子が開かれた。ふわりと花の馨を纏うその人が、さらさらという衣擦れの音を連れて歩み寄ってくる。
「長、さま……」
 涙が零れるばかりで顔を上げるのがやっとの夜光に、長は傍に膝をつき、透けるように微笑んだ。
「何も言わずとも良い」
 長はそれだけを言って、夜光の身を腕を伸ばし、少し力を込めて抱き寄せた。すっかり乱れてしまっている乳白色の髪を、長のたおやかな手が繰り返し撫でた。
「夜光。私も、おまえに話していなかったことがあります。それをこれから一つずつ、ゆっくりと話しましょう。……私は、おまえに知ってほしいと思います。おまえは愛されて、望まれて生まれてきたのだということを」
 静かに語りかけながら繰り返し髪を撫でる長の腕の中で、夜光は何も言葉にできず、ただしゃくり上げた。
 涙は止まらず、感情の整理もできなかったが、偽れない濁りのない気持ちだけは、夜光は胸の奥に抱き締めていた。
 あなたを嫌いだとは思えない。
 なぜ私の前に現れたのですか。なぜ私に正体を明かしたのですか。
 あなたがまこと私の父親だというのなら、なじらせて下さい。恨み言を吐かせて下さい。それでもあなたは私の前に居て下さいますか。あなたは私を、本当に愛して下さいますか。
 声にならない想いに、ただ嗚咽し続ける夜光の背を、髪を、長はただ優しくいつまでも撫で続けていた。夜光の震えと泣き声が、少しずつおさまるまで。


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